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君が代

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大阪の国旗国歌条例で何かと話題に上がる事の多くなった日の丸・君が代です。
国旗国歌が法律で定められたのはつい最近の話で1999年です。
これは自然発生的なものなので法律で定め、条例で規制するのは
どこか本末転倒のように私も考えます。
ただし、思想信条の自由と言いながら国旗国歌を否定する教育を
義務教育において公立学校の教員が行うことは明らかに間違っています。
例えば、もしも隣国の太極旗を踏みにじるような教育が行われたら
それこそたいへんな問題になります。
人や国は互いに敬いあう精神がなければ交わりは成立しません。
そういう人としてのマナーを教えるには仏さまであったり、神さまや
ご先祖さまを敬うのが我が国古来の考えです。
しかし、政教分離であり、思想信条や宗教の自由があります。
そういう意味で何か国家のアイデンティティとしての歌が必要です。
外国の例を見ると勇ましい戦いの歌が多く、その歴史の古さを感じさせます。
それがその国の好戦的な気風を表しているとは誰も考えません。

君が代は戦争中の軍国主義の歌であるから国歌としてふさわしくないというのが
日教組を始めとする君が代反対の考えです。
君が代は古今和歌集の詠み人しらずの歌を元に作られたというのが一般の説です。
平安時代の古今集では発句が「我が君は」となっていて、後に間接的な表現として
「君が代」と直されました。
万葉集などを読むと分かりますが、お祝いにふさわしいおめでたい歌というのは
意外に少ないので、君が代が全ての人が共有できる寿ぎの歌として
磨かれていったように考えるのが自然です。
戦争中の教育を受けた父も「君」は天皇でもあるし、不特定多数の
二人称であると話していました。
柿本人麿の歌にはもっとストレートな王朝賛美の歌が多いように思えます。
万葉集の中で最もめでたいとされる最後の歌、大伴家持「新しき年の始めの・・」では
天皇へのストレートな表現をあえて避けて全てのものへの喜びの歌に仕上げています。
君が代は長い年月により選ばれ磨かれてきた祝いの歌として
日本人のアイデンティティに成長していったと考えられます。
皇神(スメカミ)の道は言霊の雅(ミヤビ)にありと言われますが、王朝の文学なくして
日本語の成立がなかった事はあきらかで、美しい言葉は先祖や神を外しては
考えられません。

米国では「The Star Spangled Banner」(星条旗)が国歌とされています。
これは法律で定めれたものではないようで、「God Bless America」も
第二国歌として歌われています。
ピート・シーガーで有名なウディ・ガスリー作の「This Land is Your Land」(我が祖国)も
愛されている歌です。
日本でも「This Land is Your Land」に習い西岡たかしが作った「遠い世界に」(五つの赤い風船)が
70年代に流行った事があります。
もちろん日教組が「緑の山河」を作ったり、サントリーが「われら愛す」と言う歌を提案した事があるそうですが
私は聴いた事もありません。
国歌は自然発生的で多くの人が共有できる歌でなければなりません。
定着するまでには長い時間が必要だと思われます。
君が代に反対する思想信条の自由はあります。
サッカーの国際試合で歌えるようなものを作りそれを時間をかけて広めていけば
第二の国歌が誕生するでしょう。
卒業式で起立しないという反抗や否定の行動よりも、そういう創造の行動でなければなりません。
美しい歌は裁判所や日教組の集会からは生まれません。





春分の日(春季皇霊祭)に思う.....。
by tatakibori | 2012-03-20 13:12 | 日々の生活
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