<   2013年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

コンセプト

d0006260_20282322.jpg

工芸作家展の準備が進行中です。
工芸とアートの違いは何だろうと考えました。

よく言われるのに「現代アートはコンセプトがあってのものだ。」という事があります。
コンセプトとは英語で概念です。
概念だから抽象的なもので言葉になり難く、それゆえ芸術的に表されるのでしょう。
概念を言葉で表現すると「名辞」となるそうです。
心で感じとった概念を2次元、3次元で表現するのが芸術です。
なるほど、でも工芸にもコンセプトはあるようです。
でも、工芸の場合は作りながらコンセプトが生れてくる場合があります。
単純な繰り返しの作業の中から人間のDNAの持つ繰り返しやリズムが
そこに再現されて複雑な感情を織り込んでいくのが工芸の本質であるからです。

モチーフと言うのがあります。
フランス語で動機、理由、主題です。
創作の主題となった主要な思想や題材をモチーフと言うようです。
工芸の場合は、何か作らずにおれないような衝動があってそれが思想や題材を持つわけではありません。
漠然とした愛とか平和とか安らぎなら持っていますが、反戦とか人権問題やまして環境とか
政治問題などまで工芸で表現する事はあり得ません。
その主題が大きくなり、メッセージ色が強くなれば美しい世界から離れていくように思えます。
人によっては美の感動より主題の示す世界に関心を示すようで
ニュースで紹介するアートは主題のみが語られる傾向が多く
美しい感動はどうなったのかと疑問に思う事が多くあります。
テレビ番組を作るのは優秀な選ばれた人々ですがそれは言葉にならない
概念や美という基準がそこに無いからだろうと思います。
端的に言えば工芸作家を集めて見ると、このグループで金融業をやったら
一年以内に破綻しそうに思えます。
そういう価値観のベクトルの違いがあります。

テーマ(主題)もアートと工芸では違うようです。
工芸は漠然とした、癒しとか落ち着きのような安らかな気分のものです。
ところが、瀬戸内国際芸術祭の主催者が「憤り」こそテーマだと言ってます。
怒り、悲しみ、○○反対などネガティブな要素を挙げるのがアートの特徴です。

頭で考えるのがアートならば、手で考えると言うか
作る喜びを感じながら、そこから生れてくる創造の命の力を表現するのが
工芸だと定義しての工芸作家展です。
現在多くの作家が集結して進行中です。
テーマは
「作った人の顔と名前が分かる物に囲まれたこころ豊かなくらしを」
と言うのが用意してありますが、そこは工芸系の人々、
何か作りながら、話ながら新しい概念が生まれてくるのを楽しみにしています。
[PR]
by tatakibori | 2013-05-21 21:05 | アート | Comments(2)

論客の資質

d0006260_7435855.jpg

内田樹(うちだたつる)が人気です。
何処の本屋でも彼の著書があります。
読んでみると、私には同意できない考えが多いようです。
彼が何故人気があるのかは読むとすぐに分かりました。
事実に基づいて自分の考えだけを誠実に書いているからです。
たとえ正反対の考えの持ち主であろうとすらすらと最後まで読めます。
彼は本質的に品格の高い人です。
内田と似ている考えの論客の文章に読み難いというか
たいへん雑で下品に思え最後まではとても読み進めないものもあります。
社会や政治を批判するのはとても難しい作業であるのが分かります。
簡単に言うとfacebookのタイムラインが2ちゃんねるの速報ヘッドライン
と同質の人も多いのです。
これは下品というしかありません。
自分と違う考えの人もその文章を読むという事が
考慮されているかどうかの差なのでしょう。

2ちゃんねるのスレッドにはルールがあってソースを示さなければなりません。
ソースは信頼のおけるマスコミ等に限定されています。
私は全く問題ないと思いますが、赤旗では特定の政治色があるので
ソースとしては格下の扱いです。
同様にサーチナ、中央日報の記事も別扱いのように見えます。
最近は朝日新聞も客観性を疑われているのが読み取れます。
ソースが著名人であっても個人のブログなどは限定的にしか扱われません。
というように、かなり厳しいルールがあっても
品位は最低なのが2チャンネルの個性です。

facebookのタイムランが個人のブログのリンクで
評論的な文章を書く人がありますが、
これこそ取るに足らない酔っ払いの政治談議と同じになってしまいます。
[PR]
by tatakibori | 2013-05-14 08:08 | その他 | Comments(13)

賄い料理

d0006260_805988.jpg

賄い料理とは客に出すものではなくてスタッフの食事のことです。
原価が安くて、美味しくなければなりません。
その中から常連への裏メニューとして客に出されたものが
評判になり商品化されたものが多くあるそうです。
一流の料理人が満足する味で、安価なのが受けたのですね。

プロが自家用に使うものというのは興味をそそられます。
逆に紺屋の白袴とか医者の不養生というのがありますが、
これもそれなりの信念があったりしますから、
そうなった理由を聞いてみたい場合もあります。

写真のスツールは、彫刻には使えない材木を使って
簡単に作ったものです。
仕上げは、手持ちの小型プレーナーで簡単に削って、サンダーで少し磨いただけです。
足は同様の板を細割にして、手斧で削っています。
ドリルで穴を開けて差し込んで、長さを揃えて切って仕上がりです。
手間も材料も最低限で、まさに賄い感覚です。
食卓も似たようなものです。
これを見て欲しいと言う友人に大きな食卓を作った事が一度だけあります。
でも、少し限度を越えているので表メニューには昇格できません。

職業によってはそれが看板になるから自家用とはいえ最高の品を使う場合もありそうですが、
多くの職人や工芸家の場合は合理性を極めた生活の道具を使っているはずです。
美術工芸の民主化が進んできたので、そういう中から品質の高くて
合理的で安価な道具が登場してくるように思えます。
そういう視点で、現段階で一番進んでいるのは建築家によるオーダーメイド住宅のようです。
そこまでやるか・・、その手があったかと思うような大胆な発想がどんどん出てきています。
昨今、流行のアートの波及効果もあると思えます。
そういった方向だけが進歩ではありませんが、期待されているのは確かです。
[PR]
by tatakibori | 2013-05-07 08:34 | その他 | Comments(10)

自然農法

d0006260_820817.jpg

土地は余っているし、農学部を出ているのに畑を作るのは苦手です。
我が家は農村で暮らしているのですが職人の家だったのと、
祖母も母も実家が農家でなかったので代々に伝わってきた
農業の心得に欠けるように思えます。
祖父と父は戦争が終わった直後の昭和20年9月に始まった
日本原開拓地に入植して農業を目指しました。
食糧難の時代に農業の振興は急務だったのです。
それにしても旧軍隊の演習場に終戦の数日後には開拓が決定していた
というのは驚くべき話です。
敗戦後は無政府状態の時間があったようにも思えますが
実際には軍隊以外ではそんな事はなかったのです。
着々と開拓は進められて、県は多くの人材を開拓地につぎ込みました。
父が学んだ農業は普及員や県の招致した講師によるものです。
子供の頃に何度も聞かされた話の多くは有機農業を試みたというものです。
自然農法とか有機農法は戦後に出来たもののようですが、
その考え方の基礎はすでに戦前からあったようです。
かなり先鋭的な有機農業を実践していた人が真剣に指導したのです。
そういう話は親父の昔話として聞き流したのですが、
最近になってその分野がまた注目されているのに私は驚いています。

今、静かなブームとも言える木村式農法には20年くらい前に弘前で出会いました。
学生時代の仲間の世話で津軽塗りの職人さんに漆の事を色々と教えて
もらうために北上したのです。
そこで、岩木山の麓で無農薬での栽培に成功したリンゴを食べたのです。
今から思えばあれが木村さんの作ったリンゴだったのですね。

科学的には疑問点が多い自然農法ですが、人間の誠意とか
純粋さが感じられる事だけでもある種の魅力を持ちます。
そういう試みは自然の恵みを考え直す良いきっかけにもなるでしょう。

受験に失敗した1975年、受験雑誌を調べて環境保護の学科があるのに
魅力を感じて次の年に母校へ進みました。(結果的には木材の勉強をしたのですが・・)
今論じられている環境問題は私の学生時代の議論からそれほど進んでいないと聞きます。
当時の世間ではあまり着目されていなかった今の環境問題はすでに
学問の世界では出揃っていたのです。
つまらない学問のように見えても守らなければならない分野が多くあるのだと思います。
自然農法のように何十年かたってまた脚光を浴びて社会の役に立つ日が来るかもしれません。
いや、自然農法は心構えの問題だからむしろ宗教の分野か・・・。
[PR]
by tatakibori | 2013-05-02 09:11 | 日々の生活 | Comments(0)