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大晦日

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大勢の方々に支えられて今年もなんとか乗り切ってきました。
このブログの訪問者数もかなり増えています。
来る平成25年はいよいよ伊勢の皇大神宮の式年遷宮です。
20年の節目を迎えて日本の運気も少し変わるような気がします。
来年こそ平和で落ち着いた年になるように願っています。

皆様、どうぞ健やかで清々しい新年をお迎え下さい。


「正月を出して見せうぞ鏡餅」 去来

鏡餅を用意できない我が家の正月です。
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by tatakibori | 2012-12-31 19:47 | 日々の生活 | Comments(6)

個人的レコード大賞2012

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去年は新譜を2枚買ったと記録してますが、
今年はとうとうボブ・ディラン「テンペスト」一枚のみです。
アマゾンの履歴を調べて今年買ったCDを全部並べてみました。
上原ひろみは東京ジャズ2011の演奏が素晴らしかったので
去年発売のCDを買ってみましたが、テレビの東京ジャズのほうが良いようです。
廉価なジャズ名盤5枚セットのビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、
セロニアス・モンクはとてもお買い得でした。
クルマの中でよく聴いたのはポール・サイモン・ソングブックとチック・コリアです。
チック・コリアは天才だと思いますがこのソロ演奏を聴くとテーマが絞りきれて
ないというか、気が多すぎるようです。
だから、名盤というほどではないですが曲によってはゾクッとくるものがあります。
ポール・サイモンの最高傑作はこのアルバムに尽きるわけで、
これを越えられないのが彼の苦しいところなのかもしれません。

今年は、私自身がCDを買う元気が少し足りてなかったようです。

よって、今年も該当作なしという結果です。w
来年はもっと色々な音楽に出会いたいものです。
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by tatakibori | 2012-12-30 19:04 | 音楽 | Comments(8)

誰にでもできる事

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食卓にしている長さ2mのテーブルは二人には大きすぎるから
片隅には硯を置いて、いつでも筆を持って文字を書けるようにしています。
練習と言えども誰かに見ていただくことで、恥をかき、向上を目指せるのではないかと
掲示板やfacebookなどにアップしています。
文字を誰かのために書いた最初の記憶は、小学生の時に
クラスで数名の字のきれいな女子と私が放課後に残されて、
掲示物やガリ版の制作をさせられた事だと思います。
男子は私一人で、いつもメンバーは決まっていました。
女の子達はきれいな文字を書いたのですが、
私は今で言う「ヘタウマ」に近い存在だったのかもしれません。
模造紙に大きな文字をマジックで書くのは子供の頃から得意だったようです。

若い頃にレストランのメニューの制作の相談を受けた時に
神戸で見たオシャレなレストランのメニューを真似てペンでコピー用紙に手描きの
メニューを書いて見せたら、他の候補もあったのですがそれを使う事になりました。
その時に父がこう言いました。
「あの社長はとてもきれいな文字を書く人だ。字は誰にでも書けるし、美しい字を書く人はいくらでもいる。」
私にはまったく理解できない話で、それなら人に頼まずに自分でデザインするなり書けば良いと思っただけです。

文字を書く練習を本格的に続けた事はないのですが、その後も展覧会の看板や
同窓会の看板など頼まれたり、人のために大きな文字を書く機会を数多く得て
恥をかきながら筆を持ってきたのが正直なところです。

じつのところ、父と同じような批判的な意見は多く聞きます。
文字は誰にでも書けるから、何も特別な才能でも何でもありません。
基礎が出来てないと痛烈な批判を受ける事もあります。
その基礎とは何かがもう少し分かれば私も美しい文字が書けるようになるでしょう。

歌は誰にでも歌えるし、絵は誰にでも描けます。
カメラさえあれば写真は撮れます。しかもデジタルになってさらにお手軽になりました。
作文を書いた事の無い人はいませんから、ブログやつぶやき、エッセイ、評論文も
ネット時代になって誰でも書いて発表できるようになりました。
陶芸や彫刻は道具や素材の関係でややハードルが高いのですが
それでも豊かな21世紀になって楽しむ人々も多くなっています。
誰にでも出来る芸術のプロは批判を浴びやすいようです。

仏像彫刻を始めたばかりの頃は多くの人から忠告を受けました。
「仏像には約束事が多いし、仏の道は厳しいから深い勉強をしなければならない。」
また、私は美術系の学校に行ってないから、彫刻そのものにも基礎的な積み重ねが
足りていないと強く言われたものです。

なぜそんな無謀な事を始めたのかは理由は明白です。
彫刻や書をするなら自分の育った環境の中にあったものを基にしたいと思っていたからです。
目的がはっきりしているから切り捨てるものもあります。

自分が年齢を重ねて、若い人を見て気がつきました。
若い人なら仕事として3年も続ければ熟練して技術的にはプロとして充分なものを会得します。
美術系の仕事では、それでも駆け出しの素人と変わらない存在のように言われがちです。
モノが誰にでも出来る書や画、写真であればさらに風当たりが強くなります。
それと戦うには時間をかけた手の込んだ作品にしたり、真似が出来ないような
器用で奇抜な方法をとったりする人も出てきます。
かつては巨大な作品にすれば素人には出来ないと思われましたが、
素材の価格が下がったり時間の自由な人が増えてきて単純にはいきません。
そして、努力の積み重ねを否定するような風潮が主流になっていくのです。

絵手紙の教祖の小池先生は下手でいい、下手がイイと言われます。
上手に書くことより自分の持つ本質の部分を磨くという意味です。
色々な勉強や方法があるようですが、自分の好きな人の書と
下手でイイという言葉をバイブルにしてこれからも磨けるものを探して
磨いていけたらと思うのです。
努力と言うのは薄い紙を一枚一枚重ねていくようなものです。
それが厚みを持つまでには途方もない時間を要する事もあります。
それでも積み重ね続けなければ何も生れません。
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by tatakibori | 2012-12-26 14:53 | 仕事 | Comments(2)

何とかなる

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ジョン・レノンの歌ったレボリューションという曲があります。
Don't you know it's gonna be alright Alright,alright
そんな事しなくても 今になんとかなるさ だいじょうぶ 何とかなるさ
そんな感じの意味です。
レボリューションは革命だから
勝利を得るまで戦い抜くという革命家への皮肉だったようです。
ジョンにはイマジンという名曲があります。
この2曲と彼の多くのエピソードを知るとその人間像が見えてきます。
彼が思想家だったかどうかは知りませんが
愛こそすべてだという考えを実践した人だったのは間違いありません。

まるで悲観論を楽しむマゾヒストのような論調を多く見かけます。
3年3ヶ月前に代わった政権によって日本は少しくらい変わる筈だったのですが
大きな変化もなく、またキャッチボールのように政権は元に戻りました。
個々で見ても、政党というグループで見てもそんなに大きく違わないのだから
変わるはずもありません。
どうにかなるし、悪い方へすごいスピードで進む事もありません。
ほんとうは何も変わらずゆっくり流れていくだけです。
私達はただ手を合わせて祈るだけです。
歌う人は歌い、画を描く者は描きつづけるだけです。
分かり合えない者達が争っても何も生れません。
愛か平和か、何かはそれぞれ違うし、
それが何であるか言葉が見つからなくても
何かをやっている多くの人が生きているだけでも
世の中はじっと止まらずに流れていきます。
落ち着く方へです。

あなたが誠意を持って生きているだけで世の中はきっと変わります。
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by tatakibori | 2012-12-22 17:21 | 日々の生活 | Comments(6)

はらから

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はらから(同胞)とは同じ腹から生れた兄弟から始まる民族というような意味です。
祝詞の中に出てくる同じような言葉には「うから(親族)」「やから(輩)」などあります。
農村の地域社会は今でも本家、分家など共通の先祖を持つ集合体で、
血縁が薄くてもどことなく似ている人があったりします。
株内とか講組などは、冠婚葬祭を共にする結びつきの強い「はらから」の典型です。
最小の単位は「家」ですから家を守るのは跡継ぎの務めであり、
先祖を祀り、墓を守らなければなりません。
誰にも生れた家があり、親がいて先祖がありますが、直接の子孫を持たない人も多くあります。
「家」の先祖を祀る人間が途絶えるのは悲しいように思えますが、「はらから」の単位でみると
流れはなかなか途絶える事はありません。

「人間は遺伝子の乗り物でしかない」という考えがあります。
個々の生命が遺伝子を遺すのではなくて、遺伝子が未来に残るために
生命を利用しているという発想です。
人間の場合は遺伝子と言っても科学的なDNAだけでなく、その宗教や思想、
「吐く息にやどる魂」とも言うべき神の存在まで含まれます。
「遺伝子の乗り物」というのは極めて新しい言葉のようですが、その根本にある
考えは最も古い「はらから」という言葉と同じものを含みます。
やがて時が流れれば「やから」も「八百万の神」になります。
それは無数の個であるようですが集合体としてひとつのものでもあります。
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by tatakibori | 2012-12-06 09:04 | 日々の生活 | Comments(13)