カテゴリ:仕事( 219 )

横浜で叩き彫展を開催

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いよいよ今月の下旬、21日(水)~26日(月)に
横浜市青葉区寺家ふるさと村郷土文化館で個展を開きます。

前回同様に地元津山の仲間である染付けの福西雅之氏の作陶展が
隣接の茶室・白心庵で同時開催されます。
(福西氏はノーベル賞の山中伸弥氏と良く似ておられます。)

会場は田園都市線の青葉台駅よりバスで鴨志田団地行き終点下車
あるいは、距離はしれているので複数ならタクシーが便利です。
小田急線の柿生駅もほぼ同距離のようです。
駐車場もあり、お車でも大丈夫です。
あたりは、横浜市の北端に昔ながらの田園風景を残した地区の
素晴らしい風景と最高の紅葉が見応え充分です。

ぜひお出かけ下さい。

ようこそ 寺家ふるさと村 郷土文化館へ
交通のご案内
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by tatakibori | 2012-11-09 08:26 | 仕事 | Comments(7)

書の目標

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文房四宝を広げたついでに書いておきます。
写真は昭和48年に書かれた保田與重郎師の書「延喜式祝詞」です。
師は1910年生まれで1973年の書ですから63歳。
昭和の文人で最も美しい文字を書いたと讃えられた師が
六十の手習いと言ったその集大成の一つだと思います。
父はこれに習って書こうと思っていたようですが
それらしき物は残っていません。
まだ六十には早いですがこれを目標にして
毎日筆を持とうと思っています。
これの全文は長いので普通の大祓詞で練習中です。
63歳までには少しはものにしたいと願っています。
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by tatakibori | 2012-09-26 13:06 | 仕事 | Comments(0)

書道

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次回の個展のDM用にタイトルを書きました。
やっぱりフォントより遊び心を入れた手書きの文字が良いです。
父の書を知っている人が見たら「お父さんの字に似てきた。」と言うでしょう。
その父は祖父・哲に似た文字を書いていました。
その前の曽祖父・瀧蔵は少し固い感じですが似たような傾向の字でした。
父の話によると山田家の先祖が住んでいた地域の古文書を見た事があるそうです。
その多くは記録者が山田何某と記してあって我が家の先祖だったそうです。
そして驚くべき事に見たら分かるような山田家風の文字だったそうです。
特別にクセがあるのではないから他人が見ても分からないでしょうが
その血を受け継ぐ子孫であるが故に感じる強烈な個性の遺伝子を感じたのでしょう。
先祖の恵みとか遺産というのは無いので恩恵はありませんが、
山田家の血を受け継ぐ多くの親族が似たような文字を書くというのは驚くべき事です。
努力しても人並みのレベルに到達できない分野も多くありますが、
文字を書くには毎日の繰り返しさえ続けていればある程度望むように
書く事が出来るのは先祖の恵みの大きな一つだと感謝しています。
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by tatakibori | 2012-09-23 09:58 | 仕事 | Comments(0)

芭蕉句の解説文(下書き)

芭蕉句木版画の解説文の原稿

旅人と我名よばれん初しぐれ
「笈の小文」より。亡父の三十三回忌に伊賀へ帰郷する前の餞別句座の作。「神無月の初空さだめなきけしき、身は風葉の行方なき心地して」とあってこの句が続く。「時雨(しぐれ)」は芭蕉の好んだ言葉、十月の異称でもある。旅への焦がれる気持ちとこころの充実を感じさせ、美しい映画のような光景が浮かぶ。


髪はえて容顔蒼し五月雨
貞享四年、芭蕉四十四歳江戸深川にて。詞書に「貧主自ヲ云」とあり、まるでゴッホのような自虐的な自画像である。鏡を覗き込めば、不精から伸びた髪と木々の緑に染まった光が顔を蒼く染めている。「ようがんあをし」の音が美しく響く。


夏草や兵どもがゆめの跡
「奥の細道」奥州藤原氏の隆盛をとどめる史跡・平泉での句。七百年近くの時間を「ゆめの跡」と詠んだ。「兵」は視覚的にあえて「つはもの」とひら仮名で彫った。


蛸壺やはかなき夢を夏の月
「笈の小文」に記された最後の句。「明石夜泊」と詞書がある。「壺」の文字の面白さも句の味の一つだろう。古い時代の明石の蛸は多くが飯蛸だから浜に並ぶ壺は小さな物だった。


田一枚うへてたちさる柳かな
「奥の細道」下野国・那須での作。西行が立ち寄った柳の下で、しばし西行を偲んだ。柳は謡曲「遊行柳」で知られ、西行が「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ場所で、今も往時の姿を残している。


名月や池をめぐりて夜もすがら
貞享三年、深川の芭蕉庵に門人が集い舟を浮かべて月見をした。月見は今よりも身近な娯楽であった。ガ行を含む言葉の並びに明るいリズムがある。

一家に遊女もねたり萩と月
 「奥の細道」市振の宿で。「一家」は「ヒトツヤ」と読む。遊女、萩、月と並んだのが旅の宿の出来事。世俗を捨てた俳人にとっては遊女さえも美しい自然の一部なのか。


象潟や雨に西施がねぶの花
 「奥の細道」象潟(きさかた)は秋田県南部の名勝。「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」とある。一八〇四年の象潟地震で海底が隆起し、陸地化している。西施(せいし)とは春秋時代に越王・勾践(こうせん)が呉王・夫差(ふさ)に復讐のため贈った伝説の美女である。国を滅ぼすほどの美女の名が象潟と艶やかなネムの花と並ぶ。


さればこそあれたきまゝの霜の宿
 杜國の隠家を訪ねた折の句。坪井杜國は芭蕉の門下の逸材であったが、貞享二年に空米相場の罪で尾張藩を追われ渥美半島に隠れ住み、元禄三年三月二十日病に三十四歳で没する。江戸時代にも今の会社経営と同じようなテクニックやセンスが必要だったようだが、責任のとり方が現代の世界経済と違うのが興味深いところ。杜國はその人柄を多くの人に愛されながら薄倖の人生であった。死罪が決まっていながら「蓬莱や御國のかざり檜木山」という句作を知る尾張藩主のはからいで追放に減刑された。杜國の人となりを簡潔に語る句である。


何の木の花とはしらず匂哉
「笈の小文」伊勢参宮の句。西行の「何事のおはしますとはしらねどもかたじけなさの涙こぼるる」の本歌取りである。「蓬莱に聞かばや伊勢の初便」という伊勢の神宮への思い、「薦を着て誰人います花の春」という西行への思いの句もある。


枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
 自らをカラスと譬える句もあったと思い、ただ一羽のカラスを描いたが、芭蕉自身はこの句に複数のカラスを描いている。芭蕉三十七歳、漢詩の趣を持つ新しい俳諧の境地とある。


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
 「笈日記」芭蕉は大阪・御堂前の花屋仁右衛門方の離れ座敷でその五十年の生涯を終えた。この句は最後の作であるが辞世ではない。生涯に十句を残せば良いとしたストイックな旅の詩人は死の病に臥していながら夢の中で旅する自分を見る。死をまったくイメージしていないし、させもしない。


山路来て何やらゆかしすみれ草
 「甲子吟行(野ざらし紀行)」より。「大津に出る道、山路をこえて」と詞書あり。「何やらゆかし」の大様な表現が新鮮に響く。足下に咲くスミレはこの世で最も可憐な花のひとつだ。


春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
 「笈の小文」大和桜井の長谷寺、初瀬観音にて。「籠り人」は艶やかだから「ゆかし」となる。西行をイメージする「薦を着て誰人います花の春」という句もあり、修行僧はどこか風雅な物語のようである。


菊の香や奈良には古き佛達
 元禄七年九月九日、重陽の節句の作。死の僅かひと月前である。前日に伊賀を立ち急ぎの旅であった。笠置より舟にて木津川を下り、その日のうちに北から奈良へ入った。猿沢池のほとりに宿をとった。そうなると「佛達」は興福寺のものであろう。軽快な調べの句である。
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by tatakibori | 2012-01-06 19:48 | 仕事 | Comments(0)

アートイベントに参加して

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芸術での作家活動をする人が急速に増えているのは全国的な現象です。
美術系の大学も増えたので若い世代になるほどアーティストが多いようです。
厳しい見方をすれば、大学を出ても就職がない、そこで独立して物造りに励み
作品を発表したり少しでも売れば何か頑張っていると言う事になります。
現実には作品を売って食べている人はごくわずかです。
若い作家のほとんどはそのような厳しい環境にあります。
景気の良かった時代を体験している世代は売れた経験を持ちますが
若い世代にはそういった体験はないのです。
売れないというのは評価されていない事に繋がるので
励みを失っているのがよく分かります。
将来に対する不安と言うよりも、仕事に対する努力はこれで良いのかという自信の無さを
話していて痛切に感じるのです。
社会が成熟して、さらに高齢化が進んだせいで20代後半の人はまだ子供のように思えます。
しかし、彼らもそれなりの時間を修行なり、勉強に費やしてきているので
個々の価値観においては充分なレベルに達しているように私は感じました。

10年後の将来を考えればもっとアーティストは増えると思います。
もちろん競争があり、淘汰される場合もあるでしょう。
社会に求められる作品も形態を変え、販売方法も変わっていくでしょう。
その大きな変化の時代に直面しているのを感じています。
30年以上前には備前焼でありさえすれば飛ぶように売れた時代もありました。
その頃に、美術系の大学では就職に失敗して、絵でも彫刻でもデザインでもダメなら
ガラス工芸作家になるという方法があると話されていました。
そういう種類のアーティストが少なくて不足していたので可能性が高かったのです。
今は備前焼の作家も驚くほど増え、ガラス工芸作家も数多くなり厳しい環境です。
つまり、その時代において新しく求められる芸術が必ず現れるのです。
今は少し沈んだ時ですが、必ず浮いてくる時があります。
ダメなものこそ良くなるチャンスを持っているとも言えます。

何かの手がかりとしての傾向を考えるならば、ひとつ面白い報告をしておきます。
今、学校で子供達の描く絵が均一化しています。
子供達は皆同じようなテーマと構図の絵を描きます。
ワークショップという体験型の芸術系教室が流行っていますが
そこにおいても独創性よりも作品の完成度の方が重要視されているように見受けます。
独創性が急速に失われたようにも思えます。
今までなかった新しい事を考えるよりは誰かに習って充実した作品と時間を得る
という考えだと思われます。
日本人は突拍子もない新しい事をするのが苦手だったのでしょう。
我々の民族には他と違う得意な方法があるはずです。
世界一の長寿国ならではの時間をかけて磨いた芸術、そういうものが
新しい日本の文化として成熟していくのかもしれないと考えました。
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by tatakibori | 2011-11-20 14:13 | 仕事 | Comments(0)

アートイベント

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お知らせしたようにLiving in Arts Projectというアートイベントに参加してきました。
今回は岡山県が企画して主催し真庭市の「勝山文化往来館ひしお」が全面的に
サポートするという大きなイベントでした。
若手を中心に県内外から41名の作家が参加するのもかなり大きなスケールです。
メンバーを見ると私より年上は7名ほど、最年少は25歳で20~30代が一番多いようでした。
作家同士の交流会などで若手と話す機会があり、若いアーティストが何を考えているのか
少し知る事ができました。

一番興味深いのは私に年齢の近い女性陶芸家の話でした。
彼女は今まで精力的に各地のギャラリーやデパートで個展を開いてきました。
純粋なアートとしての造形作品は数多く売れるものではないし、食器を売るには
限界があると感じ始め、今後は活動も作品の形態も変えようと思っていると言います。
友達や近くの人が喜ぶような、彼女にしか出来ないアクセサリーなどを中心にして
しばらく仕事の規模を縮小してみようという考えです。
精力的に活動する事に疲れたと言います。
時代が売り難い時期に入ってしまったようです。
なるほど、誰もが同じ悩みを抱えているのです。

もう少し若い女性画家も同じような考えで都会から田舎に数年前に引っ越したそうです。
幼子を抱える30代後半の男性アーティストは原発事故の不安から関東を引き払い、
奥さんの親戚を頼って岡山に疎開中です。

ある程度以上の世代はお金儲けに積極的になれないというか
売るための創作活動に限界を感じているようです。
そんな時代の若者は何を考えているのでしょう。

     ・・・つづく
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by tatakibori | 2011-11-11 20:58 | 仕事 | Comments(0)

Living in Arts Project

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10月29日から始まっていますLiving in Arts Project
岡山県真庭市勝山の古い城下町を舞台に41人のアーティスト達の作品を展示しています。
私の会場は旧郵便局、11月7日(月)まで開催中です。
木版画教室もやっております。(締め切り3時くらい)
(11月2日は作品メンテのためお休み)
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by tatakibori | 2011-11-01 08:23 | 仕事 | Comments(0)

歌に対する私の思ひ

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方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌を作るのではない。
永劫のなげきに貫かれた歌の世界といふものが、わが今生にもあることを知ったからである。
現在の流伝の論理を表現するために、私は歌を醜くしたり、傷けるやうなことをしない。
さふいふ世俗は私と無縁のものである。・・・
          保田與重郎「木丹木母集」後記より


ここでの「歌」は歌人における歌です。
ものを創作する人間ならそれぞれの仕事に置き換えて考えれば良いと思います。
世が混乱すればそれを嘆く芸術もありますが、
それは時代性が強くすぐに色あせるように思えます。
過去にもあり未来にも通用して、そして今の人々の心に届くものがあるはずです。
とても厳しい考え方でもあります。
芸術におけるメッセージとは何であるべきか考えなければなりません。
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by tatakibori | 2011-09-14 20:45 | 仕事 | Comments(0)

六十の手習ひ

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書といふものの意味が少々わかり出し、書を学ぶといふ気合がわかり、
手習いの心がしみじみ身に沁むのは、やはり六十を越えてでなからうか。
昔から云ふ「六十の手習ひ」とはここに於て最初の真の学びである。
書の学びは、先人の心を学ぶことである。その最も直接の法である。
このやうな学び、即ち「手習ひ」によつて、今の私は、千年昔の人と
同じ道をゆき、同じことを行へるのである。
       保田與重郎「手習ひ記」より


先人の残した書をなぞるように文字を書いていくと、その筆の使い方だけでなく
時間的な間まで手元によみがえってくる事があります。
神(死んだ過去の人々)とひとつになり会話をするような気持ちになれます。
60歳まではもう少しありますが、書の本質がわかるようになるのが楽しみです。
保田師は70歳で亡くなってますから、ほんとうに楽しい時間は短かったと思います。
日本人の寿命が伸びているのがここにきてありがたく思えます。
少しでも元気でいて筆を持っていたいものです。
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by tatakibori | 2011-09-12 20:38 | 仕事 | Comments(0)

木版画教室

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先日の香川での叩き彫展で初の試みで「木版画教室」を開催しました。
6日間の合計20数名が参加されて、充実した時間と出来上がりの作品に大満足でした。
最近はワークショップという名で参加型のアートイベントが流行っていますが
自分でやったという満足感ではこの木版画教室はかなりレベルが高いものがあります。
全くの通りがかりの人も多く、お母さんが突然に始めてしまって2時間も待たされた
お気の毒な家族もありました。
それだけワークショップに興味を持っている人も多いのです。
用意されたガラスや陶器に絵付けをするタイプの教室も楽しそうですが、
木版画は絵が描けない人のために下絵を数種類用意してあります。
ちょっとしたアレンジや文字入れでオリジナル度がアップします。
集中力も要りますし疲労感もあるので刷り上りの感動がありますね。

今後は下絵の種類を増やし、簡単な額も用意して2,000円程度の参加費で開きたいと企画中です。
少し大きなアートイベントにワークショップだけの参加として開催するのも面白いかもしれません。
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by tatakibori | 2011-05-27 14:23 | 仕事 | Comments(0)