カテゴリ:アート( 24 )

地域おこし型アートイベントのその後

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昨年の秋に参加した地域おこしのイベントの報告書が届きました。
近隣の町で地域おこしのNPO法人が主催し、市がバックアップする
しっかりしたイベントで、今回が4回目でした。
これは岡山県北では体験型アートイベントの先駆けとして果たした役割は
大きく、その後の模倣したイベントの出現が示すように革新的なものでした。
そして、地域おこし協力隊員、県内大学生のボランティアが参加することによって
イベントは地方創生推進事業(?)としての性格を強めていったようです。
地元の古くからの基幹産業である林業をからめたり、発酵食品のレストランが
参加するなど地元色を強めて、美術工芸のイベントから一歩も二歩も
進んだイベントに発展してきました。
ワークショップのプログラムは50ほどあったようですが、美術工芸に
絞れば20の作家や団体のものがありました。
報告書をざっと読むと、地元の作家のブースには体験者が多かったようですが、
遠方からの作家のワークショップは体験者がとても少なかったと書いてあります。
地域おこし型のイベントとしての取り組みは成功し次への大きな可能性を示した
のですが、私達作家サイドから見るとクラフト系アートイベントに参加する
メリットが少なくなってきているように思えます。
私もこれの模倣のイベントを開いた事がありますが、さらにイベントは増えて
同時期に乱立するという状況もその原因です。
例えて言うなら、メルセデスの模倣を慎重かつ巧妙にやったトヨタが
上手く行ったので、それに続くヒュンダイなど第3国の模倣がどんどん
出てきたようなものです。
後発組の経費をかけずにコンパクトに地元住民に貢献する手っ取り早い
効果も見逃せません。
乱立から淘汰が始まり、厳しい状況に置かれるのは自治体や地元住民では
なくて美術工芸作家のような気がします。
どのイベントでも「継続」が叫ばれますが、毎回の赤字を支えるだけの
基礎体力は作家個人には望めません。
地域の文化によるまちづくりと個々の作家につながりの無い部分を感じてしまいます。
継続によるイベントの日常化を目指すという意味では地域外の作家は
余所者でありプログラムのアイテムを増やす役割でしかない場合もあります。
自治体やNPO法人の活動は活発で大きな努力が払われ、
それなりの成果を得ているようですが、
そういったものと作家個人の活動は関連していない現状があります。
作家に求められているのは、イベントを通じて存在をアピールする事です。
主催者の意図をしっかり理解することがたいせつです。
お誘いいただくのはありがたい話なので、断ったり逃げたりしないで
よく考えて、それなりの準備と覚悟を持って参加するつもりです。
地域おこし型アートイベントは新しい時代に入ったのは確かです。



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by tatakibori | 2017-01-14 11:58 | アート | Comments(0)

作品と人柄

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芸術作品や工芸作品に作者の人柄、性格やその時の精神状態が出るのかどうか
という話があります。
以前にブログに書いた事がありますが、若い頃にある岡山の著名なお方に
ご案内いただき岡山美術館の館長さんにお会いしました。
簡単な紹介をされて挨拶したら、
「そういうのが一番困るんだよね。作者の内面がどうとか美術には関係ない
ものを創作の一義に持ってこられると・・。」で話はお終いでした。
当時その世界では名のあるキュレーターで評論家だった方なので
ものすごい違和感を感じた事だけが記憶に鮮明に残っています。

私も還暦を迎えて、それなりにこの分野を見続けてきた経験から言うと
やっぱり作品には人柄や性格が出ると思います。
言い切ると異論のあるところですが・・・、
例外的に現代アートでは二次創作というか便器だったり新聞紙のような
日常的な工業製品などを利用した作品があるので、作者の意図が
最重要になり、その人柄や性格が表れる「手作業」が少ないものもあり
作者の人柄を感じ難いものもあります。
逆に書道のように最終的には作者の教養や人柄が問われるものもあります。
美術大学では現代アートは教えますが、書道は美術大学の分野でないのが
気になるところです。
私は年齢を重ねてから、作品に表される人柄を強く感じて感動する機会が増えました。
そういう磨かれていく創作の表現力や受け手の感受性は
「老い」を美しいものと思わせてくれます。
そういった出会いや感動を味わうのが人生の喜びだと思います。
還暦を過ぎての将来の希望はそこにあると言えます。



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by tatakibori | 2016-07-05 21:21 | アート | Comments(0)

クラフトデイズのその後

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大袈裟に構えて立ち上げた地域おこし型アートイベントのクラフトデイズですが、
一年以上休眠状態になってしまいました。
初夏に何かやってみようと計画しましたが、参加者が少なくて趣旨に添うイベントに
発展させられそうになく見送りになりました。

誰でもイベントが立ち上げられるのを見せるのがクラフトデイズの目的でもあったし、
あれ以降は同様のイベントがますます増えて新しい作家の活躍の場がどんどん出来ました。
来客もイベントを場所、時期や参加作家の顔ぶれで選べるので、
自分の好きなイベントに出かけるようになってきたと思います。
作家の方からは確実に「雰囲気を重視して参加したい」という声が聞こえます。
ここから何かやるとなると今までの路線ではすでに古臭いというか
ありきたりのもので新鮮味が無いように思えました。
これから新しいイベントを開くとなると、それに求められるものは
今までよりさらに厳しくなるのは当然です。

最初のクラフトデイズの時は閉鎖的な社会に「疎外感」を感じている人たちの
交流を図るという比較的目新しいテーマを影に掲げていました。
アートがどんどん身近になって体験教室も増えてその疎外感の壁もかなり壊れてきたと思います。
状況が良くなっているのに人が期待ほど集まらないというのは、
ビジネスとして論じたら「淘汰が始まった」となります。
アーティストとして見ればどうでも良い事ですが、それでは社会や
共催の関係者などから不満が出てくるでしょう。
私はあるべき方向へ進んでいるのだから、正しい進化の現象だと思っています。
でも、それでは若い人たちの未来への希望を繋ぐ事ができません。
今さら還暦のオヤジが出て行ってリーダーシップをとるのはどうかと思うので
何か影で役に立つ助言が出来るような機会やシステムを考えてみたいと思います。
美作地域でアートイベントが増えたのは偉大な先輩方の存在が一番の力ですが、
クラフトデイズが示した誰でも簡単にイベントが開けるやり方や雰囲気も
大きな貢献をしていると評価して下さる方々もあります。

いよいよ春本番でアートイベントは盛りだくさんです。
さて、私は何処に行きましょうか?



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by tatakibori | 2016-03-20 19:37 | アート | Comments(0)

個人美術館その2

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私の住む町にある美術館は自治体の名前を冠していますが、
内容は個人美術館と言って良いと思えます。
設計した世界的な建築家磯崎新個人の芸術表現に徹しているからです。
内容は4人のアーテストの作品を恒久展示するものですが、
それをまとめる器の方がはるかに主役です。
アーテイストは親しい友人や磯崎夫人であり、磯崎の支配下にあると言えます。
個人の名前がついていないのは運営、所有が自治体であり、すべての資金は
自治体を経由して防衛省が出したものだからです。
設立の経緯はともかく、強い個性を持った美術館はその後に誕生した
直島の地中美術館などに大きな影響を与えたようです。
アーテイスト個人の資金ではここまでのスケールのものは作れませんが、
そのアイデアは独創的で、スケールダウンしても通用すると思われます。

この美術館は当初の恒久展示だけでの集客には低い限界があって、
別にあるホールでの美術館職員の企画による有名でない地方アーティスト中心の
展示によって集客に成功しているようです。
潤沢な資金や有能なキュレーターがあってようやく成り立つのが、
個人美術館の難しさを示していると言えます。
しかし、この場合には採算性とか費用対効果という一般的な経済常識を
持ちだして論じるのは意味がありません。


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by tatakibori | 2016-02-15 12:15 | アート | Comments(0)

個人美術館

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個人美術館とはその土地にゆかりの著名な芸術家の作品を展示してあるものですが、
個人的な美術館というか作家が自作品を展示する目的のものもあります。
さらに個人のコレクションを展示しているものも含まれるように思えます。
岡山県北でも広く海外に見分を広めた芸術家が作った個人美術館がいくつかあります。
このタイプの美術館は欧州では珍しくない存在なのでしょう。
営利を目的としないで、個人経営なら週に1日だけ開けるとか、
見学は予約のみとか、一年の半分は閉館など自由なやり方の運営が多いようです。

カフェ(飲食店)でアート作品を展示販売する店が増えてきたのも
新しい動きだと思います。
民家で限定的なレストランというスタイルもありますから、
特別な建物でなく普通の住宅を改装しないでカフェと個人美術館を
限定的にやってしまう方法もあるかもしれません。
私が子供の頃に我が家では座敷を貸して行商人が大島紬とか
有田焼の展示販売をやっていました。
江戸時代の芭蕉とか円空も旅先で土地の有力者の座敷を借りたり、
寺院の境内などでそのパフォーマンスを展開したようです。
販売に経費をかけない方法は売価を抑える事につながり、
作者にとってもファンにとっても有利という考えも成り立ちます。
今の時代や環境に合った昔からある営みのようで新鮮な感覚の展示販売・・・・。
今世紀に入ってからの流れから感じて思うのはそういう方法です。

田舎の温泉町にある個人美術館を見てそんな事を考えました。

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by tatakibori | 2016-02-12 20:11 | アート | Comments(0)

草枕

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漱石の草枕の冒頭は
 智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

という名文で始まります。

その後に続く
あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、
人の心を豊かにするが故に尊とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。
あるは音楽と彫刻である。
こまかに云えば写さないでもよい。
ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」)鏘(きゅうそう)の音は胸裏に起る。
丹青は画架に向って塗抹せんでも
五彩の絢爛は自から心眼に映る。
ただおのが住む世を、かく観じ得て、
霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の
俗界を清くうららかに収め得れば足る。


心豊かな世界に強くあこがれを持ち、
詩を読み、音楽を聴き、書と絵を描き、
木を刻み、カメラを提げて歩いてきました。
少しでもこの世が美しいものであって
欲しいと思うから、
美しいものを探し、それを切り取る
のが私の仕事でありたいと願って
きたのです。
百年前にすでに結論は偉大な文豪によって
出されていますが、その出展を遡れば
ゆうに2千年を超える古の世界にたどり着きます。
何か新しい事をしなくても先人の文化を
トレースするだけで充分だと思ったのは
二十歳の頃です。

ピンチとは打つ手がなくなった、
八方塞(ふさがり)の状況です。
まだまだ打つ手もあるし、
道は目の前にいくつも広がります。
ピンチを作るのは役人で
道を開くのが芸術家だと
今は思っています。
責任重大です。
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by tatakibori | 2014-09-20 20:08 | アート | Comments(1)

カリスマ

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私は印象が薄い、存在感がない、カリスマ性に乏しい、オーラがない、
芸術的インパクトに欠ける・・・等々を言われる事があります。
親しい友人は芸術家にしては普通というか、常識的な人格だと私を評価します。

オーラとは「霊気」ですから発する人と受ける人があって成り立つ現象であり、
きわめて抽象的で科学的根拠に欠けるかもしれません。
カリスマとはwikiには
「預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・または常人を超える資質のこと」
とあります。
やや詐欺師っぽい雰囲気のようにも思われます。
カリスマの演出をアドバイスしているサイトには態度や服装についても書いてあります。
人の話を聞きながら答えを考えるのは良くないそうです。
2秒くらい間をおいて返事するのがカリスマ性の演出になります。
服装は、より男性的、女性的に心がけるのが良いそうです。
男の場合、ヒゲや軍服、サングラスなど浮かびます。
インパクトとは「衝撃」ですが、強い影響力という意味に使われているようです。
非凡な発想で社会のモラルを無視するのがより強いインパクトのようです。

まあ、ありもしない超能力を示すための演出の話にも思えます。
そういう訳で、私はこれからも平凡に生きていたいと思います。
私の考える芸術は中国の伝統社会でいう「文人」の文化学問であり、
それを語る人の集まる「サロン」なども必要です。
現代なら映画やジャズに始まるサブカルチャー的な文化に対する
基礎知識なども求められます。
文化の全部を網羅できませんが、個性に応じて文人である事が
芸術を愛でる人ではないかと言うのが私の考えです。
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by tatakibori | 2014-07-26 19:51 | アート | Comments(0)

イクシラ2014春号の原稿下書き

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伝統の精神
美しいか、美しくないかの判断はきわめて個人的な感覚で、直感的である。
それ故に世の中の現象としては不安定なものだ。
ではその根拠は何処にあるのだろう。
言うならば、魂の不滅と永遠である。
我々に連綿と続いた普遍の価値観の中にこそその永遠はある。
米作りの文化の中に無窮の生命の連鎖があって、
それに立つ民衆生活の中に伝わる美意識こそがその拠所であると信じたい。
我々は千四百年前に造られた法隆寺と21世紀の安藤忠雄の建築に似たような感動を覚える。
それぞれの造形は伝統とは言えず、伝統の一部から出たものであり、
何らかのデコレーションが堕落を生んでいるとも言える。
伝統と言うのは、例えば田舎の器用な百姓や職人が民族本来の造型を
生命の連鎖に従って続けてきたものである。
それはあたり前の仕事であり、止むに止まれぬ仕事であり、楽しく誇らしいものでもある。
昭和20年代に棟方志功が作州に残したわずかの足跡が細々とでも伝わってきたのは、
それが民族の伝統に沿っていたからに他ならない。
棟方の芸術が原始の生命の息吹とか天衣無縫と呼ばれるのはかなり一方的な意見である。
それは最高の文化にたどりついた民の生活がかもし出す繊細さに満ちた感情表現であり、
ある意味で緻密な計算によった高度な洗練を持っている。
しかも生命の永遠な寂寥感をかりたてるほどの魂の力を持つ。
そういうものに感動を覚えるのが伝統の精神による美の判断である。
そしてそれは我々の身にしみ込んだくらしの心である。
芸術は伝統を捨て去ろうとするほど生命を失ってしまう宿命を持つ。
そこへ帰っていかなければならないように我々のくらしも伝統の中にこそ永遠の未来を持ち得るのだろう。
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by tatakibori | 2014-02-16 19:55 | アート | Comments(0)

鑑定から体験へ

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長引く不況と言われながらも骨董や古美術の業界は相変わらず盛況だそうです。
テレビの人気番組の影響で一般の人まで鑑定に興味を持った事もあります。
少しぐらい美術に興味を持つ人ならだいたいの相場など常識化してきて
多少の事では驚かなくなってきました。
そうなってくると希少性の高い、所謂レアものを探さなければなりません。
勢い余って出所の定かでない大作まで登場して話題になります。
すでに行き着くところへ来てしまった感があります。

岡山では駅前に新しくできる超大型ショッピングセンターが話題です。
面白いのは「体験型の店作り」とかテレビのスタジオ、コンサートホール、
そして「芸術作品のミュージアム」が設置されるそうです。
いよいよ美術もデパートからショッピングモールへ場所を移す時代になったのでしょうか。
それよりも「体験型」というキーワードが気になります。
美術工芸の作家達の仕事でもワークショップなど教室を開いて、
人の輪を広げたり、作品に親しんでもらうイベントが多くなってきました。
若手はむしろワークショップが主体だと言います。
その作品の楽しみが、金銭的などの価値を見出す事より
どうやって作っているかと言うこだわりや技術への理解へと
移っているようです。

私の個人的な仕事の範囲では、一億円の版画には興味を持たなくても
自分で楽しむポストカードに熱中する版画ファンが多いようです。
自分で彫って、飾ったり、手紙にして人に送れば
より純粋な芸術的行動であり、崇高な満足が得られるのは
間違いありません。
そこに血の通った、肌の触れ合いがあり、
今生きている人をたいせつにする気持ちがあるからだと思います。


時代は確実に「鑑定」から「体験」へと動いています。
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by tatakibori | 2014-01-30 07:33 | アート | Comments(0)

続・アートによる町おこし

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以前、アートによる町おこしがブームだという話を書きました。
その後、行政の人や市民などから現場ではどう考えて
どのように進めようとしているか実際に話を聞いたり見る機会を得ました。

一つの大きな動きとして、
政府は中心市街地活性化基本計画というのを進めています。
イオンなどの大型商業施設の進出で全国何処へ行っても
古い商店街は閑古鳥の鳴くシャッター街と化しています。
そこへある程度の資金を投入して歴史的、文化的に意義のある
街作りを進めて観光客の誘致を含めた活気のある再生を目指すというようなものです。
津山でも平成25年3月末に認定が決まり、新たな動きが始まっています。
ここでもアートによる町おこしを模索中です。
ある程度の資金がありますから、作家を誘致して工房やショップを開いたり
アンテナショップ的な展開やアートイベントとなど期待はふくらんできます。

話を聞いて、それを受けて移住したり店を構えるだけのアーティストが
どれだけいるだろうかと思いました。
たいへんなアートブームのように見えますが実際に美術工芸を生業としている
人の数はたかが知れています。
先日の工芸作家展「クラフトデイズ」を開催したので岡山県北のその実態がかなり
把握できたと思います。
若手が増えたように見えても、
実際に津山市内で専業の陶芸家を探してみると若い人はほとんどいません。
染織家のほとんどはある程度の年齢から始めた少し年配の女性です。
それを生業とするのが如何にたいへんな事かを物語るようです。
変な比較かもしれませんが、
今日のニュースで医師の数が30万人を超えたと言ってましたが、その割合なら
津山市に250人以上の医師がいるようです。
美術工芸に限れば、作品を売ることで生計を立てているアーティストは
多く見積もっても数十人の域を超えません。
アートによる町おこしより医療、福祉による町おこしの方が効果的で
あるのは間違いありません。
何故、そこにアートが必要なのかをよく考えて欲しいのです。
このブログに書き続けた話でもありますが、国の制度に頼らない、
法律ではカバーできない原始的な経済活動がそこにあるからです。
マクロ経済には貢献しにくい小さな活動ですが、それが生きて行く
根源であるのが美術工芸(昔で言うと職人仕事)なのです。
多くの小売業はメーカーの作った商品を仕入れて地域の人に売ります。
工芸作家は自分で素材から作ったものを都市部へ持って行って売ります。
地方の地域経済を考えると小さくてもその活動の方向性の持つ大きな
意義が美術工芸の作家活動にはあるのです。
GDPには現われてこない豊かさを創造しているのは言うまでもありません。
里山資本主義という言葉がありますが、広義で地産池消と同じような意味だと思います。
農業や食料品関係はそれが最も自然で豊かな方法です。
安価であるべき食料品に多くの輸送コストをかけ、化石燃料を消費してしまうから
値段が高くなるのです。物にはそれに似合った消費形態があるはずです。
美術工芸の場合、都市部へ持って行って多くの経費をかけて多くを売りさばいても
利益率が下がっている現実があります。
もしも美術工芸の地産地消があるならば小さな経済活動でより多くの
利益をあげて、ささやかな豊かさを作家が手にする事が可能ではないかと
言うのが私の考えです。
アートによる町おこしを考えるなら、それを一番に考えなければ継続性を
持たないように思えます。
未だ、行政は資金を作家へ投入する方法や支援を考えてはいません。

・・・作家サイドからみた考えをまとめてみました。
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by tatakibori | 2013-12-22 19:42 | アート | Comments(0)