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岡山大空襲から65年

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昭和20年6月29日に岡山は空襲を受け焼け野原になりました。
母の生家は市内中心部の道具屋(茶道具など骨董)で
祖父は仕覆(しふく)の職人でもありました。
借家もあり母は裕福な子供時代を過ごしたのです。
空襲で家を失い一家は津山の祖母の実家へ身を寄せました。
祖母の実家は女学校の共同経営者だったので母は幸いに転校して
学校に通う事ができたのです。
その美作学園は、周辺の町村が共同で組合を作り女子教育のために作った
第3セクターのような経営だったので祖母の実家が資産家だったわけではありません。
その女学校には多くの疎開して郷里に帰った
津山市内、周辺の旧家の優秀な子弟たちが教鞭をとっていました。
その中に河野さんという京都工芸繊維大を出られた美術の先生がいました。
河野さんとの出会いが母の生涯に大きな影響を与えました。
河野さんは上斎原出身の柳井さんと従兄弟です。
その柳井さんが保田與重郎、棟方志功を祖父(山田哲)に紹介した人です。
河野さん、柳井さんがいたから父と母は出会ったと言えます。
当時、柳井さんは上斎原の小学校で代用教員だったという秘話もあります。
柳井夫人は津山のもう一つの私立女子校の教壇に立った事もあります。
その作陽学園は創始者が他所から来た人だったので
排他的な津山としては潜り込みやすかったと思われます。

その後、河野さんは東京に出てグラフィックデザイナーとして復帰、活躍されましたが
昭和40年頃に美作学園が大学を作る時に教授になって再び帰省されました。
昭和から平成にかけての津山の芸術文化への貢献は一番大きな人です。

プロフィールにはありませんが、柳井さんは大阪・河内長野に出て京都の出版社へ勤め、
夫人は高校(PL学園だったか?)で教鞭をとられたそうです。
棟方志功との交友が厚かったようで津山にはその名を冠する記念館が出来ています。

よく考えてみると母が空襲で焼け出されなければ私も存在していない事になります。
終戦直後の混乱期には多くの優れた人が職を求めて教壇に立ったからこそ
混乱の中から色々なものが生まれたのかもしれません。
その貧しかった前歴を恥じて隠す人もいますが
高い能力で逆境から何かを生んだ人は隠さなくても良いのです。
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by tatakibori | 2010-06-30 10:05 | その他 | Comments(0)

無かった事にしたい

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大阪の南部を東西に走る南阪奈道という高速道路があります。
それを走ると富田林付近に白い変な形の巨大な塔が見えます。
まるでスターウォーズに出てきそうですが、じつはPL教の施設だそうです。
1970年完成ですから万博公園の太陽の塔と同い年ですが、富田林の方がインパクトがあります。
滋賀県にはMIHO MUSEUMという宗教団体の運営する素晴らしいコレクションの美術館があります。
もちろん東京・八王子には例の学会の美術館もあります。
伊勢神宮にも国内作家のみですが文化勲章受章者、人間国宝などの作品を納めた
見応えのある美術館があります。

どうも宗教がらみになると無かった事にしたいという感情がどこかにあるようで
いずれもあまり知られていません。
政教分離と言うのもあるし、宗教は排他的なものが多いのが原因だと思います。

もう一つ無かった事にしたいのが、芸術家の前歴です。
教員を退職してから作家活動をされる方の多くがその前歴を隠そうとします。

故人ですがある画家は大阪南部の新興宗教系学校の教員だった事は厳重な秘密でした。
まさに合わせ技です。

隠したいのが人情と言えば、先ずは身内の恥です。
芸術にとって、教職と宗教は「身内の恥」と同じ扱いになるのです。
プロフィール(略歴)が求められるアーティストには個人情報の保護はありません。
それは政治家なども同じです。そういう立場の職業はたくさんあります。

父は戦争中の旧制中学卒業後の1年間小学校の代用教員をした事があります。
その話は耳にタコが出来るほど聞かされました。
その時の教え子になる方々とは代が変わった今でもお付き合いがあります。
芸術家はみんな変人ですが、その中でも山田家は変っているようです。
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by tatakibori | 2010-06-29 21:09 | その他 | Comments(2)

増える参拝者

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伊勢神宮の参拝者が増えています。
近年は年間600万人程度だったのですが
平成20年に750万人、21年は798万人と急増しています。
今年の参拝者は過去最高だった昭和48年の860万人に並ぶと
予想されています。
昭和48年は第60回の式年遷宮の年でした。
その後平成5年に61回があったのですが、その時には
参拝者の記録更新とはなりませんでした。
次回は平成25年ですから、それに向けて国民の伊勢神宮への
関心が高まっているようです。
その他の要因としてはETC割引で土日の自動車での参拝が増えている事、
日本最大の「パワースポット」として若者を中心に注目されている事、
終戦以来の神道への「偏見」が無くなって来た事、
同様にナショナリズムの必要性に気がついた人が増えている事
など考えられます。
マスコミによってフタをされてきた神秘的な日本の神々の事が
インターネットで情報が発信されるようになり関心が高まってきたとも言えます。

参拝者が最も少なかったのは昭和21年で50万人を切るという悲惨な有様だったのです。
お伊勢参りは心豊かな善人の行動ですから、不況とか国難とか言われても
ここでの数字が物語るのは国が栄えている証拠です。
伊勢神宮では時の権力者が御遷宮を実行してきました。
明治からの国家神道の時代は国が直接に行ったのですが、
戦後は主権が民の手に移ったから広く多くの人に呼びかけて
浄財を集めて遷宮を行いました。
社会の急変に対応するためには影でたいへんな苦労をされた人々もありました。
「普請」により遷宮を行った事は長い神宮の歴史には何度もあります。
その度にそういう人が現れて全国を行脚して人々に呼びかけてきたのです。
「お伊勢参り」と「ご遷宮」の歴史は人々の善意の表れの歴史でもあるそうです。
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by tatakibori | 2010-06-23 21:23 | 神社 | Comments(4)

桃の木から出てきた玉虫

大阪うめだの阪急百貨店で初めて叩き彫展をしたのは今から22年前です。
その頃からの常連のNさんは案内状の作品を予約して下さった事もありました。
今年になってそのNさんのお嬢さんから連絡があり、Nさんが長い生涯を
終えられた事を知りました。
Nさんの手元には私の作品が何点かあり、そのうちの一つを棺の中に入れて
一緒に送ったそうです。
Nさんのお宅の庭に小さな桃の木が植えてありました。
不思議な事に主を亡くした桃の木は後を追うように枯れてしまったそうです。
父の思い出にその木で不動明王を彫って欲しいと言う注文をいただきました。
その時に顔にヒビが入ってきてボツになったのがこの不動さまです。
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昨日、窓際に置いた不動さまの頭に穴が開き、木屑がこぼれています。
中に虫がいるようです。
気持ちが悪いなと思って楊枝で突いてみましたが、奥に入ってしまいました。
今日はクリップを加工した道具を作って引っ張り出しました。
出てきたのはこれです。
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ほんとうにビックリしました。玉虫です。
Nさんの気持ちが玉虫になって現れたのではないかと考えてしまいます。
きっと何かN家の吉兆に違いありません。知らせなければ。
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by tatakibori | 2010-06-12 20:26 | 日々の生活 | Comments(4)

本当にやりたい事は何だろう

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私自身の事を白状すれば、本当にやりたい事が今の仕事だと
胸をはって言える様なものではありません。
色々な事情があって父のサポートをしながらできる事は
他に無かったと言うのが正直なところです。
それでも若い人から見れば30年続けられた実績と今の生活の
基盤があるではないかと言う事になります。
「だから大人はずるい。」という見本のような無責任さかもしれません。

最近になって私はこう思うようになりました。
どんな仕事でどんな生活であろうともその中にささやかな喜びを
見出し明日への希望をつなぐのが正しい生き方なのです。
燃費が1km/L向上したとか、2円安い灯油を見つけたとか
日々ブログのアクセスの増加を目指すとか
ipadの発売日に並んで買うとか
他人にはどうでも良いような喜びで充分なのです。
それが生きていく希望の糧になりさえすれば良いのですから。
けっこうたわいのない幸せを人は求めているものです。
若者にそれを教えるためには好きな事(趣味など)を楽しそうに
語る事が第一歩だと思います。
ささやかな節約でもたわいのない趣味も美しく語れば
魅力のある人生に思えるでしょう。

切羽詰まってどうしても買わなければならないのに
高価な一眼デジカメを選んだりは普通はしません。
楽しめる余裕が欲しいから買ったのです。
その余裕こそが生きていく糧だから必要なのです。
姑息な言い訳は奥様へだけにしておきましょう。

故長岡鉄男氏は「職業は世襲で人は趣味に生きれば良い」と言いました。
あの時代ならまさにそのとおりだと思います。
21世紀ではそれでは食っていけないのが厳しいところです。
職業に目的意識を持つのは難しいからこそ
そういうささやかな喜びを作る人間が生き残れるように思います。
やりたい事を探せというのは正論のようですが
何か大きな勘違いがあるようにも思えます。
私の人生を振り返ってそう思うのです。
大きな夢を持ち、目標に向かって邁進するような人生というのは
ある意味で自分の事しか考えてない勝手な人生です。
総理大臣になる人は全てそうだから国民の大部分は彼等に反感を感じるのです。
ほんとうにやりたい事はささやかな事で充分です。
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by tatakibori | 2010-06-05 20:58 | その他 | Comments(4)

若い人を育てる2

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近頃の若い奴は・・というのはすで2千年前にはあったそうです。
人類が文明を持ったと同時に発生した思考の一つだと思われます。
多くの場合、自分達の若い頃を棚に上げて言う場合が多いようです。
それでも教育者、指導者、組織のリーダーなどは若い人を育てなければなりませんから、
どうしてもそういう論法で話が始まるのだと思います。
芸術系の場合「自分のやりたい事」「夢」「伝えたい事(メッセージ)」
を持たなければならないと言います。
仮に18歳で「ゲームを作りたい」「映画を作りたい」など具体的な目標を持っているとしたら
その人が芸術系の私立大学にAO入試で入る可能性はとても低いように思えます。
我々の頃から大学生はモラトリアムと言われていましたから
今の時代なら大学院生からさらにその後を含めて多くの人々は
自分のなすべき事を探しているのだと思います。
そしてそういう若者の多くは言葉を持たないから大人は理解に苦しむのです。

昔、友人が酔っぱらって屋台のたこ焼きのお兄さんに
「こんなイイ場所ならそうとう儲かるだろう。」と話しかけました。
彼は答えました。「何年もかかってやっとこの場所を確保したんです。
それでもそんなに儲かるようなモンじゃないスよ。オレらは普通の仕事に就けない
事情があるからここで頑張るしかないんスよ。平日はここで、休みの日は観光地で
休み無しで働いてますよ。」
彼等こそ口のきき方も知らず、挨拶もできない若造がその筋の親分に拾ってもらって
教育を受けて一人前になってきたのだろうと思いました。

村上隆のやっている事はそのテキ屋の親分みたいな印象です。
何か表現したくてもがいている若者を集めて説教して一人前に育てようとしています。
自分の事は棚に上げないと話は始まりません。
極端に言うと「露天商の教育論」のように見えます。
せっぱ詰まったところで頑張るしかないのが人生というのは誰でも同じ事ですから。

現実に私立美大では多くの行き場を失った若者が流れ着いているのだと思います。
見方を変えれば、工場が中国に移ったのでしょうがないから大学や専門学校に
進学していると言うのが現状だと思います。
本能としてはモノを作る仕事がしたくても働く場所がないから美大に在籍している・・・
言い過ぎかもしれませんが数字や人の流れから考えるとそんなものです。
才能があったり、運良く若くして自分のなすべき事に巡り合えたら学校に行かない
かもしれないし、美大じゃなくて偏差値の高い一流大学で他の事を学んでいると思います。

時流を読み、若者の苦しみを知り、正しい方向へ導くのが大人のつとめです。
若者の苦しみは社会の歪の反映だと思うし、竹熊さんの言う「それ以前の問題」を
考えるというのは大人自身が「正しい方向」を探すという事なのですから。
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by tatakibori | 2010-06-03 10:10 | その他 | Comments(0)

若い人を育てる

twitter上でのある議論に注目しました。
美術系大学の先生や若いアーティストを育てている大物アーティストです。

先ず、断片的に読んでもしょうがないので
全容を引用します。



村上隆

若者は親に教育されてないなぁ〜。というか、学校でも鍛えられ無いんだろうね。
上げ膳据え膳、当たり前って思ってるんだなぁ。
自主性とか無い。今の教育機関全てが、学生=お客様、って言う考え方で運営してるんで、
金を払ってる=オーナーには媚びてるってわけだ。こんなんじゃ、人材育たねぇ〜よ。

厳しく子育てをしてはいけないっていう、なんかムーブメントがあったんだろうか?
皆、教育を受けていない。挨拶が全く出来ない。
団塊の世代Jrは親が「無責任を自由」とはき違えたのか?なにがなんだか意味不明。
友人達が大学の先生やってるの見てて頭が下がります。よく耐えれるなぁ〜。

伊藤剛さんだったかの大学の教育現場の苦悶を漏らしておられたが、
一般常識から教え直すの、本当に不可能性が高い。
カイカイキキは某人材情報提供会社の新人研修ゼミを受けさせますが、
2回や3回のゼミで、変わるこたぁ、たいしたこたぁねぇわな。
高学歴でも全く社会性のない人間、、、ばかりです。






伊藤剛

いまリツイートした一連の村上隆さんのツイートに自分の名前が出てて驚いたんですが(・_・;)、
ぼく自身は「いまの学生さん」に対して、
「自主性がない」とか「躾がなってない」とかはそれほど感じたことがないです。
要求水準が低いのかもしれないですが、むしろ思ったより「まとも」という印象。

マンガ実作系の学校に来る子は、
親の反対を押し切ったり親を説得したりして学校に来る子が多いので、
わりと特殊かもしれない。
でも、挨拶や言葉遣いが出来てない子は結構いる。
誤字も多い。それと知識欲や好奇心の低い子が目立つのは問題かな。

「自主性のなさ」に関していえば、高校までの教育と、
学校という「場所」で培われてしまった「空気の読みすぎ」
に起因しているのではないかと思っています。
とにかく「××しちゃいけない」という規範と、
減点法の評価の中で生きてきた人たちなので。

だから、「君はものを考えてもいいんだよ」
「自分で判断してもいいんだよ」というメッセージを発するところからはじめないといけない。
「積極的に自分で判断せよ」という命令にしてしまうと、
「先生の眼鏡に適うようにふるまえ」というメタメッセージが生じるので、
余計に萎縮すると思わるからです。

もちろん、積極性のない子、自主性に乏しい子はいます。
いるけれど、自分が二十歳くらいのころどうだったかを考えると、
「まーこんなもんか」と思わないでもない。おそらくぼくは教育の場にいる分、
シビアな現場で若いひとと仕事をされている村上さんよりずっと基準が甘いのだと思いますが。

だから、「君は自分でものを考えてもいいんだよ」というメッセージをそれとなく発するというのは、
もしいま自分が二十歳だったら、と考えるからです。意欲はあるくせに妙に自己を抑圧してるため、
能力を発揮できずくすぶっている学生である「伊藤くん」をどうすれば育てられるかという想定。

こうした悠長なことを言ってられるのは、
いま行ってる実作系学校(東京工芸大、アミューズメントメディア総合学院、桑沢デザイン研究所(今年度休講))
の学生たちの意欲がまだしも高いから。以前に行ってた某専門学校だとそうはいかなかった。
「底辺校の現実」をチラとでも垣間見ることになった。

詳しくは控えますが、もうね。
「不憫」という言葉がぴったり来る感じで。
「上」のほうの子は他とあまり変わらないのだけど……
授業をやってて生命の危険を感じたことがあったのはここだけ。

「伊藤くんは高校教員の世界じゃ一月もたない。
自分の意見をはっきり言うから」と、高校教員の友人に言われたことがある。
公立教員の世界では「自主性」はむしろ邪魔なものらしい。
加えて、教員には減点法の評価はあっても、加点法の評価はない。
そんな環境で「自主性」を育てることができるのか。

おそらく、「学校」という職場で教員に求められるプロトコルと、
学校以外の場所で求められるそれが大きく異なっていることに問題の核心はあるのだと思う。
これはつまり、「学校」という場に最適化した人が集まってしまう以上、制度をいくらいじっても、
改善は見込めないことを意味している。





竹熊健太郎

村上隆氏のツィートに伊藤剛君が返信する形で教育論議が続いている。
村上さんは「今の大学生は社会常識がなっていない」と嘆き、
伊藤君は「自分の若い頃を思い返せばこんなものだ」と返すのだが、
どちらも同感。問題の立て方が両者ほんの少しずれている感じ。


問題は、どこの教育現場にも「意欲と能力が高い人」
「意欲はあるが、能力に劣る人」「能力はあるのに、意欲に欠ける人」
「意欲も能力もない人」が混在していることだと思う。
もちろん村上さんが嘆くように「社会常識のない学生」は、
意欲・能力の有無を問わずに存在している。


まず大前提として、「意欲と能力に欠ける人」
に対して何かを「教える」ということは不可能だということである。
社会常識の欠如に対しては、
「意欲のある者」にこれを教えることは十分可能なはず。
問題は「意欲と能力が欠如した者」が少なからず存在することだ。

大学の現場で学生を教える立場では発言は慎重にならざるを得ないが、
一般論をかけば、「意欲と能力に欠ける者」は、
本来大学には「来てはならない」人あなんだと思う。
これは言葉を換えるなら、
「大学として、本当は入学させてはならない」人々である。

本来、入れてはならない人を入れてしまうのは、
ひとえに「経営問題」に尽きる。そういう人を入れなければ、
大学経営が成り立たないということである。
「入れる方が悪い」とすら、自分は思う。

これは本当に深刻な問題だと思う。村上隆さんがおっしゃるように、
学生個人の問題に還元することは、たいへんに気持ちは分かりますが個人的には
「それ以前の問題」が気になってしまう。




3者ともそれぞれの立場や性格が現れてとても興味深く読みました。
私なりの考えは続編で・・・。
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by tatakibori | 2010-06-02 08:51 | その他 | Comments(0)