父は浄瑠璃が大好きでした。
若い頃から教育テレビの中継を録音して仕事をしながら聴いていました。
晩年には義太夫のCDを手に入れてうれしそうでした。
大阪の人形浄瑠璃を見に行ったのはおそらく一回だけです。
大阪市ではこれへの補助金を巡ってもめているようですが、
日本文化の大きな存在ですから滅んでしまうような事があってはなりません。
そもそも歴史的に見ても、道頓堀の劇場が350年ほど前に出来上がり
長く世界最大のアミューズメント地区として大阪の繁栄の象徴だったのです。
父が好きだったのは「菅原伝授手習鑑」「絵本太功記」「仮名手本忠臣蔵」で、
その他には「義経千本桜」などオーソドックスな演目です。
昔のこの手の物語は「忠義」とか「大義」など今では無くなってしまった心の話が多いようです。
冤罪とか左遷、更迭、讒訴(ざんそ)、復讐・・・一見そういう言葉が浮かんできますが
醜い人間の感情を表しているのではなくて「正義」を何処に感じるかという微妙な部分に
深く入り込んで人々の共感を得ていたのですからこのあたりに日本人の
正義感の根本があったと考えられるようです。
「判官贔屓」という言葉が今でも生きているのはそれがとても美しい心だからです。
明治天皇が楠正成の忠誠心を高く評価したのは何故だったのか、
そのあたりの解釈にはイデオロギーで個人差があると思います。
高校の時に日本史が一番覚えにくかった理由は誰が勝者かハッキリしないし
誰が正しかったのかもよく分からない争いに終始しているからだったと思います。
「国破れて山河あり」というのは日本には無かったのです。
戦いで片方が一方的に勝ってしまうのは日本の考えでは無いと言えます。
2、3年もすればすぐに事情が変わるのが日本史のややこしい所で
これでつまずいて苦手になる人も多いと思います。
その瞬間、瞬間で人々の気持ちを惹きつけた者がその時の正義になり得るようです。
そのダイナミックなベクトルこそが美しさを持つのです。
明治天皇が感動した歴史物語こそ、その美しさです。
これが日本の古典芸能、文学の根底にあります。
そしてそれは現代においてやや嫌われているのかもしれません。
白黒つけるとか、絶対の正義では無いのが古くからの「やまと心」の文化です。
そんな古い物語やお芝居で育った人々が黒澤映画に衝撃を受けて
虜(とりこ)になったのだと父は話していました。
「七人の侍」で最後の勝者は百姓だったのがまた日本人の本質だろうと言ってました。