私の祖父は明治34年(1901)生れで、名前は山田哲(さとし)です。
父の生まれた大正14年頃から木彫刻専業を目指して大阪の学校へ通うなど
本格的な勉強をしたそうです。
最初の雅号はたしか「頭童(ずどう)」と名乗ったと聞いています。
由来は「ずど」、岡山弁の「たいへんな」と言う意味の接頭語です。
それから「勝雲(しょううん)」と変更したそうです。
勝は勝田郡勝間田町勝間田の地名からとっています。
勝間田は縁起の良い地名とされ、戦争中は生還を願い
出征は勝間田駅からする人が多かったとも聞いています。
隣の駅が「林野(はやしの)」で、「シ」の音が嫌われたそうです。
祖父は戦後になって日本原開拓団へ入植し、
訪ねてきた棟方志功に出会いました。
棟方志功と祖父は意気投合して、いつも二人だけで話し込んでいたそうです。
棟方は「勝雲」の「勝」の字が戦争をイメージさせるので、
「昭雲」と変えたらどうかと提案したのです。
それで祖父の雅号は「昭雲」となりました。
それは我が家にとってとてもおめでたい出来事で、
父(正志)は祖父の晩年に雅号を譲ってくれと懇願しました。
それで昭雲は2代にわたって使われたのです。
2代目の方が長く生きて、圧倒的に多くの作品を残したので、
昭雲叩き彫はほとんど父の作品です。
戦争体験のある人達には「勝負」や「武器」を嫌う人が多かったと思います。
玩具の刀やピストルもダメという人も珍しくありませんでした。
そういう人達が亡くなり、その子供達に当たる私達以上の世代もすでに老人の域です。
そこまで神経質だったのは過去のことで、今は政治家も「戦い」で
「勝利」しなければなりません。
祖父や棟方志功の気持ちを思えば、
もっと深く静かに平和を願い、「戦争をなくす」国にならなければと考えます。
昭雲工房の「昭雲」は平和への願いで付けられているのですから。