芭蕉句の解説文(下書き)

芭蕉句木版画の解説文の原稿

旅人と我名よばれん初しぐれ
「笈の小文」より。亡父の三十三回忌に伊賀へ帰郷する前の餞別句座の作。「神無月の初空さだめなきけしき、身は風葉の行方なき心地して」とあってこの句が続く。「時雨(しぐれ)」は芭蕉の好んだ言葉、十月の異称でもある。旅への焦がれる気持ちとこころの充実を感じさせ、美しい映画のような光景が浮かぶ。


髪はえて容顔蒼し五月雨
貞享四年、芭蕉四十四歳江戸深川にて。詞書に「貧主自ヲ云」とあり、まるでゴッホのような自虐的な自画像である。鏡を覗き込めば、不精から伸びた髪と木々の緑に染まった光が顔を蒼く染めている。「ようがんあをし」の音が美しく響く。


夏草や兵どもがゆめの跡
「奥の細道」奥州藤原氏の隆盛をとどめる史跡・平泉での句。七百年近くの時間を「ゆめの跡」と詠んだ。「兵」は視覚的にあえて「つはもの」とひら仮名で彫った。


蛸壺やはかなき夢を夏の月
「笈の小文」に記された最後の句。「明石夜泊」と詞書がある。「壺」の文字の面白さも句の味の一つだろう。古い時代の明石の蛸は多くが飯蛸だから浜に並ぶ壺は小さな物だった。


田一枚うへてたちさる柳かな
「奥の細道」下野国・那須での作。西行が立ち寄った柳の下で、しばし西行を偲んだ。柳は謡曲「遊行柳」で知られ、西行が「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ場所で、今も往時の姿を残している。


名月や池をめぐりて夜もすがら
貞享三年、深川の芭蕉庵に門人が集い舟を浮かべて月見をした。月見は今よりも身近な娯楽であった。ガ行を含む言葉の並びに明るいリズムがある。

一家に遊女もねたり萩と月
 「奥の細道」市振の宿で。「一家」は「ヒトツヤ」と読む。遊女、萩、月と並んだのが旅の宿の出来事。世俗を捨てた俳人にとっては遊女さえも美しい自然の一部なのか。


象潟や雨に西施がねぶの花
 「奥の細道」象潟(きさかた)は秋田県南部の名勝。「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」とある。一八〇四年の象潟地震で海底が隆起し、陸地化している。西施(せいし)とは春秋時代に越王・勾践(こうせん)が呉王・夫差(ふさ)に復讐のため贈った伝説の美女である。国を滅ぼすほどの美女の名が象潟と艶やかなネムの花と並ぶ。


さればこそあれたきまゝの霜の宿
 杜國の隠家を訪ねた折の句。坪井杜國は芭蕉の門下の逸材であったが、貞享二年に空米相場の罪で尾張藩を追われ渥美半島に隠れ住み、元禄三年三月二十日病に三十四歳で没する。江戸時代にも今の会社経営と同じようなテクニックやセンスが必要だったようだが、責任のとり方が現代の世界経済と違うのが興味深いところ。杜國はその人柄を多くの人に愛されながら薄倖の人生であった。死罪が決まっていながら「蓬莱や御國のかざり檜木山」という句作を知る尾張藩主のはからいで追放に減刑された。杜國の人となりを簡潔に語る句である。


何の木の花とはしらず匂哉
「笈の小文」伊勢参宮の句。西行の「何事のおはしますとはしらねどもかたじけなさの涙こぼるる」の本歌取りである。「蓬莱に聞かばや伊勢の初便」という伊勢の神宮への思い、「薦を着て誰人います花の春」という西行への思いの句もある。


枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
 自らをカラスと譬える句もあったと思い、ただ一羽のカラスを描いたが、芭蕉自身はこの句に複数のカラスを描いている。芭蕉三十七歳、漢詩の趣を持つ新しい俳諧の境地とある。


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
 「笈日記」芭蕉は大阪・御堂前の花屋仁右衛門方の離れ座敷でその五十年の生涯を終えた。この句は最後の作であるが辞世ではない。生涯に十句を残せば良いとしたストイックな旅の詩人は死の病に臥していながら夢の中で旅する自分を見る。死をまったくイメージしていないし、させもしない。


山路来て何やらゆかしすみれ草
 「甲子吟行(野ざらし紀行)」より。「大津に出る道、山路をこえて」と詞書あり。「何やらゆかし」の大様な表現が新鮮に響く。足下に咲くスミレはこの世で最も可憐な花のひとつだ。


春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
 「笈の小文」大和桜井の長谷寺、初瀬観音にて。「籠り人」は艶やかだから「ゆかし」となる。西行をイメージする「薦を着て誰人います花の春」という句もあり、修行僧はどこか風雅な物語のようである。


菊の香や奈良には古き佛達
 元禄七年九月九日、重陽の節句の作。死の僅かひと月前である。前日に伊賀を立ち急ぎの旅であった。笠置より舟にて木津川を下り、その日のうちに北から奈良へ入った。猿沢池のほとりに宿をとった。そうなると「佛達」は興福寺のものであろう。軽快な調べの句である。
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by tatakibori | 2012-01-06 19:48 | 仕事 | Comments(0)
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