カテゴリ:音楽( 73 )

ボブ・ディランの誕生日

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今日、5月24日はボブ・ディランの73歳の誕生日です。
ちょうどその日、ポール・マッカートニー(71歳)は体調をくずし東京で入院中です。
コンサートツアーはキャンセルされ、本人も興行元も大きな損失だと思われます。
ボブ・ディランは3月末から4月にかけて日本で17のステージをこなし
無事にコンサートツアーを終えています。
ポールは2回の国立競技場と大阪長居ヤンマースタジアムの合計3回の
ステージの予定でした。
10万人に影響が出たと言われています。
ボブ・ディランはライブハウスの公演ですから17回でも
数千人の観客と思われます。

写真は1996~97年に発売されたディランのアルバムと
トム・クルーズ主演「ザ・エージェント」(原題Jerry Maguire)のサウンドトラックアルバムです。
ディランはこの映画のために「Shelter From The Storm」を録音しなおしています。
どこかで読んだ記憶があるのですが、1975年に録音したこの曲の歌詞を書き換えて
この映画のために新しく録音したのです。
ディランは1975年当時の若い声を出すためにボイストレーナをつけて
発声に努力したそうです。
このオルタネイトバージョンは1997年発売のベストアルバムにも入っています。
もう一枚のアルバムは1997年のオリジナルアルバム「Time Out Of Mind」です。
97年当時のディランの無理しない声が聴けますが、
先のShelter From The Stormとは全然違う年寄りの声です。
このように分析するとディランは無理はしませんが、努力家なのが分かります。

先日、夫婦喧嘩の度が過ぎて逮捕されたポール・サイモン(72歳)と比べても
ディランは真面目に見えてしまいます。
本人はいたって普通のオヤジだと自称しているそうですが、なんとなく納得です。
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by tatakibori | 2014-05-24 19:35 | 音楽 | Comments(0)

一番好きなギタリスト

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一番好きなギタリストは?と聞かれたら・・・
その場合、やはりロックですから、ジョージ・ベンソンや渡辺 香津美は
残念ながら外さなければならないでしょう。
素直にジミ・ヘンドリックスといきたいところですが、
ローリングストーン誌の選んだ史上最高のギタリスト100選からでは
ミーハーすぎて味が無いようにも思えます。
私が選ぶギタリストはデイヴィッド・リンドレーです。
ジャクソン・ブラウンとの共演で知られるスライドギターの名手です。
ややスワンプ系のミュージシャンで、バイオリンやマンドリンもこなし
カントリー色も強い・・と言ってしまうのはアメリカロックを知らなさ過ぎるとも言えます。
よくライ・クーダーとも対比されるようですが、サウンドは圧倒的に繊細で
豊かなメロディラインを持ちます。
むしろリトル・フィートのローウェル・ジョージに近い存在だと私は感じているのです。
南部色の強い、土臭さがスワンプ系の特色のように言われますが、
実際にはジェシ・エド・デイヴィスのように繊細でグルービーで尚且つ
ファンキーなリズムがスワンプの持ち味なのです。
リンドレーに最も近い日本のギタリストなら鈴木茂を挙げておきます。
はっぴいえんどのギタリストでユーミンのバックでエレキを弾いていた人です。
普通の日本人なら、リンドレーのその耳あたりの良いサウンドは
ユーミンで馴染んだ音に近いから・・となるわけです。
デイヴィッド・リンドレーの最も彼らしい演奏はジャクソン・ブラウンの
レイト・フォー・ザ・スカイで聴く事ができます。



これだけマニアックな固有名詞を並べると、文章が読む人の多くに対して
ハードルというよりバリアを作ってしまいます。
これのもっと酷いのがアート系の評論文です。
誰も知らない固有名詞を常識であるかのような前提で
文章や語りが始まれば、カリスマ的な崇高さが
そこに漂う場合があるからなのでしょう。
これが固有名詞の高度な使用法です。
しかし、「山田尚公作品展」と題するだけでも
その名を知らない人にとってはは「気取りやがって」となります。
よく分からないものはとりあえず否定しておけば安全だからです。
かように固有名詞は人と人の距離を作ってしまう凶器にもなるのです。

タイトルとは無関係に固有名詞の危険性について書いてみました。
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by tatakibori | 2014-04-11 21:00 | 音楽 | Comments(0)

個人的レコード大賞2013

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私達の世代になると、けっこう音楽が好きなような人でも
「CDはもう長く買っていない。」
「好きな音楽は固定しているからそれ以外はほとんど聴かない。」
という人があります。
80~90年代にかけてカタログ的な物欲雑誌というか
消費衝動を刺激するための雑誌が多くありました。
そもそも雑誌という存在がそのためにあったのでしょう。
それが嫌だという人もいますが、
たいていの場合は雑誌でも眺めて
何か欲しくなるような物を探して
生きて行く希望を求めていたのだと思います。
何も欲しいものがなくなった時は、
希望が少なくなっている時でもあります。
美術工芸の場合でも、眺めても何も欲しくなるような物が無いというのは
希望が少ないと言えるのかもしれません。
物自体が持つ魅力もそうですが、それを作った人や
その環境や雰囲気に魅力を感じないと消費欲はわいてきません。
それは価値観を共有できるという事でもあるから、
そこに人と人のつながりがあればこその消費欲なのでしょう。

さて、私の今年のCD購入履歴を見ると写真にあるのが全部です。
去年よりもさらに少なくなってしまいました。
しかも、ほとんどが廉価版のジャズのセットです。
新譜はライ・クーダーのライブだけですが、
これも内容は70年代の再演です。
去年買ったビル・エヴァンス、マイルス、モンクと合わせて
まるでジャズ喫茶が開業できそうになってきました。
このシリーズなら合計金額で2万円も買えばジャズ喫茶の音源として
必要最低限は確保できるのは確かです。
これらをMP3のデータにしてSDカードに入れると
レコードにして数百枚が手軽に持ち運びできて、
クルマの中でもパソコンで作業中でも聴く事ができるのです。
アナログのLPレコードを楽しむのも良いし、
手軽なデジタル音源で楽しむのも良いです。
40年くらい前から思うと夢のような贅沢さです。
そうやって多くのジャズやロックを聴いていると
50~60年代の古い音楽を超えるものが
それ以降はほとんど出てきていない事にも
気がついてきます。
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by tatakibori | 2013-12-27 10:13 | 音楽 | Comments(0)

個人的レコード大賞2012

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去年は新譜を2枚買ったと記録してますが、
今年はとうとうボブ・ディラン「テンペスト」一枚のみです。
アマゾンの履歴を調べて今年買ったCDを全部並べてみました。
上原ひろみは東京ジャズ2011の演奏が素晴らしかったので
去年発売のCDを買ってみましたが、テレビの東京ジャズのほうが良いようです。
廉価なジャズ名盤5枚セットのビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、
セロニアス・モンクはとてもお買い得でした。
クルマの中でよく聴いたのはポール・サイモン・ソングブックとチック・コリアです。
チック・コリアは天才だと思いますがこのソロ演奏を聴くとテーマが絞りきれて
ないというか、気が多すぎるようです。
だから、名盤というほどではないですが曲によってはゾクッとくるものがあります。
ポール・サイモンの最高傑作はこのアルバムに尽きるわけで、
これを越えられないのが彼の苦しいところなのかもしれません。

今年は、私自身がCDを買う元気が少し足りてなかったようです。

よって、今年も該当作なしという結果です。w
来年はもっと色々な音楽に出会いたいものです。
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by tatakibori | 2012-12-30 19:04 | 音楽 | Comments(8)

浄瑠璃

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父は浄瑠璃が大好きでした。
若い頃から教育テレビの中継を録音して仕事をしながら聴いていました。
晩年には義太夫のCDを手に入れてうれしそうでした。
大阪の人形浄瑠璃を見に行ったのはおそらく一回だけです。
大阪市ではこれへの補助金を巡ってもめているようですが、
日本文化の大きな存在ですから滅んでしまうような事があってはなりません。
そもそも歴史的に見ても、道頓堀の劇場が350年ほど前に出来上がり
長く世界最大のアミューズメント地区として大阪の繁栄の象徴だったのです。
父が好きだったのは「菅原伝授手習鑑」「絵本太功記」「仮名手本忠臣蔵」で、
その他には「義経千本桜」などオーソドックスな演目です。
昔のこの手の物語は「忠義」とか「大義」など今では無くなってしまった心の話が多いようです。
冤罪とか左遷、更迭、讒訴(ざんそ)、復讐・・・一見そういう言葉が浮かんできますが
醜い人間の感情を表しているのではなくて「正義」を何処に感じるかという微妙な部分に
深く入り込んで人々の共感を得ていたのですからこのあたりに日本人の
正義感の根本があったと考えられるようです。
「判官贔屓」という言葉が今でも生きているのはそれがとても美しい心だからです。
明治天皇が楠正成の忠誠心を高く評価したのは何故だったのか、
そのあたりの解釈にはイデオロギーで個人差があると思います。
高校の時に日本史が一番覚えにくかった理由は誰が勝者かハッキリしないし
誰が正しかったのかもよく分からない争いに終始しているからだったと思います。
「国破れて山河あり」というのは日本には無かったのです。
戦いで片方が一方的に勝ってしまうのは日本の考えでは無いと言えます。
2、3年もすればすぐに事情が変わるのが日本史のややこしい所で
これでつまずいて苦手になる人も多いと思います。
その瞬間、瞬間で人々の気持ちを惹きつけた者がその時の正義になり得るようです。
そのダイナミックなベクトルこそが美しさを持つのです。
明治天皇が感動した歴史物語こそ、その美しさです。
これが日本の古典芸能、文学の根底にあります。
そしてそれは現代においてやや嫌われているのかもしれません。
白黒つけるとか、絶対の正義では無いのが古くからの「やまと心」の文化です。

そんな古い物語やお芝居で育った人々が黒澤映画に衝撃を受けて
虜(とりこ)になったのだと父は話していました。
「七人の侍」で最後の勝者は百姓だったのがまた日本人の本質だろうと言ってました。
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by tatakibori | 2012-07-05 11:13 | 音楽 | Comments(0)

6月29日

今月はできるだけブログを書いてみようと努力しましたが
なかなかネタが無いのでかなりの難行になります。

今日6月29日はローウェル・ジョージの命日です。
1979年に34歳でドラッグのオーバードーズによる心不全で死んでいます。
彼には当時は全く注目していなかったので、没後にジャクソン・ブラウンの
Of Missing Personsという遺児に捧げた歌で彼の短い生涯を知りました。
ジャクソン・ブラウンの曲はいかにも日本人受けしそうな哀調を帯びていて
その後のJ-pop(ミスチル、尾崎など)に大きな影響を与えたようです。
ローウェル・ジョージはスライドギターの名手でもあり、どちらかというと
南部ロック風で一般の日本人受けしないタイプの本格派です。
この手のミュージシャンには珍しく裕福な家庭で育ったのが
その才能をさらにストイックに磨き上げたのでしょう。
「ウェイティング・フォー・コロンバス」というライブアルバムが最高傑作と言われています。
まさに楽しさあふれるアメリカ音楽でシンプルなブルースながら華やかで多彩なリズムで
体が自然に動いてしまうノリの良さです。
動画がYoutubeにあるので歌う姿が見られます。
とてもドラッグ漬けとは見えない穏やかな表情で美しい音楽を演奏しています。
日本人のドラッグ中毒がもとで死んだミュージシャンが
見るからに危険な表情をしているのとちょっと違うのが不思議です。
そんな儚い人生だったのに勇気や希望を感じさせてくれます。
ほんとうに惜しい人だと今も思います。
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by tatakibori | 2012-06-29 17:08 | 音楽 | Comments(0)

怒りをぶつける

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怒りとか憎しみがテーマになった芸術というのはその存在自体が難しいと思います。
テレビの討論番組なら分別のある学者やジャーナリストがおとな気ない
喧嘩をして見せるのが面白いから人気がありますが、しょせん娯楽の延長です。
ボブ・ディランのアルバム「欲望」(1976)に「ハリケーン」という長い曲があります。
有名な冤罪事件をテーマにした社会性の強い「怒り」をぶつけた作品です。
わずか15分で書き上げたというのもその激しさをものがたります。
このアルバムはディランとしては一番売れた作品で、
日本のニューミュージックと呼ばれたフォーク系の音楽のバイブルと言えます。
これを知らない人が初めて聴いたら新鮮味の無いちょっと古い日本風の音楽に
聴こえてしまうかもしれません。
冤罪事件の被告「ハリケーン」ルーベン・カーターは事件の起きた1966年から
22年間もの長い獄中生活に耐え、疑い晴れて釈放されたそうです。
ディランは意外と単純な性格なので1975年にこの冤罪事件の事を知り
熱い思いで曲を書いてハリケーン支持の運動に大きく貢献したのですが
それが実を結ぶまでにはさらに13年もの時間とより熱心な支持者が必要だったのです。
ここからは私の想像ですが・・・
冤罪事件は状況としてはかなり不利なものがある場合が多いと思います。
実情を知れば素人が簡単に発言できないのを知るはずです。
実際に一度録音されたテープを聴いた弁護士から事実誤認を指摘されて
録音をやり直したとあります。
ディランは飽きっぽいから嫌気がさしてこの運動から上手くフェードアウトしていきます。
この後、フォークロックの新境地と思われた世界はあっさり捨てて、キリスト教に改宗して
ゴスペル、ソウル、レゲエ、スカなどへ傾倒していったのです。
怒りをぶつけるとか社会問題に手を出すのは彼の音楽とは違う世界です。
後輩のジャクソン・ブラウンは1982年以降、政治的な問題をテーマにして
ファンから長く見捨てられます。
それさえなければ日本でももっと売れたかもしれません。
日本でも大麻の好きな社会派の歌手(故人)を支持する向きがありますが
アメリカ・ルーツ音楽は踏襲していますが日本語の美しさが皆無なのが惜しいところです。
ネガティブなパワーは芸術の源にはならないというのが私の考えです。
常に美しいものを目指していかなければなりません。
対峙する人々が涙を流す芸術もありますが、それは熱く美しい涙なのです。
この世の不条理や憎しみや悲しみが満ち溢れているその中から
美しいものを拾い上げて積み上げるのがほんとうの芸術家です。
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by tatakibori | 2012-06-26 21:09 | 音楽 | Comments(4)

詩と音楽・その2

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新しい詩の流れとしてこれからの文学を考えてみました。
具体的に例をあげて示さないと意味が分からないし
ずるい意見になるので、好きな詩からその可能性を考えます。
もちろん分かり易いJ-POPから引用しましょう。
先ず、私はJ-POPの場合は意味を深く考えるのは愚行だと
しているのをご理解下さい。
意味不明になろうとも音の響きがよければ美しい音楽になるのです。

ユーミンは新鮮な音楽と新しい言葉の流行を多く作った
20世紀の終わりを代表する詩人の一人だと思います。
「悲しいほどお天気」、このタイトルには驚きました。
たいへん美しい音の並びです。
カ行で始まり、カ行で終わるのがたいへん収まりと歯切れを良くしています。
別の切り口ですが、「中央フリーウエィ」は当時、詩の中に出てくる街の学校に通っていたので、
こんな景色からよくもまあ、あれほどロマンチックな詩が書けるものだと感心した次第です。
一番ジャズのリズムを感じたのは「リフレインが叫んでいる」です。
「どうしてどうして僕たちは出逢ってしまたのだろう こわれるほど抱きしめた」
ダ行の入り方とサ行とカ行のバランスが言葉の響きだけで複雑なリズムを現します。
これはバブル期のJ-POPで最高傑作だと今でも思っています。

21世紀になると鬼束ちひろが登場します。
「月光」はショッキングな詩と素晴らしい歌唱力と優秀録音の名曲です。
でも、詩にポイントを当てると「私とワルツを」に注目したいのです。
「誰にも傷が付かないようにと ひとりでなんて踊らないで どうか私(あたし)とワルツを」
これもダ行のアクセントがポイントです。
「私」を「あたし」として「ワルツ」の「わ」が重り野暮ったくなるのを
嫌ったところが天性のミュージシャンです。

お気づきでしょうが、この観点では二つの歌は似ています。
グッと引き込まれるようなリズムは例えばセロニアス・モンクの「ブルーモンク」とか
チック・コリアの「スペイン」のような不思議な感覚に共通しているのです。
そう思うのは私だけかもしれませんが・・・。
こういうのが新しい詩の始まりになると思います。
言葉の意味を追うような詩でなくてリズムと音の響きが優先されるのが望ましいのです。
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by tatakibori | 2012-06-24 18:11 | 音楽 | Comments(4)

詩と音楽

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明治になる前、詩は短歌や俳句が中心で長いものは流行らなかったそうです。
明治になって西洋の文化が入ってきて、森鴎外のような留学した人が
西洋の詩を翻訳したのが現代の詩の始まりだったのです。
土井晩翠とか島崎藤村が出てきて大きな歴史を作ったのが20世紀の初め頃です。
詩は音楽だから、その新しいジャンルの詩はそれまでと違う新しい音楽を
下地にしていたのです。
それは教会で歌われる賛美歌に行き着くというのが浅野晃の説です。
近代日本の歌、唱歌などはキリスト教の音楽をベースにしていると言われると
なるほどと頷いてしまいます。
石川啄木、宮澤賢治とか中原中也の時代はそういう流れで進んできたように思えます。

1930年代になってジャズが大流行しましたがそういう新しいリズムや音階を
踏まえた詩が出てきたのはどのあたりからなのでしょうか。
広義のジャズとするとゴスペルやブルース、ソウル、ロックやフォークソングを
含めて20世紀アメリカ音楽と考えても良いと思います。
「上を向いて歩こう」が米国でヒットしたのは歴史的な出来事ですが、
詩は字足らずで変な歌い方になりジャズに乗り切れていなかったのは
過渡的なものを感じさせます。
詩人で言うと寺山修司とか谷川俊太郎など昭和生まれになってきて
新しい空気が流れたようです。
ビートルズ、ボブ・ディランの影響を受けた松本隆は確実に新しい世代を作りました。
その頃、村上龍がもっと幅の広いロックの文化を我々に教えてくれました。
そして、ユーミンの詩は新しい時代を切り拓いたものがあるでしょう。
平成になってからだとMr.Childrenの桜井和寿など新鮮な響きがありました。

今、ルーツミュージックと呼ばれるアメリカ音楽がブームですが
もう一度そういうリズムやメロディを踏まえた日本語の詩の発展が
欲しいと思います。
贅沢を言えば、マイルスやビル・エヴァンスのようなモードジャズの
複雑に絡み合うリズムの上に不協和音の音が乗った時に起こる
空間の輝きと同じものを持つ詩(文学)が欲しいのです。
ミューズはギリシャ神話の女神ですが、音楽のみならず文芸、美術を
含む芸術文化の元です。
「彫刻は光と影だが、刻むリズムこそ重要だ」と父はよく話していました。
近頃、ジャズに浸ってばかりいてそんな事を考えています。
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by tatakibori | 2012-06-15 10:07 | 音楽 | Comments(0)

個人的レコード大賞2011

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なんと、今年買ったCDで新録音のものはこの2枚だけです。
ライ・クーダー「プル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウン」
ポール・サイモン「ソー・ビューティフル・オア・ソー・ワット」
どちらも今流行のルーツ・ミュージックをベースにしています。
懐かしいような安心感と、それでいてどこかとても新鮮なサウンドが魅力です。
他に、今年よく聴いたのはソフィー・ミルマンやリッキー・リー・ジョーンズなど
ジャズ系の女性ボーカルです。
全部が徹底したアコースティック・サウンドで高音質録音です。
2011年は原点回帰でありアコースティックの時代真っ只中であると言えます。
ライ・クーダーとポール・サイモンはどちらに軍配を挙げるか考えてみました。
私は、ライは案外にゴージャスなサウンドだと思います。
トラディショナルの曲を演奏するとそれが良く分かります。
ポールはかなり時間をかけてアレンジしていると思います。
数十回も聴き込むと凝った音作りがだんだん見えてきます。
クルマのオーディオで繰り返し聴いていても飽きないので
遠乗りの時に5回くらい続けて聴いた事もあります。
たいへん知的な音楽だと思います。
派手さや見せ掛けの洗練が無いので分かり難いですが
年輪を感じさせる芸術だと思いました。
ポピュラー・ミュージックは新しい時代を迎えているのだと思います。
という訳で、ポール・サイモンが今年の大賞に決定です。
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by tatakibori | 2011-12-24 19:08 | 音楽 | Comments(2)