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木版画教室

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先日の香川での叩き彫展で初の試みで「木版画教室」を開催しました。
6日間の合計20数名が参加されて、充実した時間と出来上がりの作品に大満足でした。
最近はワークショップという名で参加型のアートイベントが流行っていますが
自分でやったという満足感ではこの木版画教室はかなりレベルが高いものがあります。
全くの通りがかりの人も多く、お母さんが突然に始めてしまって2時間も待たされた
お気の毒な家族もありました。
それだけワークショップに興味を持っている人も多いのです。
用意されたガラスや陶器に絵付けをするタイプの教室も楽しそうですが、
木版画は絵が描けない人のために下絵を数種類用意してあります。
ちょっとしたアレンジや文字入れでオリジナル度がアップします。
集中力も要りますし疲労感もあるので刷り上りの感動がありますね。

今後は下絵の種類を増やし、簡単な額も用意して2,000円程度の参加費で開きたいと企画中です。
少し大きなアートイベントにワークショップだけの参加として開催するのも面白いかもしれません。
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by tatakibori | 2011-05-27 14:23 | 仕事 | Comments(0)

香川・丸亀で叩き彫展開催

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香川・丸亀市綾歌町栗熊東の山一木材・KITOKURASギャラリーで
5月20日(金)~25日(水)
山田尚公 叩き彫展 を開催します。

今回から仕切り直しというか気持ちを切り替えてやろうと考えています。
先ずは製作実演です。
どうやって彫るのか、どれくらい時間がかかるのか
見れば分かります。
次に、最近流行のワークショップです。
木版画教室を開催します。
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震災以降考えたのは「社会貢献」です。
微力な彫刻家がどうやって社会貢献するのか難しい問題があります。
やはりイベントを通じて経済活動に少しでも参加していくのが正攻法です。
既存の百貨店や画廊での個展も良いですが
21世紀のスタイルとして非営利のNPO法人などのイベントに参加するのも
面白い方法だと考えています。
今回はNPOではなくて一般の企業の主催するギャラリーですが
この部門は非営利を趣旨としている変わった形態です。
ここに集まる人々の中から千人に一人でも本業の客が出てくれば良いという
ゆとりのある営業スタイルです。
NPO法人もスポンサーが必要です。
結局は多くのNPOは自治体の支援を受けています。
場合によってはお荷物になっているのは否めません。
大手のメセナでなくても、発想を変えて方法を探り
結果的に芸術文化への大きな貢献を実践しているのがここのギャラリーです。

先日、紹介の「浅野晃詩文集」も一介のサラリーマンが私財と
労力を注ぎ込んで具現化した非営利の出版です。
自著の私家本を趣味で発行するのとは違う大きな文学への貢献なのです。
こういう動きが21世紀の芸術文化だと思います。
それだけ世の中が豊かで成熟しているのだと思います。
しかし、色々なものが溢れて分かり難くなっている現状もあるようです。

今回は初めての場所なのでどれだけの来客があるか分かりませんが
来場者にはできるだけ楽しんでいただきたいと思っています。
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by tatakibori | 2011-05-19 19:37 | 仕事 | Comments(6)

情報格差

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数年前までは情報格差とは主にインフラの整備の問題でした。
ここへきて「情弱(情報弱者)」という言葉の流行からみると
環境の問題ではなくて情報を的確に集める技術の話になってきたようです。
価格コムやヤフーオークション、楽天市場を調べて少しでも安い買い物をするとか
アマゾンで希少な本やCDを手に入れる、ネットでいち早く安いチケットを手に入れる
そういった技術が情報格差の代表となってきたようです。
ところが、震災以降は溢れる情報の中から真実を見極めるのが困難になりました。
情報格差というよりその人の信念とかイデオロギー、人生観があらわれてくるようになってきました。
情報を手に入れる事は簡単な技術によって誰にでもできますが
そこから自分にとって有意義で価値ある情報を選ぶには
今までの検索のテクニックだけでなくそこに書いてある情報を正確に読むという
何でもないあたり前の技術が再び重要になってきたと思います。
場合によってはデータの数値だけがカギになります。
特に原発事故の情報は単位も複雑で、放射線に対する科学的知識が無ければ
再発信する情報が全く意味を失う事も多かったようです。

出版物の場合は校正という作業があったのですが、個人がtwitterやブログで発信するのは
校正も検証も第3者のチェックも何もありません。
たいへん危険な情報の垂れ流しが発生して社会は混乱の真っ只中です。

「これじゃあ大本営発表となんら変わりない」と言われますが
あの時代でも情報格差はあって少なくともちゃんとした教育を受けた人々は
大本営発表など何も信用していなかったそうです。
父の思い出話に、松戸の航空学生だった東京大空襲の次の朝に軍人の教官が
「昨夜の関東大震災・・・」と言ったのがとても悲しくて、敗戦が近いのを
実感したというのがあります。

ネットが使えるようになって自分がとても賢くなったような気がするのは全く錯覚です。
70年近く前も今と本質的には大差ありません。
いや、もっと昔の新聞もラジオもなかった江戸時代でも同じような事ではないかと思えてきます。
価格コムで安く買い物したのは情報に強い事とは関係なかったのです。
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by tatakibori | 2011-05-04 20:52 | 日々の生活 | Comments(4)