直毘神

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直毘神(なおびのかみ)

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国の穢(けがれ)を
禊(みそぎ)払われた時に生まれた神さまです。
禍(まが、凶事・罪悪・災害など)を直す神さまです。
本居宣長の古事記伝にある「直毘霊(なおびみたま)」は簡単に言えば、
漢意(からごころ)を排し「かんながら」に帰るという事です。
漢意とは言挙げて対立するような外来の世俗の文化とも言えます。
「かんながら」とは随神、惟神、自然などの文字が当てられ、
人が神代から生まれながらに持つ素直な心というような意味です。
新しい外来文化と日本古来の文化の対比とも言えます。
一例を挙げれば、「袖振れ合うも多生の縁」と言いますが、
偶然による一期一会を大事にすると読むか、
偶然による出会いも前世からの深い因縁による必然の
ものと考えるかの違いのようなものもあります。
映画の「ふうてんの寅さん」は前者の意味のように使っています。
それが日本の古来からの考えであったからです。
昔の戦(いくさ)では勝者が、敵は立派で強かったと讃えたそうです。
ひいてはそれが戦いの正当性や強さのアピールにもつながります。
戦争においても「袖の振れ合い」があり、
「やあやあ我こそは」と名乗る仁義があったのです。
現代のネットやテレビのニュースでは
世界は醜い憎しみや争いに満ちているようです。
しかしひとたび、神仏に向かって手を合わせ、それと心を一つにすれば、
私達の日常はまことに穏やかであると気づきます。
そういうのが直毘神の本質だと思い、今年の伊勢神宮参拝のために
この版画を制作しました。


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# by tatakibori | 2017-06-04 20:55 | 仕事 | Comments(0)

木彫に対する私の思い その2

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私の木彫は自己表現が目的ではありません。
芸術に夢があって、何かを表現するために始めたのではないからです。
祖父の木彫には芸術表現に託す思いがあったのは確かです。
素材が木であったのは生まれた環境によるものでした。
それに大正から昭和の初めにかけて木彫のブームがあったようです。
有名な葛飾柴又の帝釈天の木彫はその頃に制作されたものです。
子供の頃に祖父の彫刻を見て、私は木を刻んだノミ跡の美しさを知りました。
私の木彫は木に刃物を当てた跡を作るのです。
もっと極端に言うなら、彫りクズを作る事なのかもしれません。
コンコンと音をさせて、たくさんの彫りクズを作れば、
何かたいへんな努力を積み重ねているような自己満足もあります。
写真の作品のように荒くて未完成ながら彫り跡に道具の力が残れば
それで良いのだと思います。
よく切れる道具で刻まれた木に残る力強いノミ跡でしか
表現できない優しさがあります。
手数の少なさは穢れの少なさにも通じます。
純粋で無垢というのが私の目指す表現なのです。
それは私の内にある考えではなく、木が持つものであり
神の創造したものから本質を引き出す作業です。
素材に木を選んだのではなくて、ある意味の運命にも引かれて
木に関わってきたのだと思います。

         つづく

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# by tatakibori | 2017-04-25 15:26 | 仕事 | Comments(0)

木彫に対する私の思い

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木彫に対する私の思いは、祖父と父の木彫への願いを分かり、それにたちかえり伝える事です。
自分を表現するために始めた事でもないし、欲のない仕事として続けてきただけのものです。

私のものごころついた最初の記憶の中に、祖父が彫る姿があります。
いつも面白い話をして笑っている祖父が苦しそうな顔で
仏像や般若面を彫っていました。
もう少し大きくなるまで、それが木彫だと思っていました。
祖父は40歳前に脳内出血で倒れて生死をさまよった事があります。
これをきっかけにやや前衛的な木彫をするようになりました。
戦中戦後は彫っても売れないので、自分の世界に入り込んで
大胆な表現を試みていました。
その時代に棟方志功に出会って、それを励まされたのでますますその方向へ進みます。
私は日頃、現代アートは敵のように言ってますが、昭雲叩き彫の完成はむしろ前衛的な
表現にあったのです。
さらに、棟方を通じて柳宗悦の民芸運動に触れた祖父はそれに大きく惹かれていきます。
祖父は民芸を通じて円空や木喰を知りました。それまでの大胆な円空にも通じる作風は
じつは独自の手法によるものだったのです。
山田家の先祖は大工職人でした。祖父が木彫を始めたのは家にそこそこの道具が揃っていたからです。
大工はノミをゲンノウで叩いてホゾ穴などを彫ります。
木彫職人の修業をしていない祖父はノミをゲンノウで叩いて彫ります。
やがて限界を感じて大阪の学校へ勉強に行くのですが、
最初に身についた手法は後々まで残ったのです。
情報のない時代にたいへんな苦労をして独自のスタイルを作ったものですから
祖父の仕事にはたいへんな力があります。
それが刷り込みになって私の木彫への意識は作られています。
祖父が私の作品を見たら許してくれるだろうか、という思いはいつもあります。


                     つづく

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# by tatakibori | 2017-04-07 21:36 | 仕事 | Comments(0)

劇作家

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私の住む町では著名な劇作家を招いて町の未来について仕事を依頼しています。
地域おこしと劇作家と言えば「北の国から」の倉本聰が先ず思い出されます。
富良野に住んで、大金を投じて東京から大勢のスタッフや役者を呼んで
作ったドラマは後世に語り継がれる傑作だと思います。
主人公の価値観、人生観は純粋で美しく厳しい現実との対比で
人生の素晴らしさや希望を観る者に与えてくれました。
さらに富良野が倉本から授かった恩恵は金銭だけでなく目に見えない
ものも含めて大きなものがあったと思われます。
私の住む町でも、そんなまるで映画の中のような奇跡が
その劇作家によって少しでも起こったら幸せかもしれません。

立場が全然違う?

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# by tatakibori | 2017-03-29 19:39 | その他 | Comments(0)

60歳の年度末

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60歳の年度末を迎えました。
地方紙の公務員人事異動の記事には見覚えのある名が
退職の欄にずらりと並んでいます。
時を同じくして近くの自治体の議員選挙で古い友人が
初当選しています。
4月にも選挙があり一人立候補します。
退職公務員、教員の多くは再雇用になり
あと数年は同じように勤めるそうです。
私と同じように最初から自営業で定年退職という節目のない
仕事を続ける人もあります。
何処かのブログで議員になる友人の事を
「満60歳になった氏の晩年の過ごし方」と書いていました。
60歳の再出発を「晩年」とは語彙が乏しいのか悪意があるのか
わかりませんが、なんとも言えない気分になります。
80年の人生とすれば残りは20年、それだけあれば
もうひと仕事くらい出来そうに思えます。
自分に置き換えて考えれば、同じことをずっと続けることの
たいせつさをしみじみと感じているのです。
同じように彫っても何かの深みがプラスされてきたと
自信を持って言えるものがあります。
60歳は60歳なりですが、超高齢化社会で過去の60歳と
同じように老け込むわけにはいきません。
晩年の過ごし方を考える余裕はまだないのです。


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# by tatakibori | 2017-03-27 20:17 | 日々の生活 | Comments(0)

同心円の核

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日曜日の早朝にNHKである作家(元ジャーナリスト)の講演と談話をやっていました。
報道されない真実があり、それは醜くて悲惨なものだったりするというような話でした。
たいへん下品で強烈な表現に衝撃を受けました。
すべての問題は同心円にあり、その核にはある事件を描いた小説があるそうです。
それはネット上の青空文庫で立ち読みできるので、ざっと読んでみました。
ノンフィクションでしょうが、強い誇張の表現で埋め尽くされており、
予備知識なしにこれに入ると気分を害するものです。
それについてはいずれ感想を書いてみたいと思っております。

自分にとって同心円として仕事に対する思いがあるとすれば、
その核には何があるのだろうと考えました。
以前は「神の存在」だった事もあります。
人と人が接する時に、その立ち振る舞いの中に神があるのでは
ないだろうかと考えました。
最近はもう少し単純に、ごはんを食べる時に家族そろって
手を合わせて「いただきます」と声を出すような事が
私の仕事の持つ意味のすべてのベクトルが向かう核に
あるように思えます。

サウンドオブミュージックは最も優れて美しい映画だと思います。
食事のシーンで何もしないでいきなり大佐が食べようとすると、
マリアが「お祈りはしないの」とたしなめます。
愛と平和、反戦など大きなテーマがありますが、
このシーンは説得力のあるものだと思いました。

子供の頃は家族そろって、父が声をかけて「いただきます」と
やっていました。
色々と苦しかった時期に、父に対する反発からその習慣を
壊すことを実行しました。
一番大切なものを父から奪うという制裁を行ったのです。
たいへんつらい事でした。
父が死んで長い時間が過ぎました。
最近はできるだけ家族そろって「いただきます」と
手を合わせるように努力しています。

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# by tatakibori | 2017-03-13 21:07 | その他 | Comments(0)

来世は

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「来世は東京のイケメン男子にして下さい」
昨年の大ヒット映画「君の名は」の中の飛騨の女子高生・三葉のセリフです。
人生をやり直したいという気持ちと、来世に夢を見るのは少し違います。
輪廻転生に期待しても、来世は虫や小動物に生まれ変わるかもしれません。
それなら猫が良いと思う人も多いかもしれません。
もっと勉強がしたいとか、世の役に立つ人生でありたいと言う真面目な方も多いです。
モテモテのハリウッドのスターとかF1レーサーになりたい人もあるでしょうね。
来世は何が良いでしょう?



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# by tatakibori | 2017-02-13 21:15 | 日々の生活 | Comments(0)

地域おこし型アートイベントのその後

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昨年の秋に参加した地域おこしのイベントの報告書が届きました。
近隣の町で地域おこしのNPO法人が主催し、市がバックアップする
しっかりしたイベントで、今回が4回目でした。
これは岡山県北では体験型アートイベントの先駆けとして果たした役割は
大きく、その後の模倣したイベントの出現が示すように革新的なものでした。
そして、地域おこし協力隊員、県内大学生のボランティアが参加することによって
イベントは地方創生推進事業(?)としての性格を強めていったようです。
地元の古くからの基幹産業である林業をからめたり、発酵食品のレストランが
参加するなど地元色を強めて、美術工芸のイベントから一歩も二歩も
進んだイベントに発展してきました。
ワークショップのプログラムは50ほどあったようですが、美術工芸に
絞れば20の作家や団体のものがありました。
報告書をざっと読むと、地元の作家のブースには体験者が多かったようですが、
遠方からの作家のワークショップは体験者がとても少なかったと書いてあります。
地域おこし型のイベントとしての取り組みは成功し次への大きな可能性を示した
のですが、私達作家サイドから見るとクラフト系アートイベントに参加する
メリットが少なくなってきているように思えます。
私もこれの模倣のイベントを開いた事がありますが、さらにイベントは増えて
同時期に乱立するという状況もその原因です。
例えて言うなら、メルセデスの模倣を慎重かつ巧妙にやったトヨタが
上手く行ったので、それに続くヒュンダイなど第3国の模倣がどんどん
出てきたようなものです。
後発組の経費をかけずにコンパクトに地元住民に貢献する手っ取り早い
効果も見逃せません。
乱立から淘汰が始まり、厳しい状況に置かれるのは自治体や地元住民では
なくて美術工芸作家のような気がします。
どのイベントでも「継続」が叫ばれますが、毎回の赤字を支えるだけの
基礎体力は作家個人には望めません。
地域の文化によるまちづくりと個々の作家につながりの無い部分を感じてしまいます。
継続によるイベントの日常化を目指すという意味では地域外の作家は
余所者でありプログラムのアイテムを増やす役割でしかない場合もあります。
自治体やNPO法人の活動は活発で大きな努力が払われ、
それなりの成果を得ているようですが、
そういったものと作家個人の活動は関連していない現状があります。
作家に求められているのは、イベントを通じて存在をアピールする事です。
主催者の意図をしっかり理解することがたいせつです。
お誘いいただくのはありがたい話なので、断ったり逃げたりしないで
よく考えて、それなりの準備と覚悟を持って参加するつもりです。
地域おこし型アートイベントは新しい時代に入ったのは確かです。



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# by tatakibori | 2017-01-14 11:58 | アート | Comments(0)

ゲンロン4

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自営業のブログには野球と政治の話はタブーだと思います。
今日は少しそっち方面の話になるので不快に思われる方があるかもしれません。

私が東浩紀に注目したのはtwitterを始めた2010年頃に今のアートを取り巻く
環境について多く発言しているのを読んでからです。
世間では朝まで生テレビでブチ切れて退場した事が話題になっていました。
震災以降の比較的冷静な発言では評論家として優れた見識を示したと思います。
最近はゲンロンという名でカフェと称する公開討論、それのニコ生放送、
そして自ら出版するこの書物で新世代の評論家として生業を立てるという
意味も含めて積極的な活動を展開しています。
これは文筆業を含めたすべてのアーティストの規範となる優れた
ビジネスモデルです。
今年の都知事選挙後に政治学者の山口二郎を招いた対談がこの本に
載っているので読みました。
山口二郎は政治学者ですが、「リベラル」と自称する左派の活動家であり、
それは本業の大学教授とは違って収入を得る手段とは切り離しているようです。
定着した「ネトウヨ」と呼ばれる右派を「反知性主義」とこき下ろし、
その代表である安倍首相を真っ向から批判する「アベ政治を許さない」
というスローガンは彼の発案かどうかは知りませんが、そういう運動の
中心人物である事は間違いありません。
自らを反知性の対極である知性を持ったリベラルと言います。
過去の革命を目指した左翼運動とは違う現実的に政治に働きかける知性は
今までの左派や民進党の代議士よりはるかに上です。
シールズとか都知事選などは結果論では否定しているのが山口らしい判断だと思いました。
自分をナショナリストと言うには少々驚きましたが、これが今の日本の現実だと思います。
簡単なリベラル=グローバリズムという時代が過ぎてしまったのは現時点での
世界の軍事的緊張の影響なのかもしれません。
いずれにしてもリベラルという左派が存在していくにはこの2人がリードしなければ
始まらないと私は思っています。
日本の未来を考えるには彼らから目が離せないとも言えます。
現時点では少数派と言えども彼らが代弁している国民の気持ちを
無視するわけにはいきません。
振り返れば成果の出ない活動が多かったようですが、
次に何を論じて政治に働きかけるのか注目しています。





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# by tatakibori | 2016-12-27 19:13 | 読書 | Comments(0)

引き出し

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木版画教室も丸3年が過ぎて、生徒の皆さんも上達してきました。
当初の目標は棟方志功の模写や、それ風の楽しい版画を
体験してもらう事でした。
棟方志功の画集をご覧いただければわかりますが、
楽しい版画ばかりではありません。
アートとしては強いメッセージを持っているのでしょうが、
それを模写するのをためらうような表現も多くあります。
また複雑な表現は素人には無理だったり、
成し遂げても満足感の無いものもあります。
そこで可能なものは簡略化したり、
理解しやすい表現にアレンジしてお手本を提供しています。
でも、数多くやっていくとネタ切れと言うか、
アイデアの引き出しが空になる日があります。

今年のそんな時に眺めていた本を並べてみました。
鳥獣戯画と浮世絵の画集は基本の一つです。
文様の本は古典的なデザインの宝庫です。
浮世絵や江戸期の伊万里焼のセレクトなどは
ハッとするほどセンスの良い本です。
中国から取り寄せた篆刻の本は、かの地では初心者、学生向けの
ものですが、日本のものよりはるかに専門的です。

創作を始めた頃のやりたい事のネタはすでに
使い果たしてしまったので、こういう古典をもう一度
深く調べて自分の作品に馴染むアイテムを拾い集めて
築き上げる作業が増えてきた今日この頃です。

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# by tatakibori | 2016-12-22 21:05 | 仕事 | Comments(0)