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自分を語るということ

ジャズピアニストのMさんと初めてお話をしました。
仏教と神道のこと、信仰心について独特のしっかりした
考えを持っているようです。
Mさんは普通にある音楽をCDで楽しむという事はあまりないそうです。
どうしてかと言うと、よくある音楽は自己主張が強くて
自分を語っているに過ぎなくて嫌なのです。
音楽は自分を語るものでは無いという考えです。

ジャズについてはそこまでは分かりませんが
ビジュアルアートの彫刻や版画などについては
私もそれを強く思います。文学でも同じです。
私小説というジャンルがあるではないかと言われますが、
私はそもそも私小説が好きではないし、私小説でも
優れたものは私的な事柄を綴りながらも普遍的な
人の「思い」について書いてあると思います。
和歌においても「思い」というのは自分だけの主観でなくて
遠い過去から未来永劫に繋がる生命の持つものです。
鎮魂歌などはそのことを詠んだものと解釈しています。
そこには自分の存在を主張してはいけません。
芸術は個人の欲望のためにあるものではないのです。
簡単に言うと、棟方志功は歌々板画巻に触れてその尊さの多くを失っています。
私が「炫火頌」を彫ってみようと思ったきっかけはそこにあります。
保田師の歌を自分なりの解釈で表現するというのではなくて、
その歌の思いを少しでも正しく伝えたかったのです。
正常な普通の人間なら飾るのを憚られるような絵を貴い歌に
添えるような事はできません。
それは何かが間違っているのだと思ったからです。

そういう事になったら詩歌が最も分かりやすくて
ビジュアルアートはやや難解です。
音楽は最も分かり難いのですが、
もともと音楽は誰にでも分かる親しみのある芸術だから
無意識のうちに多くの人がそういうものを感じているはずです。
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by tatakibori | 2009-01-31 07:41 | その他 | Comments(2)

大きな紙があれば

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幅86cmで長さが2mの和紙がたくさん手に入りました。
使いみちがないので絵や文字を書いてみました。
3x6尺の断熱パネルを台にしました。
筆は父の秘蔵のヤツです。
穂が長く柔らかいのでひらがなを書いても表情が豊かでした。

このパネルを今度の叩き彫展の会場に展示すれば
今までとは雰囲気が変るでしょう。
力強さや勢いだけでないものを表現しました。
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by tatakibori | 2009-01-24 18:25 | 仕事 | Comments(4)

看板を書きました

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おもしろい紙がたくさん手に入ったのと
父の筆を使ってみるために気合を入れて書きました。

しかし、急に上手くなるものではありません。(笑
文字は難しいです。

父は文字を書くことが好きでした。
これには山田家の強い遺伝子があるような気がします。
親戚を見渡しても書道の好きな子供も多いし
何か血筋としての特技と言えるのではと思っています。
客観的に見ると、山田家一族の文字は優しさが味ですね。
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by tatakibori | 2009-01-23 20:53 | 仕事 | Comments(0)

不人気レコード

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ヤフーオークションのレコードですが
適当に入札して落札できたのはこの3枚でした。
他に入札する人もなく、まさに見捨てられたレコードです。
チック・コリアが2枚とキース・ジャレットです。
全部がECMのピアノソロです。
ピアノソロの場合、レコードならではのパチパチノイズが気になるので
敬遠されるのでしょうね。
チック・コリア「ピアノ・インプロビゼーションVol.2」は国内盤ポリドールの
Vol.1を持っているのですが、この2枚はどちらもノイズがかなり気になります。
録音のレベルが低いのと、演奏の具合で目立つのかと思われます。
ノイズの無いCDで聴くのも良いですが、LPレコードならではの
ノイズに埋もれながらもデジタルにはない「ゆらぎ」と静寂感が
不思議な豊かさを与えてくれます。まさに「もったいない」事ですね。

全般にレコードが見直されてきているのでオークションでも
相場が上がり、以前より入手が困難になっているようです。
とても面白い現象ですね。
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by tatakibori | 2009-01-21 20:16 | 日々の生活 | Comments(0)

カメラ用バッグ

一眼カメラが2台とレンズが入るカバンを探しました。
買ったのはユニクロのメッセンジャーバッグです。
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A4サイズの書類もゆったり入るサイズで全て二重になってクッション性もあります。
マチの幅もあってかなりの容積です。
パタゴニア製のメッセンジャーも持ってますが生地が硬いのと構造的に薄く容積が小さいのです。
決定的に使い難い理由はショルダーベルトが固くて首や肩に当たって痛いのです。
ユニクロのこのバッグは細かい所に気を遣ってあって使いやすいと思いました。

中でカメラ同士が当たるおそれがあるのでカメラを包むように
キルティングにマジックテープを付けて用意しようと思います。

例によって、値段は驚くほど安いです。
ユニクロの商品は安いがゆえにあらゆる階層の人々が持っているのが
嫌われる理由なのでしょうが、このバッグはそういう意味では
一般的でないので案外カッコいいかもしれません。
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by tatakibori | 2009-01-20 19:42 | 写真 | Comments(0)

保田與重郎のくらし

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一昨年末に出版された写真集です。
発売時には一番困っていた時期と重なり、
出版元から案内をいただきながらも買いそびれてしまいました。
最近になってこっそりアマゾンで買いました。
新学社の皆さん、ごめんなさい。

最近になって建築家の山中恵子さん監修のもとで改修、復元をなさったようで
基礎部分や玄関の三和土が土からコンクリート(?)に変っています。
基本的には存命中とほとんど変らぬたたずまいなので
訪れたことの無い人には良い写真集です。

この家については「不敗の条件」「花のなごり」に詳しく説明があります。
まさに昭和の文士が住む最高の家だったと思います。
最高の贅沢が最も質素で簡素な形に集約されています。
門を移築するのに予想外にお金がかかったと師から聞いたのを覚えています。
この写真集を見ていると、先生はあれほど多くの来客と丁寧に対応されて
それだけでも重労働だったろうにと思います。
暗くなってきて、父が「遅くなるので帰ります。」と言うと
「もう帰るのか、もう少しゆっくりしていきなさい。」と優しく応えたのも思い出します。
あれはきっと、最高のもてなしの言葉だったのでしょう。
この家はそういう主のもてなしの気持ちの現れであって、
けっして贅沢なものではありませんでした。
ここで暮らし始めた頃の保田家の暮らしぶりは当時の世の人々から
かけ離れたものでなく、むしろ慎ましいものであったと聞いています。

写真にはありませんが食堂の師の定位置の後ろの棚には
菓子の包装紙や紐、剥がしたセロテープまできちんと
再利用するように保管してありました。
さすが明治生まれの人だと感心しました。

あそこに置いてあった筆が今の私の手元に数本あります。
晩年の師の召されているウールの着物があります。
あれからもう30年近く経ったのがウソのように思える写真集でした。

身余堂にあった棟方作品が最高のものだという私の気持ちは変る事はありません。
この本にそれが紹介してあるのがとても良かったと思います。
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by tatakibori | 2009-01-18 19:58 | 読書 | Comments(2)

何も無いということ

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「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行)」

写真は伊勢神宮の御遷宮の為の御敷地(みしきち)です。
20年ごとに建替えるためには敷地が2つあって交互に使用されるのです。
使われていない方の空き地には中心の真の御柱の場所に小さな祠が作られています。
何も無い美しさをこれほど感じる場所はありません。

歌は有名な西行法師が伊勢神宮に参拝した折に詠まれたものです。
伊勢神宮は今のように誰でも御垣内の参拝が許されたのはつい最近の事です。
当時は僧侶は一般の参拝者よりも更に離れた場所から拝んだのです。
つまり、御敷地など拝む事もなかったのですが、遠くから拝むからよけいに
その自然と調和した広大な伊勢神宮のスケールを感じたのだろうと思われます。
今の御垣内の特別参拝よりも尊い参拝だったのでしょう。

オーディオにおけるipodと高級CDプレイヤーの決定的な違いは
出てくる音の歪ではなくて、音の無い部分の静寂感だと思います。
それはデジタルアンプと真空管アンプの差でもあります。
音楽においてもクラシックとロックの違いは音の無い部分の差であると思います。
より崇高とされるジャズの名演奏もその「無」の部分の表現が大きいと思われます。

間(ま)というか無(む)を含まないと宇宙や神を表現できないと思います。
描かなくてもよいこともあります。
びっしりと描きこむと、それは生身の人間の世界だけになるような気がします。
神は人間には見えないところにあるのですから
見えてない部分を表現しなければなりません。
有の部分は無の部分を作りだすために存在しているのです。
有るからありがたいのではなくて、分からないし目には見えない
「無」だからかたじけないのだと思います。

分かりやすく言えば有で埋め尽くされたipodと無の表現に優れた
CDプレイヤーの価格差は100倍以上です。

普通は年齢を重ねると無の部分が作品に多くなると思いますが
棟方志功は昭和30年頃を境に無が少なくなるのが不思議です。
おそらく衰えた視力のせいもあったのでしょう。
・・・谷崎潤一郎の影響もあるのでしょうか?
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by tatakibori | 2009-01-17 21:12 | その他 | Comments(2)

写真を撮ることと絵を描くこと

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一瞬の光を記録するのが写真です。
絵を描くのは一瞬でなくても良いし、離れているものをくっつけるのも可能です。
写真は一瞬だからキラキラ輝く光を撮っても、ある瞬間の光しか写りません。
ポートレートでもほんとうに良い表情を探るには熟練が必要です。
土門拳が一枚写真を撮る間に棟方志功は5枚の絵を描いたそうです。
構図を決めるにそれだけ時間がかかるのだと皆は感心したそうです。
もちろん棟方の描くスピードもたいしたものです。

デジタルになってフィルム代の制約がなくなり、
素人でもプロのようにシャッターを押すことが出来るようになりました。
それで気がついたのですが、構図を決めるだけでは写真は撮れません。
動画でなくて静止画像だから時間もこめて撮らなければならないのです。
捉えた一瞬にはそれだけでない前後の思いがあったのです。
平面的なら2次元、それに奥行きや配置が加えられて3次元とすれば、
4次元的表現とでも言いましょうか・・。
絵でも写真でもそれが表現されているものとそうでないものがあるようです。
面白い事に昔の絵にはそういう表現が少ないように思えます。
写真、映画、テレビなどの影響で絵画の表現も変ってきたのでしょう。
そういう目で見ると棟方はずいぶん平面的です。
最近のコミック作家に4次元的な表現があったりします。
無意識のうちにそうしてしまうのでしょうね。
父はけっこう4次元的ですが、そんな話を聞いたことは一度もありません。

これだけ写真を撮っていると何かひらめく事もたまにはあります。
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by tatakibori | 2009-01-16 20:57 | 写真 | Comments(0)

やっと忌明け

父の五十祭が終わり、忌みが明けました。
11月1日に母が死んでから既に75日も経っています。
この期間は神参りを控え、家の神棚などにも
白い和紙で封をして拝みません。
長い忌みでご先祖もストレスがあるようなので
早速に御霊舎(みたまや)から開けました。
掃除をして水、酒、塩、米を供えて
榊(さかき)を差します。
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御霊舎は仏で言う仏壇と同じでご先祖を祀っています。
この社は祖父の作です。
神棚はまた別にあり、それは伊勢神宮崇敬会で販売されている社です。

神道ではご先祖にも二拝、二拍手、一拝で拝みます。
忌みが明けたので拍手は音をたててします。
これは神さまの気をひいてこちらを向いてもらうために
すると聞いた事があります。
気持ちの良い音をたてる稽古をしておきましょう。

すこし、気分も落ち着きました。
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by tatakibori | 2009-01-15 21:20 | 日々の生活 | Comments(0)

一人称は何を使いますか?

「オタク」という言葉があります。
80年代にたぶん中森明夫という人の発案で
アニメのマニアが二人称に「お宅」を使う場合が多いので
その人たちを「お宅族」と名付けた事が始まりだそうです。
今では「鉄オタ(鉄道マニア)」「オーオタ(オーディオマニア)」「アニオタ(アニメマニア)」
などのような使い方が一般的のようです。
では、オタクな人々は一人称は何を使うのでしょうか?
80年代の雑誌には「拙者」を使うべきだと面白く書いてあったのを
思い出します。

私、僕、俺、わい、わて、おいら、わし、うら、おら、おいどん、わらわ、ぼくちん、
あたし、あたい、本官、本職、筆者、我輩、朕、余、小生、あっし、拙者、みども、
自分、俺様、あたくし・・・・。

文学的には私、僕、小生、筆者、我輩、余などでしょう。
保田師は若い頃(1930年代)には「僕」も使っていて意外な感じです。
どこかに「余」を使った文章があったと思います。
若い人が世に強く宣言するような文章だとカッコイイかもしれません。

50を過ぎて分別がハッキリしてくると
「ぼく」とか「余」を使うと浅い感じがします。
それにある程度の地位になると使う一人称を少なくしたほうが
アイデンティティを保つ意味においても良いと思います。
表現が豊かだと思って人があまり使わない変った一人称を使ったり
文体や一人称をその度ごとに変えるのは
人格がしっかりしていないように思えます。

私は喋る時は方言だから「わし」、「僕」「私」などです。
「俺」は何故か使いません。
「やっぱり、ワシは『わし』が好きじゃけん。」です。(笑
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by tatakibori | 2009-01-14 21:07 | その他 | Comments(2)