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前岡山県知事が死去

今朝の山陽新聞のトップに前の知事の長野氏が亡くなったとある。
1972年に社会党など全野党と保守の一部の支持を得て初当選し6期24年間も知事を務めた。
立候補時は野党系だったがすぐに保守路線に乗り換えた変わり身の早さが若かった私は大嫌いだった。
バブルの後押しもあり大型プロジェクトを多く建設したが
定住者が少なかった吉備高原都市、歴史上かつて無いほどの立ち退きを強いた苫田ダムの建設
全く採算性の無視されたチボリ公園の建設、津山市の大きなお荷物になったアルネ津山も・・・
県民にとってこれほど多くの負の財産を残した知事も少ないだろう。
岡山県は財政再建団体の一歩手前から抜け出せないまま長い時間が経っている。
個人の作った会社や事業が行き詰れば創業者なりその後継者には負債が重くのしかかる。
県知事なら議会に諮るわけだし個人への責任追及は珍しい。
その遺族に対して責任を追及することは絶対にないだろう。
大きな悪は追求されないが、個人が誤ったわずかの借金は子供や親族までに追いかけてくる。
本当に憤りを感じてしまうのだ。


それと対照的な人物が今、世界的に話題の観光地となった瀬戸内海に浮かぶ
直島の町長だった故三宅親連さんだ。
この方は直島の神社の宮司の家に生まれ戦後9期36年間も町長を務められた。
父とは戦争中からの長い付き合いだった。
三宅町長なくして今の直島の有名な建築の数々はなかったのだから
世界的な観光地に発展した基を作ったのは三宅町長と断言できる。

私が木彫を始めたばかりの頃に「彫った作品を持ってお出でなさい。」と声をかけて
下さったのはありがたい思い出だ。三宅町長の励ましは優しく大きなものだった。

直島はこちらに解説



余談であるが長野知事も現職時代に私の仏像を見かけて感動し買い求めている。
あまり悪口を書くととあの世からお叱りを受けるかもしれない。(笑
by tatakibori | 2006-12-06 12:57 | 愚痴
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