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星条旗への抗議

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周りの人と話していて、意外に知られていないのでここへ書いておきます。
1968年メキシコシティでのオリンピックで陸上競技男子200mでの表彰式での出来事です。
優勝はトミー・スミス、3位にジョン・カーロスと二人のアフリカ系米国人が表彰台に上がりました。
星条旗が掲揚され国歌が流れる間、二人は黒い手袋の握りこぶしを高々と挙げて
黒人への人種差別に抗議したのです。
当時、「ブラックパワー」と紹介されたそのパフォーマンスは衝撃的でした。
二人への処分も即日行われ、ナショナルチームからの除名と選手村からの追放、
そしてオリンピックからの永久追放という考えられないほどの厳しい内容だったそうです。
ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで国歌をヘヴィな挽歌にアレンジして演奏したのが
翌1969年ですからその行動は歴史的にも大きな意味を持つと考えられます。

国歌、国旗問題になるとすぐに建国の事情が最もかけ離れた米国を引き合いに出して
語るのは浅はかにも思えますが、全ての国旗への抗議や国歌への悲しみはこの
黒いアメリカ人達の前には白々しい戯言にすぎないように思えるのはしかたがありません。
しみじみ「自由」の意味が違う国なんだと思います。
今世紀になってオバマ大統領が登場して、ルイス・ハミルトンがF1ワールドチャンピオンになり
かつてと事情が違ってきたのかもしれませんが、忘れてはならない事件の一つです。
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by tatakibori | 2012-03-24 11:56 | 日々の生活 | Comments(0)

君が代

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大阪の国旗国歌条例で何かと話題に上がる事の多くなった日の丸・君が代です。
国旗国歌が法律で定められたのはつい最近の話で1999年です。
これは自然発生的なものなので法律で定め、条例で規制するのは
どこか本末転倒のように私も考えます。
ただし、思想信条の自由と言いながら国旗国歌を否定する教育を
義務教育において公立学校の教員が行うことは明らかに間違っています。
例えば、もしも隣国の太極旗を踏みにじるような教育が行われたら
それこそたいへんな問題になります。
人や国は互いに敬いあう精神がなければ交わりは成立しません。
そういう人としてのマナーを教えるには仏さまであったり、神さまや
ご先祖さまを敬うのが我が国古来の考えです。
しかし、政教分離であり、思想信条や宗教の自由があります。
そういう意味で何か国家のアイデンティティとしての歌が必要です。
外国の例を見ると勇ましい戦いの歌が多く、その歴史の古さを感じさせます。
それがその国の好戦的な気風を表しているとは誰も考えません。

君が代は戦争中の軍国主義の歌であるから国歌としてふさわしくないというのが
日教組を始めとする君が代反対の考えです。
君が代は古今和歌集の詠み人しらずの歌を元に作られたというのが一般の説です。
平安時代の古今集では発句が「我が君は」となっていて、後に間接的な表現として
「君が代」と直されました。
万葉集などを読むと分かりますが、お祝いにふさわしいおめでたい歌というのは
意外に少ないので、君が代が全ての人が共有できる寿ぎの歌として
磨かれていったように考えるのが自然です。
戦争中の教育を受けた父も「君」は天皇でもあるし、不特定多数の
二人称であると話していました。
柿本人麿の歌にはもっとストレートな王朝賛美の歌が多いように思えます。
万葉集の中で最もめでたいとされる最後の歌、大伴家持「新しき年の始めの・・」では
天皇へのストレートな表現をあえて避けて全てのものへの喜びの歌に仕上げています。
君が代は長い年月により選ばれ磨かれてきた祝いの歌として
日本人のアイデンティティに成長していったと考えられます。
皇神(スメカミ)の道は言霊の雅(ミヤビ)にありと言われますが、王朝の文学なくして
日本語の成立がなかった事はあきらかで、美しい言葉は先祖や神を外しては
考えられません。

米国では「The Star Spangled Banner」(星条旗)が国歌とされています。
これは法律で定めれたものではないようで、「God Bless America」も
第二国歌として歌われています。
ピート・シーガーで有名なウディ・ガスリー作の「This Land is Your Land」(我が祖国)も
愛されている歌です。
日本でも「This Land is Your Land」に習い西岡たかしが作った「遠い世界に」(五つの赤い風船)が
70年代に流行った事があります。
もちろん日教組が「緑の山河」を作ったり、サントリーが「われら愛す」と言う歌を提案した事があるそうですが
私は聴いた事もありません。
国歌は自然発生的で多くの人が共有できる歌でなければなりません。
定着するまでには長い時間が必要だと思われます。
君が代に反対する思想信条の自由はあります。
サッカーの国際試合で歌えるようなものを作りそれを時間をかけて広めていけば
第二の国歌が誕生するでしょう。
卒業式で起立しないという反抗や否定の行動よりも、そういう創造の行動でなければなりません。
美しい歌は裁判所や日教組の集会からは生まれません。





春分の日(春季皇霊祭)に思う.....。
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by tatakibori | 2012-03-20 13:12 | 日々の生活 | Comments(2)

「厳しい」の使い方

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「締め切りまでに仕上げるのは厳しい。」という場合の「厳しい」は
「困難が多くて、たいへん」で、「いいかげんな対応が許されないさま」です。
これが過去の話で「厳しかった」なら「なんとか仕上げたが大変な作業だった。」
というニュアンスになる筈です。
締め切りに間に合わず仕事が成し遂げられなかった場合には
「厳しい仕事であった。」とはとても言えません。

将来の締め切りに対してなら「それは厳しいですよ。」と言われたら
「困難な作業になりますが努力してみます。」と私なら受け止めます。

これがとんでもない思い違いで、若い世代には「厳しい」は
「出来ない」と言う意味で使う人も多いようです。
それについては、かなり苦い経験をした事があります。
日本語特有の曖昧な表現でイエス、ノーがはっきり言えない場合に
ノーにきわめて近い言葉だと解釈しているようです。
だから「私は厳しいと言ったじゃないですか。」と開き直りとも
思えるような発言になります。
「ぶっちゃけた話」というのが全然ぶっちゃけてないように
「厳しい」は厳しいのではなくて「もう無理、無理。」と解釈しなければなりません。
「厳しい」と言われて「そういう曖昧な表現はやめて下さい。」と返すと
嫌な顔をされますが、その辺はハッキリしておかないと痛い目に合う事があります。
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by tatakibori | 2012-03-19 14:25 | 日々の生活 | Comments(0)

寿命

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(写真は104歳の誕生日の祖母)

さすがに弱ってきた104歳と6ヶ月の祖母です。
毎日、祖母を見ていると人間の寿命とは何だろうと考えます。
日本人の平均寿命は世界一です。
香港、スイス、アイスランド、オーストラリア、フランス、イタリアと続きます。
世界で一番の短命な国はアフガニスタンです。
意外なのがロシアよりイラクや北朝鮮の方が長い事です。
アフリカ諸国が短いのは貧困が原因のようです。

人間の寿命は新陳代謝のサイクルに限りがあると言う説、
心臓の鼓動に回数の限界があると言う説などありますが
定かではないようです。
低カロリーの食事が寿命を延ばすという説がありますが
それも祖母を見ていると関係ないように思えます。
祖母の特徴を考えると、
驚くほど欲が無いから嫉妬心をほとんど持たないのが
ストレスの軽減に繋がったのではないかと考えています。
丈夫な胃と心臓が長寿の基本なのでしょう。
110歳位まで生きる人が多くなった今日では
珍しいほどの長寿ではないとも言えますが、
人生の大部分を一緒に暮らしてきた家族が
このように長生きするのはとても不思議な気分です。

過度のタバコや酒をはじめ、
脂肪分の多い肉食など寿命を縮めるようです。
ヘロインや覚醒剤も命を削りますが、
大麻と喉頭ガン、肺ガンの関係は
多くのミュージシャンが証明しているように思えます。
タバコはもちろんですが、大麻は止めましょう。
神から与えられた寿命をまっとうするために。
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by tatakibori | 2012-03-12 18:14 | 日々の生活 | Comments(0)

敬称

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ある知人から「○○○上人さま」を書く時には「上人」か「お上人」あるいは「お上人さま」か
どのように書けば良いかという質問がありました。
「上人」はそのものが敬称であるし、敬称の中でもかなり上のものだから
それをちゃんと書くときに「御」や「様」を付けるのは本当はおかしいと思う・・
と返事をしました。
「先生」は身近な敬称で、議員、医者や教員はお互いを先生と呼び合います。
それでも先生に「お」や「さま」をわざわざ付けたりしません。
僧侶には他に「猊下(げいか)」と言う最高の敬称もあります。
これは一つの宗派の管長に対するものなのでおいそれと使うような
言葉ではないと解釈しているので、安売りのように誰にでも
「猊下」と呼ぶのはおかしいと考えています。
敬称ではありませんが「門跡」という言葉もあり、
名刹そのものとその住職を示す言葉であるように覚えています。
古来からの日本語(やまとことば)には階級を示す言葉が少なくて
敬称の多くは外来語のように思えます。
そうやって考えると、仏教はインドから中国を経て渡来したので位を示す言葉が
色々とあるように思えます。
如来、菩薩、明王など、とてもエキゾチックで面白い表現です。
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by tatakibori | 2012-03-11 13:38 | 日々の生活 | Comments(0)

マインドコントロール

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最新の流行語なら「マインドコントロール」のようです。
町内会の寄り合いでも飛び交うくらいだから全国レベルなら
かなりのものに違いありません。
マインドコントロールはけっこう身近にあって価値観の違いに
戸惑う場合の多くが、何処かでマインドコントロールされている人との
ぶつかり合いだったりします。
カルト宗教でなくてもカリスマ的な存在の人々は無意識のうちに
周りの人間をそうやって支配している事もあるのです。
私自身はそういうのとは無縁の人生を歩んできたつもりです。
冷静になって、一歩も二歩も引いて自分とその家族の特異性を
考えていくと大きな個性に気がつきます。
もの心ついた幼い子供の頃に家庭内で他所のお宅では
使われない固有名詞がお題目のように唱えられていたのです。
それは「棟方先生」です。
父はテレビで放映される以前から棟方志功の真似をして見せてくれました。
そっくりの筆の持ち方、姿勢、描き方で棟方志功そっくりの絵を描いたのです。
棟方先生から頂いたコールズボンを着て、棟方志功の模写もしました。
「先生は寸分たがわぬようにそっくりに版画を彫れと言われた。」
贋作になるのを避けるため縮小し、部分を彫っていました。
父の棟方先生への憧れは自分なりのもので、
全ての棟方作品に対してではなかった事がその「信仰」の特徴です。
ご神体は「棟方先生」ではなくて「父の棟方先生への思い」だったのでしょう。
今もなおそのマインドコントロールは生きています。
生まれた時からその中で育ち、生きてきたのですから
それを否定しては私のアイデンティティが壊れてしまいます。
ただし、世間は広く、棟方先生は幅の広い人間ですから
「棟方志功の世界」というのがあるとすれば、
それは私が思っているものより広い範囲があります。
そういうのに出くわした時には強い違和感を感じるのですが、
それがある種のマインドコントロールによるものではないかと
思い始めたのは50歳を過ぎてからです。
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by tatakibori | 2012-03-09 16:36 | その他 | Comments(3)

寡黙になった祖母

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満104歳と半年を生きた祖母が衰弱してきました。
少し危険な状態になった頃に名古屋市長による南京事件についての発言が
ネット上で話題になっていました。
私の頭の中は祖母の事で半分以上占められていたのですが、
このニュースで南京事件と祖母の接点に考えが及びます。
直接には何の関わりもないのですが、
祖母は戦争中の体験について一度だけHNKの大がかりな取材を受けた事があります。
昭和57年7月の事です。
NHKは東京から2台の取材車と7名ほどのスタッフで、
作家の永畑道子がインタビュアーとして来ました。
それは叔父の幸郎が満蒙開拓義勇軍に行った話を聞くためでした。
長時間に及ぶ取材で、祖母は当時の事を克明に思い出し話しました。
番組の趣旨があり、かなりの誘導的な質問がしつこく繰返されましたが
祖母は抜群の記憶力を駆使して、ますます自分の知る事実のみを淡々と語るだけでした。

その一ヵ月後くらいに教育テレビの戦争に関わる特集番組として放送はありました。
祖母の話は番組の主張とは大きく異なるので一切放送されませんでした。
当地での取材は退職婦人連絡協議会会長で町会議員も勤めた下山かやのさんの話だけでした。
その内容は、出来の悪い高等小学校を出たばかりの子供を無理やり満州へ送り出して
命を犠牲にしてしまったというもので、壮行会では緊張のあまり挨拶も出来ず、小便を漏らすような
悲しい出発であったと言う話です。
私は、元日教組活動家で社会党議員の言うような話だと聞き流していましたが、
祖母は驚きが大きかったようで、怒りを通り越して黙りこんでしまいました。
優秀で意思の強かった叔父が家族の反対を押し切って志願しての出征だったのは事実です。
上は、旅立つ前の記念写真です。同じ小学校高等科から二人が行ったようです。
右の近視が強くてメガネをかけていたのが叔父です。
叔父は幸いに満人に助けられて生き延びて帰りましたが、
もう一人は満州で亡くなられたと聞いています。

「あれはウソじゃ、私もその場におったからよう覚えとる。」祖母はそう言うと、
その後は他人に満蒙開拓義勇軍の話をする事はありませんでした。
歴史には多面性があり、観点が違えばその意味も少し違う場合があると思います。
しかし、勢い余ってウソの話を公共の放送で流せばそっちの方が事実として残ってしまいます。

番組の放送後、下山さんから祖母に一冊の本が届けられました。
岡山県退職婦人協議会の出版した戦争体験の話のものです。
その主役である下山さんの戦争末期から終戦後の台湾での思い出話が印象的なので
一部を抜粋しておきます。

終戦直後は平穏であった内、台人間も次第に排日思想が広がり、全島に浸透し、
8月下旬から9月上旬に亘って、内地人迫害事件が頻発し、特に警察署や派出所襲撃事件も
お礼参りの形で発生したが、どうした事か我が家には何もなく、相変わらず本島人が南京豆や
豚肉をとどけてくれた。不思議に思って尋ねてみると、こう言うのである。
「実は先日大人の前任地の新竹州から、老鰻と呼ばれる人達が大勢で淡水に来て、
『下山さんは神様だから、皆で守って上げてくれ』と広場でみんなに頼み、
淡水の人達も相談してきめたんです。」という事だった。やがて玄関には天井にとどく
程の砂糖二百斤入りの俵やもち米が積み上げられ、支那産の赤あづきがジャンク船で
運ばれて来たのである。・・・


悲惨な戦争であったのも事実だし、こういう人情や人々の素朴な誠意や努力によって
生きのびて帰還したのも事実だろうと思います。
しかし、ウソを歴史に残してはいけません。
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by tatakibori | 2012-03-01 08:25 | 日々の生活 | Comments(10)