京都転住

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いにしへは こゝもあだし野 落柿舎の なぞへの丘の 草紅葉かな
(右、京都轉住當時落柿舎附近景観)
昭和33年12月に保田師は郷里の大和桜井から京都太秦三尾町「身余堂」へ移られた。
私が初めて身余堂を訪れたのは昭和49年8月だったと思う。
麻の甚平を着て仙人のように現れた保田師と
これも初めて見た河井寛次郎の作品が印象的でした。
よくもまあ、無知な高校生を相手にして下さったものだと
今さらながら恥ずかしくなるような初訪問でした。
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by tatakibori | 2007-10-10 20:37 | 仕事 | Comments(0)
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