誰にでもできる事

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食卓にしている長さ2mのテーブルは二人には大きすぎるから
片隅には硯を置いて、いつでも筆を持って文字を書けるようにしています。
練習と言えども誰かに見ていただくことで、恥をかき、向上を目指せるのではないかと
掲示板やfacebookなどにアップしています。
文字を誰かのために書いた最初の記憶は、小学生の時に
クラスで数名の字のきれいな女子と私が放課後に残されて、
掲示物やガリ版の制作をさせられた事だと思います。
男子は私一人で、いつもメンバーは決まっていました。
女の子達はきれいな文字を書いたのですが、
私は今で言う「ヘタウマ」に近い存在だったのかもしれません。
模造紙に大きな文字をマジックで書くのは子供の頃から得意だったようです。

若い頃にレストランのメニューの制作の相談を受けた時に
神戸で見たオシャレなレストランのメニューを真似てペンでコピー用紙に手描きの
メニューを書いて見せたら、他の候補もあったのですがそれを使う事になりました。
その時に父がこう言いました。
「あの社長はとてもきれいな文字を書く人だ。字は誰にでも書けるし、美しい字を書く人はいくらでもいる。」
私にはまったく理解できない話で、それなら人に頼まずに自分でデザインするなり書けば良いと思っただけです。

文字を書く練習を本格的に続けた事はないのですが、その後も展覧会の看板や
同窓会の看板など頼まれたり、人のために大きな文字を書く機会を数多く得て
恥をかきながら筆を持ってきたのが正直なところです。

じつのところ、父と同じような批判的な意見は多く聞きます。
文字は誰にでも書けるから、何も特別な才能でも何でもありません。
基礎が出来てないと痛烈な批判を受ける事もあります。
その基礎とは何かがもう少し分かれば私も美しい文字が書けるようになるでしょう。

歌は誰にでも歌えるし、絵は誰にでも描けます。
カメラさえあれば写真は撮れます。しかもデジタルになってさらにお手軽になりました。
作文を書いた事の無い人はいませんから、ブログやつぶやき、エッセイ、評論文も
ネット時代になって誰でも書いて発表できるようになりました。
陶芸や彫刻は道具や素材の関係でややハードルが高いのですが
それでも豊かな21世紀になって楽しむ人々も多くなっています。
誰にでも出来る芸術のプロは批判を浴びやすいようです。

仏像彫刻を始めたばかりの頃は多くの人から忠告を受けました。
「仏像には約束事が多いし、仏の道は厳しいから深い勉強をしなければならない。」
また、私は美術系の学校に行ってないから、彫刻そのものにも基礎的な積み重ねが
足りていないと強く言われたものです。

なぜそんな無謀な事を始めたのかは理由は明白です。
彫刻や書をするなら自分の育った環境の中にあったものを基にしたいと思っていたからです。
目的がはっきりしているから切り捨てるものもあります。

自分が年齢を重ねて、若い人を見て気がつきました。
若い人なら仕事として3年も続ければ熟練して技術的にはプロとして充分なものを会得します。
美術系の仕事では、それでも駆け出しの素人と変わらない存在のように言われがちです。
モノが誰にでも出来る書や画、写真であればさらに風当たりが強くなります。
それと戦うには時間をかけた手の込んだ作品にしたり、真似が出来ないような
器用で奇抜な方法をとったりする人も出てきます。
かつては巨大な作品にすれば素人には出来ないと思われましたが、
素材の価格が下がったり時間の自由な人が増えてきて単純にはいきません。
そして、努力の積み重ねを否定するような風潮が主流になっていくのです。

絵手紙の教祖の小池先生は下手でいい、下手がイイと言われます。
上手に書くことより自分の持つ本質の部分を磨くという意味です。
色々な勉強や方法があるようですが、自分の好きな人の書と
下手でイイという言葉をバイブルにしてこれからも磨けるものを探して
磨いていけたらと思うのです。
努力と言うのは薄い紙を一枚一枚重ねていくようなものです。
それが厚みを持つまでには途方もない時間を要する事もあります。
それでも積み重ね続けなければ何も生れません。
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by tatakibori | 2012-12-26 14:53 | 仕事 | Comments(2)
Commented by マイケル at 2012-12-26 22:21 x
今日の先生のコメントは難題ですね(笑)。
文字と言うのは線で構成されてますね、この世界のすべての生物が観る事象と言うのはすべて3次元立体で線は無いんです。
つまり線と言うのは人間だけが構成できる創造力の産物で線と言うのエッチングのハッチングの如くその人の感性や人格や今までの理念が反映されるのでとても単純で高度な表現です。
ピカソの線は誰にも引けないです。

器用で奇抜な方法は一見エキセントリックで人目を引くかもしれませんが底が浅いと直ぐ見抜かれてしまいます。
先生の場合、沈思思黙系で真面目すぎるかもしれないカモ~
何かが心に浮かんだら墨を引いたり木を彫ったりで良いと思います。
私は自分に才能が無いと悟った時がショックでした。
師匠が18歳の時の頭像に未だ遥かに及ばないです。
人間には無駄な時間とか無いんですね、星を観てても、風景を観てても、ホケーとしてても心は育ってるんです。
むしろホケーっとしてる時間の方が大切かも。
作品が完成に近づくと眺めて反省する時間が増えます。
そんな感じでしょうか~
生意気言いましてすいません。
では又~
Commented by tatakibori at 2012-12-27 07:10
才能がないと言えば、小池邦夫さんこそその典型だと思います。
だからとことんまで自分の持つ本質を見つめて磨き上げたのでしょう。
大学の教師は学生に自分の実績や才能を見せてこの道の厳しさを教えるのだと思います。
学生をおだてるのは非常に危険ですから・・・。w
書は60歳からというのを読んでから毎日書くようになりました。
目標はいくつかあります、藤原定家とか良寛とか・・・。
仕事の勉強もゆったり進めたいと思っていましたが、
それでは人生の時間がまったく足りません。
書は仕事でないから死ぬまでゆっくり勉強を続けられます。
ゆっくりでも悩みながら書き続ける事がたいせつです。
書かないと前に進みません。
そして少し他人に見てもらう機会が必要ですね。
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