数年前までは情報格差とは主にインフラの整備の問題でした。
ここへきて「情弱(情報弱者)」という言葉の流行からみると
環境の問題ではなくて情報を的確に集める技術の話になってきたようです。
価格コムやヤフーオークション、楽天市場を調べて少しでも安い買い物をするとか
アマゾンで希少な本やCDを手に入れる、ネットでいち早く安いチケットを手に入れる
そういった技術が情報格差の代表となってきたようです。
ところが、震災以降は溢れる情報の中から真実を見極めるのが困難になりました。
情報格差というよりその人の信念とかイデオロギー、人生観があらわれてくるようになってきました。
情報を手に入れる事は簡単な技術によって誰にでもできますが
そこから自分にとって有意義で価値ある情報を選ぶには
今までの検索のテクニックだけでなくそこに書いてある情報を正確に読むという
何でもないあたり前の技術が再び重要になってきたと思います。
場合によってはデータの数値だけがカギになります。
特に原発事故の情報は単位も複雑で、放射線に対する科学的知識が無ければ
再発信する情報が全く意味を失う事も多かったようです。
出版物の場合は校正という作業があったのですが、個人がtwitterやブログで発信するのは
校正も検証も第3者のチェックも何もありません。
たいへん危険な情報の垂れ流しが発生して社会は混乱の真っ只中です。
「これじゃあ大本営発表となんら変わりない」と言われますが
あの時代でも情報格差はあって少なくともちゃんとした教育を受けた人々は
大本営発表など何も信用していなかったそうです。
父の思い出話に、松戸の航空学生だった東京大空襲の次の朝に軍人の教官が
「昨夜の関東大震災・・・」と言ったのがとても悲しくて、敗戦が近いのを
実感したというのがあります。
ネットが使えるようになって自分がとても賢くなったような気がするのは全く錯覚です。
70年近く前も今と本質的には大差ありません。
いや、もっと昔の新聞もラジオもなかった江戸時代でも同じような事ではないかと思えてきます。
価格コムで安く買い物したのは情報に強い事とは関係なかったのです。