<   2008年 12月 ( 34 )   > この月の画像一覧

自称弟子

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保田與重郎を師と仰ぐ人は数多くいますが
本当の意味でのよき理解者というか弟子と言える人は
高鳥賢司(歌集「相忘」)、ロマノ・ヴルピッタ「不敗の条件」、
谷崎昭男「花のなごり」の3氏を思い浮かべます。

棟方志功には弟子はいません。これはハッキリしています。
父は便宜上保田與重郎と棟方志功に師事したと称していましたが
本来は両師に弟子があるようなものでないと言っていました。
しかし、この木版画を見るとわかるように保田師の歌を棟方流の
「板画」に彫るという事が生業であったのですから
弟子を自称しても憚らないという自負はあったのです。

棟方志功はアトリエに家族でさえ入れることはほとんどなかったそうです。
自分以外には他人でアトリエで直接に仕事のお手伝いをして
技法を習った者はおそらくいないと父は言っていました。

最近、知ったのですが他にも両師の弟子を自称する人がいます。
その方は木版画を製作したわけでもないし、
その著書を読んでも保田師と世界が違うのは明らかです。
それは大上段に振りかざした太刀の下ろしようのないというか、
音楽で言うとサビだけで作った落ち着きのない言葉の羅列に過ぎません。
それを詩歌と言えるかどうかは私には分かりません。

そういう人と同列に見られるなら、今後は父の記録としても
保田・棟方に師事したと言う表現は止めようかと思います。
それはあくまでも便宜上の事だったのですから。

彫刻家という表現も自分にはふさわしくないと常々言ってましたが
より多くの人に分かりやすく職業を理解してもらうためには
それが最善の表現として妥協の自称「彫刻家」だったのです。
生業でもない自称「詩人」と同じになるなら必要のない事です。

「便宜」というのは少しでもお金が入ってきますようにと言う
「願い」でもあったのです。
そういう悲しい現実はすでに遠い過去の物語になってしまいました。
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by tatakibori | 2008-12-31 21:52 | その他 | Comments(3)

何に此 師走の市に ゆくからす

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何に此 師走の市に ゆくからす 芭蕉
元禄二年歳末、近江膳所での作
芭蕉が師走の市に買い物に出かけたかどうかは議論があるようですが
父の解釈は、この拓本版画によると
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・・どうも出かけたとしています。

この前に
「年の市 線香買に 出でばなや」
という句もあるようで
歳末の膳所の町の賑わいにひかれて出かけたようですね。
お正月があるから
だらだらしないで、けじめをつけて生きていられると
多くの人が思います。
それは素直な人間の考えです。

お正月はどこにくるのか。
それは榊をかえて、鏡餅を供え蝋燭を灯した神棚だったり
新しいお線香の香りにつつまれた仏壇というのも
日本人の心情だと思います。

師走の市も初詣も気分があらたまって気持ちの良いものですが
交通事故だけには充分なご注意をお願いします。
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by tatakibori | 2008-12-31 11:16 | 日々の生活 | Comments(2)

経済の再生4

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手前味噌で恐縮ですが・・
多くの人々が自分の価値基準を持ち
美術を金額や有名である事に左右されず
判断するようになれば、
この木版画も多くの人に認められるはずです。
私が自分が欲しいと思うような作品を作っているのですから
そうなる可能性が全くないとは言えません。
極端な話ですが売れ始めると、それは偽札より簡単に作る事が可能です。
仮に、これが1万枚売れたら私はめでたく隠居できるでしょう。

馬鹿げた話のようですが経済の再生には必需品や食料品などではなくて
生活を豊かにするモノ、いわば贅沢な物が売れなければなりません。
既存の価値観が崩壊してきたと言われていますが、
ならば新しい価値観とはいったい何でしょうか。
質が高くて寿命が長いとか、エコであるとか
心豊かな生活のためというような付加価値もその方向だと思います。
価値観の多様化もあるでしょうが
結局は自分が信じている事や自分が欲しいと思うような物を
作って提供し、じっと我慢してそれを継続するしかないように思えます。
・・・私の場合の話になってしまいました。(笑

消費者の立場で考えると一つの大きな結論があります。
それは何かを支持するという事がたいせつです。
所謂、「こころ意気」が必要なのです。
最安値をネットで探すのも良いですが
モノによっては信頼関係を築く事のほうが重要です。
所詮、金は天下のまわりものです。
インフレが起こって預金が紙屑にならないように
少し協力しておく時期が来たかもしれません。
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by tatakibori | 2008-12-30 20:31 | その他 | Comments(0)

D700の不具合

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D700にタムロンA09(28-75mm2.8)が最近の一番良く使う組み合わせです。
先日画像の左下にボケがでる症状があってカメラの故障か
それともレンズか、その組み合わせのせいか・・と悩みました。
いろいろと調べたりやってみて分かったのですが
原因は結露でした。
今までのDX(APS-C)の小さな画像センサーでは問題にならなかった
結露が大きなFXサイズの画像素子ではハッキリと見えてしまうのです。
同じレンズを使う場合FXサイズは画角が広いので周辺部は
レンズの弱点を晒してしまう場合もあります。
あこがれのフルサイズ機でしたが、客観的に見ると
DX機の優位性もあるしFXでなければならない条件は
あんがい少ないと言う事も分かりました。
予想したとおり、カメラの高性能化はレンズや
撮影者への負担を大きくするようです。
あと欠点としては、ニコン・キャプチャーはNX2でないと使えません。
少なくとも1万円近くの出費も予定しなければならないと言うことです。

不具合や欠点を先に書きましたが、もちろん良い事の方が多いのは事実です。
なんと言ってもそのダイナミックレンジは数値以上の差を感じます。
NX2での調整に慣れると今までのD200のデータがずいぶんお粗末な
RAWデータに思えます。これは実際に作業しなければ分からない事です。
色の安定感というか、特に肌の具合は今までのカメラとは比較になりません。
他のカメラがISO800が限度ならD700はISO1600が常用できるのも
驚きです。ISO1000なら不安は全くありません。
これに慣れてくるともう後戻りは出来ないというのが正直な感想です。

さらにこの上をいくD3Xの登場で進化の方向は決まっています。
デジタル一眼が一番旬の趣味という状況はしばらく続きそうです。
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by tatakibori | 2008-12-29 20:43 | 写真 | Comments(0)

経済の再生3

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手っ取り早く稼ごうと思えば「北」のとった手段が賢明です。
偽札と麻薬の製造です。
国をあげてその気になれば偽札の精度は高く見破る事は不可能です。

この版画は昭和20年代に父が津山で頒布会を催した時に売れた
数少ない一枚です。その後、購入した女性が「陰気な絵だから
気に入らないので、昭雲さんの作品と交換して欲しい。」と
返してこられたものです。だから本物である事には間違いは
ないのです。
しかし、この実物は紙も悪いし、表装も上等ではありません。
巷に出回っている贋物の方がよっぽど上等に見えます。
50年以上前に刷られた木版画は変色してくすんだようです。
経年変化の少ない墨の鮮やかさだけが贋物との区別には
なると思います。
でも、おそらく鑑定に出せば偽物と言われるでしょう。
実際に直接にいただいた木版画を東急百貨店の鑑定に出したら
贋物になった事実があります。

何故、人は贋物を作るのでしょう。
本物が手に入らないからせめてレプリカで楽しむのでしょうか。
贋作の対象となる美術品はすべて高価なものです。
しかも本当の原価は微々たるものなのです。
贋作が好きな人は高級ブランドや自動車が好きです。
持ち歩けて値段が誰にも分かりやすいところが魅力なのです。

これこそ人間の持つ本質的な弱さです。
感性のレベルが低く、価値判断の基準が持てない人が
古美術に手を出すのです。

庶民ががほんとうの豊かさを手に入れ始め
自分の感性で判断し、出会いを楽しむようになった今は
我々無名の作家にとって良い時代です。
そこには物を作る人間のほんとうの姿があります。
今の自動車産業のような人間不在の経済は崩壊するでしょう。
お金を動かすだけの事が一番儲かるというのは極めて危険な状態です。
インターネットによって流通がシンプルになれば
ますます優れた物が安く手に入るはずです。
それには感性を磨き自分なりの価値判断の基準を作る事がたいせつです。
教育もそれに合わせて変ってくる必要があります。
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by tatakibori | 2008-12-28 21:59 | その他 | Comments(5)

数え年103歳

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先ほど日本原荘で撮ってきました。
年が明けて平成21年になると数え年が103歳になる我が祖母浪子です。

Nikon D700
Carl Zeiss Planar 50mm1.4ZF
ISO1000
画像上でクリックするとやや大きな画像が開きます。
プラナーらしい雰囲気が高感度で充分に発揮されています。
ニコンD700のポテンシャルは高いです。
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by tatakibori | 2008-12-28 17:29 | 写真 | Comments(2)

個人的レコード大賞2008

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今年も数多くのCDを手に入れました。
その中から自分で買った(笑)、新譜であるという条件で選んでみました。
じつは、最近のクルマの中でよく聴く音楽です。
Melodey Gardot [Worrisome Heart]
Bob Dylan [The Bootleg Series Vol.8 Tell Tale Sings]
Jackson Browne [Time The Conqueror]
の3枚を挙げておきます。
共通点はフォーク系で
悪く言うと、新鮮味の無い音楽です。
どこが良いかというと録音が良いのです。
オーディオ的に良いというより、音作りの考え方が良いのです。
素直でシンプルな音は何度聴いても飽きません。

それよりも問題なのは今年の前半は何を聴いていたか
ほとんど思い出せないのです。(笑
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by tatakibori | 2008-12-27 21:23 | 音楽 | Comments(0)

経済の再生2

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普請に似た言葉に「勧進」というのがあります。
昔の人は歌舞伎の「勧進帳」でその意味を知っていました。
武蔵坊弁慶が焼失した東大寺の再建のために勧進の旅をしていると言い、
白紙の巻物を勧進帳として読み上げるのが見せ場です。
東大寺というと権力の象徴のように思われがちですが、
当時でも民間から浄財を募って再建されたのです。
伊勢神宮も戦国の頃に御遷宮が途絶えてしまい
尼僧が全国を行脚して浄財を集め先ず宇治橋を架け替えた
という史実があります。
(私はその姿を「遷宮上人」と題して木彫りにした事があります。)

今も全国の社寺で似たような勧進が行われています。
最近は信仰心の無い人が増えたり、土着の人が減少したり
どこでも浄財を集めるのに苦労が多いと聞きます。
戦後生まれが主流になった今は団塊以下の世代において
信仰心の無い人が多いようです。
特に教育の荒廃した70年代の日教組の教えを受けた
50代後半世代が難しいようです。
40代以下の若い世代の方がまだ理解が得られやすいのです。

伊勢神宮を除くと、近年で最も話題になった普請は昭和の
東大寺の改修工事です。
清水公照という有名なお坊さんが面白いアイデアと
自身の手になる優れた絵や書、陶芸や塑像の仏さまなど
多くを製作してそれを役立てたのも新しいこころみだったようです。
それに便乗した美術業界の大騒ぎの方が印象が強くて
本質を見失いがちでしたが、すばらしい作品も多く驚くほどです。

じつは伊勢神宮の式年遷宮はあの時の東大寺に比べると桁違いに
大きなお金を集めます。20年に一度ですから大きな勧進が
ひそかに継続して行われているのです。
それは木材のリサイクルが効率的に行われるなど文化の
継承としての意義も大きなものです。
もちろん経済効果も一桁以上違います。
今さらですが、式年遷宮には経済の再生のヒントが多いのです。
一番たいせつなのは神さまのお祭りとして多くの人が
こころを寄せてひとつになるという事ではないかと思っています。
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by tatakibori | 2008-12-27 19:54 | その他 | Comments(0)

経済の再生

身の周りでの経済活動から考えてみると
多くお金を使う人に人々は群がります。
大きな事業をしている人や開業医など高収入の人は
たくさんお金を使うから取り巻きのような人の集まりが出来るようです。
今時は普通にやっていてはそれほどのお金を動かす事ははないので
それは行動力のある社長や先生ですね。
中心になる人物が高い理念と志を持っていれば良いのですが
多くの場合は欲が勝るようになり経済の発展に貢献しているか
どうかあやしいのです。

普通は事業と言いますが昔は普請という言葉でした。
普請は、普く(あまねく)請う(こう)とも読み広く平等に奉仕(資金・労力・資金の提供)を願う事です。
つまり中心になる者がお金を持っていて一人でお金を出すのでなく
出来るだけ大勢から多くのお金を集めて事業を成すのです。
この普請という言葉の持つ多くの意味を考えると
経済活動の発展と庶民の社会への参加意識の向上が
見えてきます。

普請というと家を建てる事が先ず浮かびますが
上棟の日には村中の人が集まって手伝い
賑やかにそれを祝ったのが古くからの習慣です。
棟梁が祝詞を奏上するなどなかなかの伝統だと思います。
橋普請という言葉もあります。
以前に津山の今井橋が出来た時の物語を書いた事がありますが
まさに普請の心意気の原点のような話です。

欲望を捨て去った普請の心意気というのは本当は
厳しい考えです。
個人の欲望を具現化するようなテーマパーク的発想で
作られた物は行き詰まりが見えています。
個人の欲望を大目に見過ごしてはいけません。
それが今日の財政の行き詰まりの原因でもあるからです。


    この話つづく・・・
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by tatakibori | 2008-12-25 21:13 | その他 | Comments(4)

相安相忘

「応対」「進退」は、人とつきあうときの直接の心得であります。
行儀作法の教えです。
私の尊敬している支那の学者の胡蘭成(こらんせい)先生が言われたのですが、
「『相安相忘』(そうあんそうぼう)ということばがある。
人と人とが相対している時の、最高の状態はこれだ。」と。
人と人とが親しく話をしている。
お互いに気を許している。
もう互いに相手が他人ということを忘れる。
つまり、相手と自分が一体となるのです。
相手のために自分は尽くそうとか、
相手が自分のために働いてくれるなどということを
考えるのは、まだ「応対」の入口なのです。
「相忘」の忘がむずかしい。
自分は自分を忘れているけれども、
相手はどうかなと思ったら駄目なのです。
そのように思わないようになるのが修行です。
その修行は非常にむずかしい。


相安相忘についての保田師の文章です。
父はまさにそういう人でした。
人を疑うような事は全くなかったのです。
でも世の中にはそういう誠意が通じない、
人を騙して儲けようとするような輩も多く
困る事もたまには起こるのでした。

残念ながらその父に育てられた私も
つい、相手の企みに気付かずに
騙されたりトラブルに巻き込まれたり
する事もあります。
嘘つきの策略を見破る事ができないのです。
そんなふうに思うこと自体が修行が足りないのは
分かっているのですが・・・
現実は難しいです。
ほとんどの人には通じる真理ですから
相安相忘を貫く事がたいせつです。
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by tatakibori | 2008-12-24 21:18 | その他 | Comments(0)