<   2011年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

外食

d0006260_2172962.jpg

ある人の日記を読んでいて気がついたのですが、
私のブログには外食の記事がまったくありません。
長期出張があるし、たまには出かけるので
外食をしないわけではないのですが、
それを記録したり人様に話すなど、
私にとってはたいへん恥ずかしい事です。
美味しいものを一人で食べに出かけるという行動自体が
私にはまったくないのです。
美味しい料理は誰かをもてなすためにあるものです。

飲兵衛の父親を持ったので子供の頃から
料理屋とか酒場は知ってました。
そういう場所でお酒を飲むという雰囲気が
子供心に嫌な感じがしていたのだろうと思います。
たぶん3歳か4歳位の物心がつきはじめた頃の思い出です。

自分ではあたり前と思っていた考えが、
じつはかなり変わった考えだった事に気がつきました。
でも、やっぱり何処へ行って何を食ったとか、
私には恥ずかしくてとても書けません。
今後の課題として何時の日か、
それに挑戦してみたいと思いました。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-25 21:21 | 日々の生活 | Comments(2)

個人的レコード大賞2011

d0006260_18505411.jpg

なんと、今年買ったCDで新録音のものはこの2枚だけです。
ライ・クーダー「プル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウン」
ポール・サイモン「ソー・ビューティフル・オア・ソー・ワット」
どちらも今流行のルーツ・ミュージックをベースにしています。
懐かしいような安心感と、それでいてどこかとても新鮮なサウンドが魅力です。
他に、今年よく聴いたのはソフィー・ミルマンやリッキー・リー・ジョーンズなど
ジャズ系の女性ボーカルです。
全部が徹底したアコースティック・サウンドで高音質録音です。
2011年は原点回帰でありアコースティックの時代真っ只中であると言えます。
ライ・クーダーとポール・サイモンはどちらに軍配を挙げるか考えてみました。
私は、ライは案外にゴージャスなサウンドだと思います。
トラディショナルの曲を演奏するとそれが良く分かります。
ポールはかなり時間をかけてアレンジしていると思います。
数十回も聴き込むと凝った音作りがだんだん見えてきます。
クルマのオーディオで繰り返し聴いていても飽きないので
遠乗りの時に5回くらい続けて聴いた事もあります。
たいへん知的な音楽だと思います。
派手さや見せ掛けの洗練が無いので分かり難いですが
年輪を感じさせる芸術だと思いました。
ポピュラー・ミュージックは新しい時代を迎えているのだと思います。
という訳で、ポール・サイモンが今年の大賞に決定です。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-24 19:08 | 音楽 | Comments(2)

エビス

d0006260_19304142.jpg

木版画はエビスさまです。
古事記では蛭子(ヒルコ・えびす)はイザナギノカミ(男性)とイザナミノカミ(女性)の最初の子ですが
産む時に女性から声をかけたので足の立たない障がい児が生まれてしまったのです。
蛭子さまは葦の船に載せてオノゴロ島から流されました。
たどり着いたのが今の兵庫県西宮の猟師町です。
猟師たちは神様の子として蛭子さまをたいせつに育てました。
そして豊漁に恵まれ豊かな町になったのです。

このお話のイメージなら、上の木版画のような可愛くて皆から好かれる
幼いエビスさまの姿が浮かんできます。
障がい児のイベントのポスター用に制作しました。

女性から声をかけたので障がい児が生まれ、
そしてそれを残酷にも海に流したと解釈して
日本は古来から女性差別と障がい者差別のある劣った国だと
とんでもない解釈をつけた人達もかつてはありました。

古来からの民俗信仰では障がい児は福の神という話はいくらでもあります。
近代の都市伝説で、知的障がいのある人が立ち寄る店は繁盛して
そうでない店が潰れていったのは東北で本当にあった話です。

日本の神話では太陽は女性(アマテラスオホミカミ)で、月は男性(ツクヨミノミコト)です。
私の作品に風の神がありますが、それはシナトベノミコト(女性)とシナツヒコノミコト(男性)の
二人の神さまをひとつにしたものです。
民俗信仰にある道祖神も男女一体の姿で神々の世界には男女の差別は無いようです。

エビスさまは男の子でその後にアワシマさまという女の子も生まれましたが
それも障がい児の神さまで全国に淡島神社として祀られています。
アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの三神はその後に生まれていますから
妹や弟という事になります。

グリム童話などでも残酷な話が多く、物語や伝説の中では今の人権や
人の命に対する考えでは驚くような表現もあります。
それもまた人間の歴史であると私は考えます。
日本神話の男女平等で障がい者にも優しいお話をたいせつにしなければなりません。

神話には色々な物語があり、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメのお話など
初めて読んだ時には驚いたものです。
それぞれの解釈に醜い悪意のフィルターを入れる必要は微塵もありません。
神々のお話ですから荒ぶる神も中にはいるのです。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-17 20:31 | 神社 | Comments(2)

死を見つめる

d0006260_2045655.jpg

「海も暮れきる」吉村昭著と「サルバドールの朝」(2006スペイン映画)は似ています。
「海も暮れきる」は自由律俳句の尾崎放哉の小豆島での壮絶な最期を描いた小説です。
「サルバドールの朝」は1970年代初頭のフランコ政権末期のスペインの
反体制運動の若者が死刑になる物語で実話です。
内面の弱さに深く切り込んだ人物像の描き方と否応無しに襲ってくる死の恐怖、
冷たく孤独な死・・・そして天国の神のもとへ召されて永遠の輝きを持つ主人公、
共通する多くの物語の展開があります。
ストレートに人間の命を語ると、国や民族を超えた技法があるようです。

読み出しのドロドロとした情けない人物像からは思いもよらぬ清らかな読後感は
まさに大切な人を送ったのを思い出させます。
尾崎放哉(1885~1926年)鳥取生まれです。
当時の鳥取には田中寒楼(1879~1975年)という隠れた俳人もありました。
世界で最も短い詩に命を賭けた多くの俳人の命が見えてくるようです。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-11 21:05 | 読書 | Comments(0)

Regulation

d0006260_8444331.jpg

私は自営業でまったく人に使われた経験がないから、何度も社会の壁にぶつかり
苦い思いをして身をもって社会の規則を知ってきました。
規則や慣習を先に知ってその中で生きる、組織に属する人とそこが違うところです。
仏さまを彫る事を始めた頃に自由奔放に生きてきた先輩に
「仏像を彫るなら先ずその約束事を勉強してきちんとしたものを彫らなければならない。」
と言われ驚いた事があります。
まっとうな意見のようですが、大きな間違いがあります。
当然ながらその手の入門書や仏像に関する書物を集め少しばかり読んでみた
私の結論は、仏像などおいそれと彫るものでは無いという事でした。
スタートに大きな矛盾を抱え行き詰まります。
理屈や規則で考えると成り立たないのが芸術であるのを深く知るのです。
先にルールを知るよりは先ず体を動かして何かやるのが正しい方法です。
その先輩は詩人でしたが、詩の世界にも様式やレギュレーションが存在します。
俳句には禁忌八条と言うのがあります。
  無季の句を詠まない
 重季の句を詠まない
 空想の句を詠まない
 や・かなを併用した句を詠まない
  字あまりの句を詠まない
 感動を露出した句を詠まない
 感動を誇張した句を詠まない
  模倣の句を詠まない
俳諧の持つ季語や切れの制限を持たないのが川柳です。
川柳にもデリケートな約束があるのでそれを踏み外すと「言葉遊び」になってきます。
ネット上の俳句などはその言葉遊びにもならない、言わば「言葉を並べただけ」の
ようなものが多いようです。
さらにひどいのは言語そのものに間違いがあれば「単なる文字の羅列」になってしまいそうです。
俳句にも自由律俳句というのがあり尾崎放哉、種田山頭火などルールにとらわれない
美しい言葉の世界を展開します。
話し言葉の文学の面白さがそこにあるように思えます。
ただ、→山頭火→相田みつを と流れていくと私の好きな文学の世界から離れていきます。
好き嫌い以前のリテラシーの差がそのあたりの好みに反映されていると考えるのは
独りよがりとしておきましょう。

以前、ドレスコードの話を書きましたが正装にはドレスシューズ、ドレスウォッチなどもあり
ストレートチップの靴や黒い革ベルトのシンプルな銀時計など見ているだけで
不思議と清々しい気分になります。
白いシャツを着て正装に近い服装なのは、同席する人々に対する礼儀である以前に
その会場にある神々への礼儀であると今は考えます。
洋服にも深い歴史や様式があるので多くを知る必要はありませんが
それが持つ文化としての意義を感じるのです。
同じように言葉の持つ力を感じ、造形の持つ感動にしても
人間の本質的なレギュレーションを学ぶ事から進めていきたいものです。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-09 09:44 | その他 | Comments(0)

女性像

d0006260_19484219.jpg

父の得意な妖艶な女性像です。
品のよさと色っぽさを高い次元で表現していると思います。
時々ですが、このような女性像を嫌うお客さんがありました。
ずべて、奥様が嫉妬してご機嫌が悪くなるという話でした。
世の中にはずいぶん嫉妬心の強い女性がたくさんいるのだなあと思っただけでした。
しかし、私も年齢を重ねオヤジになってきて
人の心情の奥深い部分をようやく知るようになりました。
この場合の多くは女性の嫉妬心ではなくて男性の欲情を醜く感じる
女性のデリケートな感情であるようです。
男たるもの適度な色気を持ちながらも気高く紳士的であるべきなのです。
劣情を起こさせるのは芸術として劣るものではないかと
父と激論した事がありますが、作品がいくら気高くても
鑑賞する側のフェティシズムが2次元にあるなら
その責任は作者にはありません。
しかし、厳密に言えばそういう傾向は多くの人が持っているし
美術を愛する人に限ればさらに割合が高くなると考えられます。
だからこそ芸術家はあくまでも気高い表現を目指すべきなのです。
相聞歌に対する解釈を話せばその人の愛情の在り処が分かります。
「萌え」という流行語にも広い意味があり、男女の感情を超えた
深い人間愛を語る人もネット上に見た事があります。
美術における「相聞」というのが今後の私のひとつの課題になってくるように思えます。
歳を重ねて初めて取り組める表現もあるようです。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-01 20:42 | その他 | Comments(2)

趣味

d0006260_14162983.jpg

「手段が目的となることを趣味と言う」は長岡鉄男の名言のひとつです。
オーディオはハッキリしていて、音楽を再生するための装置ですから
目的は音楽を家庭で楽しむことなのにその機械を愛でるのがオーディオ趣味の醍醐味です。
かなり「趣味」に特化した愛好家も多く、場合によっては数枚のレコードやCDを聴くために
機械を取り替えて楽しむような人もあります。
長岡氏はもともと放送作家だったのが趣味のオーディオ評論が認められて成功したそうです。
彼の場合は趣味だったものが仕事になったのだから、手段が目的になり
さらにその目的が生活の手段になるという変遷があります。

デジタルカメラが大ブームで観光地に行くとほとんどの人がカメラを持っています。
高価な一眼デジタルの普及も進んでいるという印象です。
多くの人は思い出のために写真を撮っていますが、写真趣味の人は
写真を撮るために風光明媚な観光地へ出かけています。
外見でそれを見分ける事はできません。
高価なプロ用カメラを持っている人でもカメラを所有しそれを愛でるのが目的でなくて
単純に美しい写真を撮りたいという発想の人もいます。
マニアかどうか見分ける方法もあります。
話しかけてスムーズな会話が困難な人がいます。
そういう人は概ねマニアです。マニアの中には初対面の人と話すのが苦手な場合があるのです。
恐れることはありません、精神を病んでいる人は趣味を持たないのもはっきりしています。
マニアはただ会話が苦手なだけです。
マニアは撮って出来上がった写真よりも機械としてのカメラの魅力や
それにまつわる情報を好みます。
話題の新製品などいち早く情報を手に入れてますから友人にマニアの一人くらいは
キープしておきたいものです。
私なんぞはこの分野ではマニアのうちにとても入れません。

私も色々と趣味があるようですが、手段を目的としているほど熱中するのは、
何と言ってもスピーカーの箱を作る事です。
音楽は好きで色々と聴きますが間口が広いとか何でも聴くと言われます。
スピーカーの箱を作ったら色んな音楽が楽しく聴けるという夢があるのです。
似た趣味に楽器を作るというのがありますが、楽器の演奏の才能がないので
興味を持ちません。
もしもギターが上手に弾けたら、家中に自作のギターとマーチン、ギブソンや
フェンダーがゴロゴロしていることでしょう。

私の場合は趣味性の高い職業なのですが、
「世襲」のようなものなので、一般の同業者と違って
自分を表現する手段としての創作という意識が弱いと自覚しています。
自分がやるならこうするという発想が多いのです。
そういう意味では創作を趣味としている度合いは
多くの同業者より高いのではないかと最近は思っています。
木彫が好きかどうか考えると自信のない部分もありますが
何かモノを作るのは大好きで、良いものを作るより
作っている事を楽しんでしまう傾向にあります。
[PR]
by tatakibori | 2011-12-01 14:54 | 日々の生活 | Comments(0)