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満州からの手紙

昭和17年 満州より、河野磐様

君等こそ、おれ達の夢を満足している人だ。―と内地から激しい満州への夢が書かれていました。
皆んな考えちがいをしておられるようです。満州はどこまでいっても過渡期より抜け出すことは出来ない国だと思います。
その国に過渡期が必然的にともなう粗野と不正を承知の上の敢行が当然あることはおわかりのことと思います。
何故抜け出すことが出来ないか。それは内地の水があまりにも清冽で美味しいからです。
青い涛、岩にくだける泡、透明な塩からい海。
―植民地政策が神話まで逆もどりして出発したこの国が、過渡期でなくなる時は「異う国」になっている時です。
建設の時です。私はその第一線といっていいめぐまれた地位を与えられています。
しかし、粗野の中に生きるほど私の神経は強靭に出来ていないし、だいいち日本はあまりに美しすぎます。・・・・・

                     「外国(とつくに)旅情」河野磐より引用


人類の長い歴史からみれば70年ほどの歳月では何も変わりはしない・・・
この手紙を読んでそう思いました。
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by tatakibori | 2010-09-25 19:02 | その他 | Comments(0)

マフラー交換

車検は明日ですが、部品が届いたのでマフラー交換をやってみました。
ヤフオクで調達した純正パーツ、新古品が5,000円と送料が1,980円です。
誰でも出来る作業ですがリジットラックは安全のために必要です。
逆に言えばこれさえあれば素人でも可能なのです。
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サクシードはリアサスがシンプルでジャッキアップも簡単です。
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マフラーはゴムの部品で3点で吊るしてあります。
センターマフラーとのジョイントの2本のボルトだけ外せばゴムを引っこ抜くだけです。
ボルトとゴムにはオイルスプレーを前日からたっぷりしみ込ませて作業を楽にします。
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外したマフラーは引っかかって抜けなくて、前もジャッキアップしてやっと外せました。
外しさえすれば作業の80パーセントは終わったも同然です。
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新旧2本を並べてみました。古いのは穴が開いているのでなくて錆が酷いというだけです。
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サビがあるから外すのがやっかいなのです。
新品を取り付けるのはあっという間に出来上がります。
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目立つ部品ではないから取り替えても何も変らないのが残念です。
7年10万kmですからあと10万kmは使えるでしょう。
クルマ好きな方は多く、ブログにもそのこだわりなど書かれる人もあります。
私はクルマ好きかどうか分かりませんが「クルマに関するDIY」は好きです。
だからクルマ好きの方の話やこだわりは理解不能な事が多いのです。
トヨタの実用車は整備性については圧倒的に優れていると思います。
ディーラーの利益を考えれば当然の配慮なのでしょう。
輸入車や高級車はDIYに適さないので今後も購入することは考えられません。
今回の車検は下回りのサビ止め塗装を追加したので、
このサクシードはもう5年くらいは乗る予定です。
ライトトラックタイヤのハンドリングは最悪ですが、クルマそのものはとても信頼性が高いと思います。
欲を言えばディーラーがもう少し親切ならばと思う事があります。
こんなですから、高級車が主体のトヨタのお店では「儲けの少ない客」となるからかもしれません。
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by tatakibori | 2010-09-25 11:30 | 日々の生活 | Comments(0)

映画の楽しみ4

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河野先生の描いたポスターを見るとフランス映画が多い事に気がつきます。
「風と共に去りぬ」の印象が強いのでハリウッド映画もあるのかと思ったらあと3つほどあるだけです。
フランス映画は「別れの曲」(1934)、「旅路の果て」(1938)、「大いなる幻影」(1937)、
「巴里祭」(1933)をはじめ数多くあります。
初回の自主上映会もフランス映画「乙女の湖」(1934)でした。
河野先生は戦前のフランス映画が最も好きだったのです。
ポスターはありませんが「うたかたの恋」(1935)には深い思い入れがあります。
私家本「外国(とつくに)旅情」にその記述があります。
1967年冬の欧州旅行でオーストリアを訪れた河野先生はハプスブルグ家の墓所を訪ねます。
ウイーンの街角で出会った親切な老夫人の薦めで悲劇の女主人公マリー・ヴェッツェラのお墓参りが叶ったのは偶然ではないように感じます。
「うたかたの恋」とはオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの心中事件をもとにした物語です。
ルドルフの死後立てられた次の皇太子は暗殺され、そこから第一次世界大戦へとヨーロッパは進んでいくのです。
「うたかたの恋」は何度か映画化されましたが河野先生はこう書いています。
「マリー・ベッチェラーはどうしてもあの若い頃の白い薔薇のつぼみのように美しかったダニエル・ダリューであり、
皇太子ルドルフはシャルル・ボワイエでなければならない。」
この旅と同じ頃ハリウッドの「うたかたの恋」(1969)製作のため取材があったのです。
その映画は主演がカトリーヌ・ドヌーブだったのでした。
美しさと悲しさを描いたほんとうの映画はエピゴーネンを許しません。
まさに純粋な映画ファンがここにあったのです。
ある日本の映画監督はスターリンの墓参りをしたそうですが、
それでは美しい世界を描くことができないのは当然です。
映画が美しかった時代は1930年代のフランスに尽きるのかもしれません。
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by tatakibori | 2010-09-24 20:46 | その他 | Comments(0)

映画の楽しみ3

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河野先生の私家本は何冊か出版されましたが、
「グラフィックデザインの自分史」と題されるポスターを中心とした画集に映画の話も書いてありました。
映画館以外での上映というのは私の間違いでした。
既存の東宝や錦映などの小屋を利用して上映会は開催されていたようです。
昭和21年から25年にかけて、津山市青年協議会、欧州映画鑑賞会、高校映画連盟
あるいはチャリティ上映のため、ポスターカラーとパステルで手描きされた映画のポスターがあります。
GHQの検閲をまぬがれた古い作品がひっそりと上映されているのを知った河野先生は
これを見逃してはならぬと訴え、情報を分かち合い、そして行動に移したのです。
そのもっとも経費のかからぬ、効率の良い宣伝方法が手描きのポスターだったのです。
そのうち鮮烈な映画の時代がすぐにやって来て、このプリミティブな方法で情報を分かち合う
必然性はなくなり、わずか数年で手描きのポスターの使命は終わったのでした。
河野先生は美作大学の教授として津山に帰ってきてからも
津山市民劇場、津山古典映画鑑賞会そして平成になってからは「映画を楽しく」と
常に映画の楽しみを大勢の仲間と分かち合う中心にいました。
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昭和という激動の進化の時代を丸々生きた河野先生には「プリミティブな方法」だったかもしれませんが
今の我々にとっては物つくりの多くの才能があってはじめて出来る質の高い表現に見えます。
映画館がなくなった津山で細々と続けられる上映会はまさに手作りで
口伝えに人を集めて、ホールでの映画の楽しみを残そうと開かれているのです。
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河野先生の本の中に、ビデオが登場してコタツの中で一人で気の向いた時に
映画を楽しめる夢のような時代になったと書いてあります。
実際に先生のお宅でコタツに集まって古典名画を先生の解説付きで鑑賞された方も多いと思います。
今は更に時代が進み、廉価なDVDレンタルがあり、高画質で大画面のテレビで楽しめます。
しかし、お手軽なデジタルよりも重厚長大でお金のかかるアナログの方がより楽しみが大きいのは
どの分野でも同じだろうと思います。
そしてプリミティブな情報伝達でなければ心が通わないのも事実です。
もう一度手描きのポスターを作るくらいの意気込みが求められているのです。
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by tatakibori | 2010-09-16 22:31 | その他 | Comments(0)

映画の楽しみ2

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音楽ならばラジオで聴けばお金はかかりません。
レコードはとても高価で最初は限られた裕福な人々の高尚な趣味だったのです。
終戦直後には津山でも同好の志が集まり、蓄音機によるレコードコンサートが開かれたそうです。
レコードを庶民の若者が手に入れられるようになったのは1960年代の後半になってからです。
当時、多感な10代だった人たちが最もポピュラーミュージックを愛する世代です。
私よりは少し上の、ちょうど団塊以降の昭和20年代半ばの生まれの人達です。
ビートルズをリアルタイムで聴いた世代と言えば分かりやすい表現です。
コルトレーンを生で聴いたとか、ツェッペリンのコンサートに行ったとか
信じられないような話が出てくる人もあります。

映画を最も愛した世代はどのあたりの人達でしょうか。
これはかなり幅があり、淀川長治(1909年生)から水野晴郎(1931年生)と言えば簡単です。
明治の終わりから昭和の初めに生まれた人達です。
河野先生は1920年生まれですからその真ん中で、戦前の映画を楽しんだのです。
「アンナ・カレーニナ(1935)」のグレタ・ガルボこそ永遠の美女だったのです。
対照的に美貌で売ってない美人(?)マレーネ・ディートリッヒの存在も偉大でした。
どう撮れば最も美しく見えるか、銀幕の中の輝くスターを通じて河野先生はそれを学んだのです。
日本の女優なら李香蘭(山口淑子)がお好みでした。正統派美人が好きだったのですね。

私達のようなテレビ世代になってくると、親が映画が好きかどうかで
子供の頃から親しんだ映画がまるで違ってきます。
今の若者の間では、ビートルズやストーンズ、ディランなど親が好きだから
子供の頃から知っているという環境があって、はじめてロック好きになるそうです。
リアルタイムの体験でないから、家庭環境が大きく影響するのです。
日本全体で言えば淀川長治や植草甚一のような語り部がいて、
家庭環境に恵まれなかった人達にそれを提供したと言えます。
そういう人が身近にいて生で熱くそれを語る、それこそが河野先生だったのです。

河野先生にとって一番不可解な映画は「ウッド・ストック」だったそうです。
大正生まれはさすがにロックに関心は無かったようです。
初期の映画の面白さから離れていった時代の「スターウォーズ」も批判していました。
今も映画の王道は美女をより美しく撮る事だと思います。
映画が観られなかった終戦直後における河野先生のような人が
映画館がなくなってしまった今の津山にもう一度必要です。





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この文章は津山文化振興財団の季刊誌の為の原稿の下書きです。
河野先生は津山にとっては映画、演劇の恩人ですが、私の母と妹の恩師でもあります。
その影響で、山田家は映画好きの家族でしたが、私はその中の例外で映画はそれほど好きではありません。
河野先生と映画の話はもう少し調査して晩秋までにはまとめようと計画中です。
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by tatakibori | 2010-09-10 20:44 | その他 | Comments(2)

映画の楽しみ

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先日、書いたように津山には映画館がありません。
現在は市のいくつかあるホールで鑑賞会のように上映されているようです。
旧作にはDVDレンタルもありますから、上映されるのはDVD発売前の新作が多くなります。
連休とか夏休みには子供向けの作品が観られるようです。

テレビの無かった時代には映画は今よりもっと大切な娯楽で
私の育った町でも、姫新線勝間田駅前の芝居小屋(兼映画館)に
多くの人が集まってチャンバラ映画など観たそうです。
映画は覚えていませんが、映写室に切れてつないだ残骸のようなフィルムの切れ端が
落ちているのが面白くて拾ったのは最も古い記憶の一部です。
終戦直後はまだ固定した映画館が無かったので洋画は今と同じような自主上映でした。
津山の芸術文化の牽引者であった河野磐先生は無類の映画ファンで終戦直後から
自主上映の中心メンバーでした。
当時の手描きのポスターは今も大切に保管され、近く再開される河野美術館でまた観られるようです。
河野先生から聞いた話ですが、歴史上最も悲惨な第二次世界大戦のその真っ最中にも
上海やシンガポールで「風と共に去りぬ」を多くの日本軍関係者が観たそうです。
「風と共に去りぬ」ではなくて「Gone With The Wind」で、もちろん日本語字幕も無しです。
「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」というのは有名な話です。
戦争は悲惨で日本は軍国主義でどうしようもない状況だったのですが、
芸術的感性の並外れた河野先生の大陸での戦争体験は多くの人とは違います。
「奇跡のシンフォニー」という映画で主人公の少年は聴く音全てが美しい音楽に感じる場面があります。
あれと同じで、河野先生は「見るもの全てが美しい」のですから、
中国の美しさや人々の優しさなど人生最高の体験があったと語ります。
敗戦の深い悲しみの中、故郷の女学校の教壇へ帰った河野先生は
勉強どころでなかった学び舎で演劇や映画、レコードコンサートなど
子供達に夢を与える活動に没頭したのです。
先生は昭和26年には上京してグラフィックデザインの仕事に就きますから、
それはわずかの時間だったのです。
映画配給の興行師からフィルムを借りて、ポスターを描いて貼って廻り、
多くの人を集めて映画鑑賞会を開くのはワクワクする楽しさに満ちていたことでしょう。
一枚80円のレンタルDVDで観る映画とはありがたさがまるで違います。


                             (この話、もう少し続く)
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by tatakibori | 2010-09-08 09:23 | その他 | Comments(0)

CDをコンピューターへ

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CDをデータ化して全部コンピューターに入れようとしています。
ファイル形式はMP3でビットレートは128Kbps(最小)です。
MP3を選んだのは再生する機器の範囲が広がるからで
ビットレートは容量をできるだけ小さくおさえるためです。
ウインドウズ・メディアプレーヤーで取り込んでいます。
現在の所500枚ほどデータ化できました。
あと何枚あるかはまだ分かりません。
パソコンに中国製デジタルアンプとAR25という20cm2ウェイの
スピーカーをつないで再生していますが
予想よりはずっと良い音で鳴っています。
10年前のパソコンとは音質に隔世の感があります。
小型スピーカーなら音源はMP3ファイルで充分だと思います。
5000曲くらいをパソコンでランダム再生すれば飽きることなく聴けるはずです。
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by tatakibori | 2010-09-04 20:44 | オーディオ | Comments(2)

映画を観る時間

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津山から映画館がなくなって2年近く経ちました。
DVDレンタルの映画でも充分楽しめるのですが、なかなかその時間が作れません。
テレビはほとんど観ないので、インターネットで遊んでいる時間を少し回せばそれくらい
何でもないと、この夏は少しずつ映画を観ました。

最後に観たのは「毛皮のエロス」、ダミアン・アーバスという女流カメラマンのお話です。
主演は二コール・キッドマンでストーリーや主人公の人格の衝撃性よりも彼女の美しさを
カメラが追い続けるのが印象的です。
かつてのオードリー・ヘプバーンのような魅力に満ちた女優だと思いました。
その前に「プラダを着た悪魔」を観ました。
これもヘプバーンのマイ・フェアレディなどを連想させるような物語です。
主演のアン・ハザウェイはイマイチかもしれません。
同じようなタイプならジュリア・ロバーツの方が魅力的です。
その前は邦画で「百万円と苦虫女」でした。
これも主演の蒼井優の美しさをカメラが追い回すような作り方ですが、
残念ながら彼女は若すぎるという印象です。
芝居としての見せ場が無いのも物足りないところです。
日本で作れば女優の使い方はこのあたりが限界かと思いました。
ハリウッドにも美貌に特化したわけでない美人女優がたくさんいますから
美しさが負けていると言うよりは使い方が悪いのだろうと思います。
少し前に観たトム・クルーズ「エージェント」に出ていたレネー・ゼルウィガーは太目だし芝居も下手に見えますが
控えめで優しそうな笑顔を上手く使っていて魅力的なキャラクターです。

何本か観て思いましたが、映画はここ数十年で基本的には何の進歩もありません。
映像の美しさなどきめ細かな作り込みのようなものが大人向け映画の魅力になるのだろうと思います。
職人的な技術レベルが重要です。
これは他の色々な分野でも同じような事が言えるはずです。
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by tatakibori | 2010-09-03 13:59 | その他 | Comments(0)

撥水加工

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自動車のフロントガラスに撥水剤を塗っています。
普通の自動車なら高速道路などで速度が上がればワイパーを使わなくても
雨水はガラスの上を滑るように飛んでいき視界は良好です。
しかし、撥水加工が効かないクルマがあります。
古いジープのようにフロントガラスが真っ直ぐな平面になっていたら
水滴は勢い良くは飛んでくれないそうです。
クルマのガラスは良く見ると縦方向にも横方向にも曲がっています。
「複合曲げガラス板」になっているのです。
自動車を観察すると前と後ろそれにサイドの一番後ろのガラスは
複合曲げガラス板ですが、窓が開くようになったドアのガラスは少し違います。
「単一曲げガラス板」と言って縦の方向に曲がっているだけで、横方向は曲がっていません。
窓をスライドさせるためには複雑な曲線だと困るようです。
1970年頃までのクルマは、ドアの開くガラスは平板で、それ以外は単一曲げガラスだったようです。
昔の車はドアの窓がいかにも「建具」というデザインでした。
自動車の革命はAT車の普及とかドアミラーの解禁、ツインカムやターボの登場などが挙げられますが、
ガラスの曲がりが一番大きな出来事だったのではないかと思います。
そして今、エンジンの無いクルマの登場が静かに始まっています。
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by tatakibori | 2010-09-02 19:27 | 日々の生活 | Comments(0)