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美作の美女伝説その4

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予想どおり、すぐにネタ切れになりました。
歴史的から離れますが、
近世から現代にかけての噂の美女について
聞いた事のある話を書いてみます。

戦後、津山の椿高下に進駐軍などを相手の高級料亭があり
そこの女将がとびきりの美人だったのは今も語り継がれる
津山の比較的新しい伝説です。
津山瓦版内で読みましたが、棟方志功も惚れたという話があるそうです。
棟方は下戸で一滴も飲めなかったので酒と色を好む粋な人に
連れられて行ったと思われます。
昭和20年代にはその事が津山の街で噂になったそうです。
私の中学時代の恩師Kさんは、その料亭であった謡の稽古に通った事があり、
噂の美人女将に会った事があると話していました。
棟方志功を最初に美作に案内したY氏はその女将にぞっこんで
無理をして入り浸っていたという話もあります。
女将の一家は、早い時期に店を畳み京都へ引っ越したそうです。
棟方志功は、人に惚れ易い性格だったのでその「惚れ」に恋愛感情がどれほど
だったのかは謎のままです。

1960年代前半にファッションモデルとして大活躍した津山出身のSさんも
同世代の津山人の憧れだったそうです。
東京オリンピックの時の資生堂のイメージポスターのモデルなど
ある種の歴史に残る美人だったそうです。
私はその方の家族は知っていますが、残念ながら本人にはお会いした事がありません。

現代の美人では宝塚の娘役トップになった桜乃彩音さんがいます。
この方もご両親を知っているのでとても身近に感じます。

以上、思ったほど情報が集まらなかったので、
いずれ機会をみて続編を書きたいと思います。
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by tatakibori | 2013-08-20 12:49 | その他 | Comments(0)

美作の美女伝説その3

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津山市の北のはずれ、旧阿波村に美女伝説があります。

お夏の伝説 阿波村(現地案内板)
昔、深山にはたくさんの木地師が住んでいた。ある木地師にお夏と云う一人娘がいた。
お夏は、まれにみる美しい娘で、備前から来た若い木こりと恋仲になり、将来を誓い合った。
しかし、深山での仕事を終えた若い木こりは、「必ず迎えに来る」と堅い約束をして去っていった。
若い木こりを心待ちに、ますます美しくなったお夏は、ある日藩主の目にとまってしまう。
お城に上るように言われたお夏は、若い木こりとの誓いに小さな胸を痛め、
とるべき道はただ一つと裏山から深い谷底へ身を投げた。
その渕をお夏ヶ渕といい、この渕でときどき夜になると女の
すすり泣くような声が聞こえてくることがあるという。
深山にある木地師の墓地の片すみにたたずむ苔むした首なし地蔵が、
お夏の墓であり、お地蔵さんの首を
抱いて寝ると、お夏のような美しい娘が生まれるという伝説がある。      
阿波村


何故かそのお地蔵さんには首がないそうです。
誰かがいつの間にか持ち帰ったのでしょう。
美しい娘が生れたかどうかはわかりません。
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by tatakibori | 2013-08-19 07:38 | その他 | Comments(0)

美作の美女伝説その2

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一説によると戦国時代の一番の美女は宇喜多秀家の母、円融院です。
円融院は美作鷹取氏の生まれで勝山の高田城主三浦氏に嫁ぎますが、
三村氏に攻められ夫は自刃し、未亡人となってから宇喜多直家の
後妻となり秀家を生みます。
歳の離れた直家が53歳で病死し、岡山城の事実上の主になります。

その年(1582)豊臣秀吉は備中高松城を攻めるため岡山にやってきます。
戦国一の女好きとも言われる秀吉がすでに33歳の円融院にベタ惚れした
という話が彼女の美貌をものがたります。
秀吉は秀の字を秀家に与え、羽柴、豊臣の氏を名乗らせました。
秀吉のお膝元、大阪中之島に屋敷を建てそこで円融院と秀家は暮らしたのですから、
数多くの側室の中でもかなり別格の扱いだったようです。

湯原温泉で磨いた肌は年齢を思わせない美しさで、
その色香はよほど高貴で妖艶だったのでしょう。
これぞ戦国一の美女なら、美作の歴史上でも一番の美しさは
円融院に間違いありません。
彼女の名と出自は確かではないのですが、現在では通称おふくの方と
呼ばれる事が多いようです。
真庭の地元ではそのダイナミックな人生に怖気づいたのか
語る人もいませんが、岡山では支持する人もあるようです。
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by tatakibori | 2013-08-17 09:02 | その他 | Comments(0)

美作の美女伝説

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中国四大美女というのがあり、西施から楊貴妃まで国を滅ぼすほどの伝説の美女がいます。
美作国建国1300年という事で歴史を振り返ると美作にもそういう美女がいたのです。
わかる範囲ですが美作の伝説の美女を紹介したいと思います。

歴史上最も古い美作の美女は古事記に登場する黒日売(くろひめ)です。
黒比売、黒媛、黒姫、いずれも同じです。
吉備海部直(きびあまべのあたい)の娘、
黒比売は容姿端麗なために仁徳天皇に仕えましたが、
大后の石之日売(いわのひめ・葛城磐之媛)の嫉妬を恐れて吉備に帰ります。
天皇が高台から黒日売の船を見て歌を詠んだところ,
大后は怒り,黒日売を下船させて徒歩で帰らせました。
しかし、天皇は大后を欺いて淡路島から島伝いに吉備へ行幸します。

仁徳天皇が黒日売とともに菜摘みを楽しんだ歌があります。
「山形に蒔(ま)ける青菜も吉備女と共にし摘めば楽しくもあるか」

黒日売の歌も古事記に二首あります。
「倭方(やまとへ)に 西風(にし)吹き上げて 雲離れ そき居りとも 我忘れめや」
「倭方に 往くは誰が夫(つま) 隠水(こもりづ)の 下よ延(は)へつつ 往くは誰が夫」

津山には山形と言う地名が2ヶ所あり、どちらにも黒媛伝説があります。
まだ美作国が出来る前の話で、吉備には「やまがた」という地名も数ヶ所あります。
考古学的には何処も確証はなくあくまでも伝説の話です。
美作の民としては黒日売は津山の人であって欲しいのです。
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by tatakibori | 2013-08-16 17:11 | その他 | Comments(0)

消失点

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地平線の夕陽に向かいクルマを走らせながら思った。
生きている事は逃げ道のない罠の中にいるようなものだ。
邪魔物を退かそうとすると足元が崩れていく。
穴ぐらに投げ込めばやがて己の頭上に落ちてくる。
うっかり後生大事に抱えれば、それこそ邪魔者でしかない。
何処かに越せば楽になれそうにも思えるが、所詮人の世は、向う三軒両隣の集合体でしかない。
夕陽の彼方にある宇宙の時空に比べれば人の命など一瞬の儚い幻のようにも思えてくる。
せめて今立っている周りだけでもきれいにして一輪の花を飾っておきたい。
そうやって芸術が生れてくるのだろう。
行き詰まりを嘆くよりは束の間でも沈む夕陽に手を合わせて豊かな心になりたい。
高速道路の白線は交わることなく無限に続いて、やがて闇の中に消えていく。


イクシラ2013秋号の裏表紙の原稿


*消失点:遠近法において、実際のものでは平行線になっているものを平行でなく描く際に、
  その線が交わる点。無限遠点。
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by tatakibori | 2013-08-14 10:55 | その他 | Comments(0)

趣味の多様化

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15、6年ほど前の木版画です。
ポルシェ356という1950年代のドイツ製スポーツカーです。
私達の世代が若かった頃は自動車こそが憧れでした。
それは多くの人の共通の価値観でありました。
この版画からフェルディナント・ポルシェ、空冷フラット4、ソレックスキャブレター、
550スパイダー、ジェームス・ディーンと脳裏に浮かんでくれば
あなたも立派なエンスージャストです。

最近の若者は自動車には興味を持ちません。
いや、持つ人もいますが一部だけです。
オタク文化が象徴するように趣味は多様化され、
ジャンルは多くなり、専門的に狭く深くなっているようです。
かつての〇〇ブームというようなカメラとか腕時計、ファッション、オーディオ、
自動車など豊かさの象徴であり憧れを持つような趣味が今あるのでしょうか?

若い人に多く接して話を聞いていくうちにある発見をしました。
キーワードは「直島、安藤忠雄、草間弥生、村上隆・・・」そんな感じです。
かつての「シュトゥットガルト、ピニン・ファリーナ、ジウジアーロ・・・」に代わる
価値観かもしれません。
F1グランプリよりも瀬戸内国際芸術祭なのです。

巷から貧乏臭い不良が消えて、お洒落で豊かな若者が増えたと聞きます。
その典型的な象徴がアートなのでしょう。
最初は雑誌の中だけの豊かな生活の象徴だった高級車やスポーツカーを
やがて手に入れる時がきたように、今はあこがれの美術工芸品を
多くの人が手に入れる時代がくるように思えます。
基本的に大量生産の工業製品と手作りの美術工芸品は
豊かさを感じるポイントが違います。
今はまだ入り口に立ったばかりですが、人々の目はより本物へ
向けられていくのが自然の流れです。
先を見つめて、より良い仕事に励まなければならないと
あらためて思っています。
今の時代は大きな転換点です。
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by tatakibori | 2013-08-08 20:41 | その他 | Comments(23)

神のない祭

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私の育った勝間田のお祭りと言えば夏の天神祭りです。
地元では「お涼み」とか「天神涼み」と言います。
子供神輿が練り歩くのが名物です。
勝間田は勝田郡の中心地で、勝田郡には菅原道真の子孫が多く住んでいるから
天神祭りが秋祭りより賑やかになったと考えられます。
各地区の氏神さまには別宮の天満宮があります。
天神祭りは7月25日ですからそれが過ぎると夏が終わったように思えました。
一年をお祭りの事だけ考えて生活する岸和田の人々と少しだけ同じ気持ちを
昔の勝間田の人々は持っていました。
勝田郡には独特の神の文化があり、荒神さまをたいせつにするのも大きな特徴です。
今は津山市ですが福力の荒神さまの旧正月も大きなお祭りの一つです。
昔は臨時列車が出て、小中学校はお休みになったほどです。
門前の屋台店や大道芸、実演販売なども楽しみでした。

最近は「金時祭り」という行政が主体の祭りがあります。
坂田金時の終焉の地があるからです。
栗柄神社という祠がその場所とされています。
はるか昔の話ですが、山田家の先祖が住みついたのが
その隣だったので妙な親近感があります。
今は勝間田を離れて長いので金時祭りはよく知りませんが、
地元の友人などは「歴史のない、神さまの無いお祭りは実感がない」と言います。
他所は知りませんが、岡山ではは自治体や商工会議所、観光協会などが中心の
「フェスティバル」的なお祭りが増えています。
花火大会や〇〇踊り、〇〇行列など、人出は多く経済効果はあるようです。
極端なのは商店街の「パリ祭」というのもあるようです。
イベントとして人集めをするのか、神の祭りとして願いを込めるのかの
違いがそこにあるように思えます。
京都の祇園祭、大阪の天神祭りなど古い神のあるお祭りの熱気と
商業主義やレジャーのお祭りは根本的に何かが違うようです。

山田家の先祖は代々、神さまのお祭りを盛り上げるお手伝いをしていました。
神のない祭はそれとは違うようです。
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by tatakibori | 2013-08-03 13:58 | 神社 | Comments(0)