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神より出て

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今回のお伊勢参りでもう一つ気にしていた歌があります。
「日の本に生まれ出にし益人は神より出て神に入るなり」
江戸時代の伊勢・外宮の神官中西直方の作です。
日本人の死生観を端的に詠んだ有名な歌です。
手塚治虫の「火の鳥」にも根底にある生命の捉え方は
この歌と同じだと思います。
私の両親も神に入ったなら、きっとここに居るのだろうと思います。
死んだ時からずっとそうなるのだと思っていました。
お墓参りも直接の先祖の為にたいせつですが、
自他の区別の曖昧な日本人の考え方ならば
同胞(はらから)の神の集合体と思えば
お伊勢参りこそ最もたいせつだと私は信じています。

ちなみにお伊勢参りの基本としては
内宮、外宮へは個人の願い事などをしてはいけません。
国家の安泰を願うだけです。
個人や組織の祈願は神楽殿でお神楽を奉納して行います。
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by tatakibori | 2009-06-30 20:07 | 神社 | Comments(4)

雨雲に近く光て

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棟方志功「板愛染」より
     板畫とわたくし
 万葉の歌の中に読人知らずだけど
  雨雲に近く光て響神(ナルカミ)の見れば恐(カシコ)し見ねば悲しも
 といふのがあるのだけれど、仕事といふものはその歌の様に、恐(かしこ)しといふ気持と
悲しいといふ気持と二つの姿がこみ上つて来る様なところからなる様なものでないかと思ひます。


保田與重郎「万葉集名歌選釈」より
 天雲(アマクモ)に近く光りて鳴る神の見れば恐(カシコ)し見ねばかなしも
 高貴な人にあふのは畏(オソレ)多いが、かといってお目にかからぬのも、
心残りにて、後でこひしくかなしい気持ちがする。
「天雲に云々鳴る神」までは、「恐し」をいふための序であるが、
ただ雷を歌つた歌としても十分に趣がある。
十一ノ巻に「天雲の八重雲隠り鳴る神の音にのみやも聞きわたりなむ」は似た歌である。
雷は東歌の中にも出てゐる。


これは父の好きだった歌です。
今回、伊勢神宮にお参りしてこの歌を思い出しました。
神さまに近づきすぎると困る事が起こりますが
かといってお参りをしなければもっと悲しい事になるようです。
人の世は何事にかかわらず常にそうなのかもしれません。
あらためて棟方志功の言葉が胸に沁みます。
ものごとをたいせつに思う本質がそこにあります。
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by tatakibori | 2009-06-27 19:55 | 読書 | Comments(2)

話しのプロ

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話す事のプロフェッショナルというと
まずは落語家でしょうね。
その昔、東京で叩き彫展をした時にある落語家の方が
来場され手土産のお菓子の説明をしました。
それはほんとうに美味しそうに聞こえて
さすがに噺家は違うと思いました。

24~25日は恒例の伊勢神宮神恩感謝祭に参加してきました。
今回の講演者はもとアナウンサーで神職の方です。
何故かその後食事の席が同じテーブルだったので
さらに色々なお話を聞く事ができて幸運でした。
その方はかつて阪神大震災のニュースで名を上げた
落ち着いた頼もしい雰囲気と言えばお分かりいただけるでしょう。
奇遇にも初対面ではない事や父の話をしました。
最後の直会の時に励ましの言葉をいただきました。
「またお会いする事もあるでしょう。がんばって良い仕事をなさって下さい。」
テレビで聞く他人事の話でさえ信頼感のある人です。
生で聞く心に響くような言葉に深く感動を覚えたのでした。
ほんとうの「癒し」とはまさにこれだと思いました。
話すテクニックもあるようですが
気持ちを込めて丁寧に話すのがたいせつなのでしょう。
まさに貴重な体験、素晴らしい人に触れた一瞬でした。
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by tatakibori | 2009-06-26 20:00 | その他 | Comments(0)

神さまはどこにいるの

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神さまは目に見えないところにいます。
暗い森の奥にいるのですが
その中に入っていきその向こうを見ようとしても
神さまは見えません。
扉を閉じた中には神さまがたしかにいるのですが
その扉を無理に開けると、
もう神さまはそこにはいないのです。

神さまをここへ呼ぶ方法があります。
例えば、あなたがだれかにお茶を出す時に
こころをこめてそっと優しくさし出すと
その所作に神がやどるのです。
立ち振る舞いの中に神があるから
茶の湯ができ、舞踏があるのです。

美しい彫刻や絵画、音楽を捧げるとき
そこにはきっと神さまがいます。
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by tatakibori | 2009-06-26 08:51 | 神社 | Comments(2)

叩き彫流の篆刻

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大学時代の恩師の注文です。
文字は全部「昌」
小さいのが10mm角、大きいのが15mm角
篆刻は文字ですがそれ自体が作品ですから
絵になっていなければなりません。
遊び心がたいせつです。
材はツゲ
ほんとうに叩いて彫ったモノもあります。
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絵手紙などに添える落款には最適ですね。
画一的にならない事がたいせつ、
落款にも個性が欲しいものです。

実際には何も考えずに彫ります。
文字は参考文献がいくつかあるので
それをもとに大まかにデザインしますが
彫る段階では作為を捨てます。
でも味わいが少なければ最後に少し「味出し」を加えます。
とても面白い作風が自然に出来上がりました。
おおらかに楽しむ心が肝心です。
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by tatakibori | 2009-06-23 20:52 | 仕事 | Comments(0)

手書きの名刺

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因州和紙の名刺用紙を父がたくさん残していました。
もったいないので万年筆で手書きしました。
万年筆も父の遺品でパイロット製の非常に柔らかいものです。
ヘタウマとか言いますが、ヘタウマには作為があります。
これはタダの下手です。
何も考えていません。
普通に扱うと書き難い柔らかいペン先です。
文字を書くのが精一杯でしかありません。
この何も考えていない文字が自分では好きです。
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by tatakibori | 2009-06-22 13:31 | 仕事 | Comments(2)

味のある文字

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今回の叩き彫展の案内状の封書に入れた手書きの紙です。
味のある文字と言ってくださる方が多く、ありがたい評価だと思います。
文字を書く心得は「無作為」だと思います。
天衣無縫とか天真爛漫な表現者として語られる絵描きにも
よく見ると作為が強い場合があると思います。
文字にはそれが最も端的に表れるようです。

芸術家は期待に応える為に何かを演じてしまう場合が多くあります。
根は普通の生活人なのに破天荒なイメージがある人も多いと聞きます。
しかし文字はウソをつけません。
自分を何かの枠にはめて粋に見せようとする文字は
純粋さを伝えられないと思います。

はっきり言いましょう。
佐藤勝彦と棟方志功は似て非なるものの典型、
同列に語るのは大きな間違いです。
榊莫山、清水公照はまあまあ良しで、小池邦夫はイマイチです。
片岡鶴太郎など「粋」の見本、芸能人らしい浅いものを感じます。
あいだみつをの文字には欠落した何かを感じます。
中川一政には豊かさが少ないし
そこまで言えば鉄斎さえもリズムの間を感じません。
私の好みが分かっていただけるでしょうか?
書としてどうか、芸術性がどうとかじゃないのです。
人となりの純粋さが出るのだろうと思います。
ロックなら中身のないヤツは見分けがつきやすいのですが
この分野は繊細な分野で深い洞察力が必要です。

そんな事を考えながら何かを求めて
これからも書き続けていきたいと思っています。
ただの下手な文字と見るのは正しい判断だと思いますが
その中に純粋な味を見出して下されば私の幸せです。
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by tatakibori | 2009-06-21 19:56 | 仕事 | Comments(4)

天才と私の関係

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辞書によると天才とは・・
高度の創造活動を行い、または傑出した社会的業績を達成するなど
常人よりもはるかに優れた能力、才能を示す人物。

私の考えでは・・
多くの人が憧れ少しでも近づきたい人格
そしてそれは死を迎えた時に最も強く表れる・・
それこそが天才の条件です。
例えば、アイルトン・セナ、美空ひばりなどです。
身近な人物では保田與重郎、棟方志功にはそれを強く感じます。
基本的に来る者は拒まないでしょうから
多くの人が自分こそ天才に親しく近いと信じてしまいます。
逆に天才にとっては多くの人々との付き合いになりますから
ひとりひとりはone of themその他大勢の一人であるに違いありません。
ましてや世界の棟方に励まされたアーティストの数は
数え切れないことでしょう。
山田昭雲などと本気で付き合うわけも無いと発言する輩もありました。
私は今まで尊敬や憧れは一方通行で充分だと思っていました。
しかし、最近多くの人々と話すうちに天才の本質というか
最も美しい文学や美術を語り継ぐ人が必要だと思いはじめました。
似て非なる物を同列に語ればそのうち本質が歪められて伝わる危険性があります。
勉強とは同じものを探して並べるのが大きな基本です。
残念ながら言葉を知らぬ私には限界がありますが
山田家にはまだ次の打者が控えています。
このゲームは次世代に持ち越してもプレーは続けられるでしょう。
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by tatakibori | 2009-06-19 20:18 | 日々の生活 | Comments(0)

山田昭雲遺作展

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6月10日~16日
大阪 阪急うめだ本店 美術画廊にて開催しました。
ほんとうに大勢の皆様のご来場を賜り深く感謝いたします。
おかげ様で、親孝行ができました。


既知のご来場者の多くがこのブログを読んで下さっているのを知り驚きました。
なにぶん不躾な記事が多く、ご心配をおかけする事が多かったようで
申し訳なく思いました。
特定の相手に向けたメッセージが反対の立場や
関係ない方が読むと不安を感じるのはある程度やむをえない事と
覚悟していましたが、実際には「特定の相手」よりも
多くの善意の方々読んでいるという結果になっていたようです。
いまさらながらなので、多くの不都合な記事は削除しませんが
私の表現や考えの足りない部分をこれから補っていこうと考えております。
今後とも宜しくお付き合い願います。
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by tatakibori | 2009-06-19 19:43 | 仕事 | Comments(2)

物を作るという事

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クルマ選びについてたくさんの人達の意見が聞けて
たいへん参考になりました。
モノを作る人の考え方はそうでない人と違うというのを実感しました。
モノを作る仕事にも色々な形態があり
どの部分で働いているかでも違ってきます。
やっぱり現場でモノを作っている人たちの考えは合理的ですね。
モノを作らない人たちは夢を託す傾向があるようにも思えます。
自動車購入のモチベーションはどれだけ夢を見られるかが大きいですから
彼等の方がわくわくする様なクルマを選びます。
私は自分ひとりでモノを作り売っているから
ある意味では正反対の考えがあると自覚しました。
作品を作る事はどれだけモノに夢を込められるかという要素も
大きいですから心ときめくようなモノに憧れる気持ちは
とても大切だと思います。
残念ながら今の自動車そのものがそういう希望があるような
ものではないという現実があります。

基本的には効率よく使い切る事ができるほどほどのパワーと
空間があればそれで足りるのですから
あとはどこで自己主張が出来るかが問題ですね。
何を選ぶかというのはその「自己主張」だと思います。
物を作る人が選ぶクルマです。
つつましい合理性が基本にないと魅力を感じません。
欧州製高級車にモノ作りの精神を学ぶというのは
私の世界には無い話です。
皮製品は欧州が優れているのは分かりますが・・。
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by tatakibori | 2009-06-06 20:57 | 日々の生活 | Comments(2)