直毘塾の精神4

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「歴史の奥に運命があり、人間が生まれる前に自然がある。
しかしてこれには理性も自由も力も手が届かない。
ここには理想も自由もない。従て専制もない。
日本人として生れたのは自然であり運命である。これは征服出来ぬ。
如何に征服に突進しても、自然内運命内に留らざるを得ない。
日本人として生まれたことは選択の自由ではなく、又専制でもない。
寧ろこの運命に耳を傾けることによつて専制から解放され、
解放された生命即ち真の自由が回復する。」

この「自然」とは神道でいう「自然(かみながら・かんながら)の道」の意味です。
それは日本人の原点と言うべき原始からの信仰であり、
米つくりを守り、先祖を祀る素朴な心根のものです。
その自然な「家体制」と外来の「他人制」を対比させてあります。
「他人制」は個人主義であり、資本主義も共産主義もその考えから
始まっていると書いてあります。
その「家」は旧民法の家制度でもなく、
江戸時代の専制的な家督制度とも違うと書いてあります。

戦時下で一億玉砕も辞さぬ心意気を良しとして特攻隊に志願した若者にも向けて、
敗戦後の日本再生のために書かれたものです。
松永材の言葉は空襲で焼け出されて絶望に苦しんでいた母にも
希望にあふれるものだったそうです。
「何でも良いから希望が欲しかった」と母はよく言ってました。
直毘塾の精神には哲学的に難しい事が書いてありますが、
講演を聴く人々のほとんどは理解できる部分をそうやって
聴いていたようです。

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# by tatakibori | 2016-09-03 08:28 | その他 | Comments(0)

直毘塾の精神3

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「金が物々間の流通具である間は未だ物の束縛の下に在るから物によって支配されてをるが、
物より離れて単に金と金と相対するやうになるときは、物はたゞその支配下で駆使され、
金と金とは純粋な主体即ち主権者となつて力(量)の大小に従て征服し又征服される。」
「人間は貧乏なるが故に奴隷になつたのではない。
先づ奴隷にされた(征服-他人化)から貧乏になつた。
他人なるが故に奴隷化され、奴隷化なる故に貧困化となる。」

(上記の「他人」というのは「家」の「家族」に対する言葉です。)

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# by tatakibori | 2016-09-02 18:56 | その他 | Comments(0)

直毘塾の精神2

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仕事とは先人から学び、それを習い、そして後に続く人に伝える事だと思います。
大学の時に研究室の先生達がやっている事を見てそれを強く感じました。
個々の研究はほとんどの場合、たいした意味を持たず後の参考程度にしか
ならないように思えてビックリしました。
研究室は、何か世の役に立つ大きな発見や発明につながるものに
あふれていると思っていたからです。

それから時間を置かずに「直毘塾の精神」を読んだのは幸いでした。
そこには代表的な表現として、このような文章があります。

「生命観よりすれば、我は途中に立つてをつて主体ではない。
生命我は常に遠い祖先から子孫への連結の通路乃至引き継ぎ者である。
故に生命欲も亦我から発するのではなくして祖先から突出されて現れる。
生命観からすれば我そのものは決して個的な我ではなくして、
祖先から突出されて出現してをるものである。
これを生命の現象と云ふ。
意識(知性)は常に我から出るから個的の我のみを意識(自覚)し、
祖先からの引継ぎを忘れる(意識しない)。
それ故に生命欲を我の欲であると考へて意志と混同する。
意志は知性に属し、普通理性又は精神と呼ばれてをる。
生命欲はかくの如くその由来が深く且つ遠いから、
個的な意志の命令では容易に制御されない。」

研究や学問は個人の意志や考えで成立しているのではなくて、
その専門分野にある大きな流れの中で存在するのだろうと思います。
個々のひらめきや発見は知性的ではありますが、
おそらくその肉付けにすぎないのでしょう。
私の仕事に置き換えて考えると、突然に湧き出てくるような
発想での創作というのは難しく、しかもたいていは先に誰かがやっています。
色々な勉強をして「引き出し」を増やすのが創作の可能性を広げる事だと思います。
それにしては人生はあまりに短くて学ぶことは無限にあるように見えます。
そこで我を捨て、先人を学びそれを後に伝えるという引継ぎ者の自覚を
持つのが正しい考えなのです。

           さらにつづく



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# by tatakibori | 2016-09-02 11:17 | その他 | Comments(0)

直毘塾の精神

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このままであれば、11月にはめでたく満60歳になります。
払い続けてきた国民年金はこれで納め仕舞いです。
あらためてお金の事を考えれば、生まれてからこのかた
幼稚園から義務教育を終えて高校へ進みさらに遠く都会の
大学にまで行って無駄とも言える多くのお金を消費したのみならず
人間が生きていくには直接関係ない創作の仕事にしがみついて
社会経済に貢献の少ない人生を歩んできたものです。


私がこの仕事を始めた頃に、父の師であった哲学者の松永材先生が
父の仲間に書き遺した文章をまとめて「直毘塾の精神」という
冊子を印刷する手伝いをしました。
原稿を読み直して、校正したので丁寧に読みました。
その本にはかなり面白い事がたくさん書いてあって、
それからの私の人生に大きな影響を与えたと思います。
父は私にお金儲けを第一にしないで生きていくための信念と
言うか勇気を持つためにこれを読ませたかったのでしょう。


昭和20年代に書かれているので表現が今とは違いますが
一部を引用してみます。

「経済学とは人間の生活に必要な物品の生産や流通、蓄積や消費等の
過程や資本の役目や売買関係等を研究することとなっている。・・
・・・経済学における「生活に必要なもの」は生命に最も接近した
また最も大切なもの(空気や水、胃や肺、心臓・・)でなく限定された
ものに縮小してくる。無くとも何等の痛痒を感ぜしめない宝石や
骨董品や奇物が莫大な経済的価値を持つ。・・・
この広大な世界の中に、金の支配する特殊地帯を設立し、金の主権の
もとに降服し来るもののみを選び出し、他の一切のものを抽象し放棄して、
これを境界外に放逐し、かくして独自の経済帝国を編制する。・・・
その結果人間は豊富な自然に於ける生活が不可能となり、狭い経済国に
入国許可を懇願せざるを得なくなる。・・・「生活に必要物」が次第に
「生活を苦しめる物」になり・・・「生活の奴隷」になりつつある・・・。」


過激で痛快な文章に驚いたのは25歳だった私ですが、父は25歳の頃に
直接の講義を聴いて感銘を受けたそうです。
ここだけ切り取っても全体の意義とはかけ離れてしまいますが、
敗戦後の混乱した時代に日本の若者に向けて書かれた
有意義な言葉が並びます。
それは時代を超え、世代を超えて今の若者へのメッセージとしても、
人間が生きていく本質を考えるための大きなアドバイスになります。
特に「家」についての考察は、なるほどと思わせる日本人の心にある
一番大切なものです。
日本の伝統的な農民や職人の持つ価値観の根源にあるものを
(当時の)科学的に説きあかして、それを未来へ伝えるために
心血を注いだ文章なので、機会あれば少しでも紹介したいと思って
読み直しています。

               つづく


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# by tatakibori | 2016-08-28 10:10 | その他 | Comments(0)

何もしないをしている

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「何もしないをしているんだよ」は、たしかプーさんの言葉です。
検索で調べようとしたら、何もしない時間を持つと仕事の効率が上がると言うような話が出てきました。
それは「何もしないをしている」のとは何かが違うように思えます。
父は疲れ果てて仕事が出来なくなる事が多かったので、
私が「休むのも仕事のうちだ。」と言うと昼寝をするようになりました。
この場合は仕事のために「何もしないで体を休める」行為です。
プーさんの言う「何もしない」は目的がある事ではありません。
クリストファー・ロビンが成長して、自分は「なにもしない」ができなくなってしまったと
プーに告げる場面があるそうです。
自己啓発系の論調で「経済的な効率のために余暇や趣味を持つ」と言うのはどこか貧しい発想に思えます。
私は還暦を迎えました。まわりの友人達は毎日が日曜日になったり、
何もする事がない状態になり生活の変化に戸惑っているようです。
私のように勤めた経験のない人間は、最初から毎日が日曜日で
何もする事がない多くの日々を過ごしてきたと言えます。
でも何もしないで過ごしてきたのとちょっと違うような気もします。
「何もしない」の回りで忙しく働いてきたのです。
目的や意味を持たないほんとうの「何もしない」が出来るようになりたいものです。
言い訳の必要ないほんとうの心の自由がそこにあるように思えます。






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# by tatakibori | 2016-07-23 21:01 | 日々の生活 | Comments(0)

雅号

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私の祖父は明治34年(1901)生れで、名前は山田哲(さとし)です。
父の生まれた大正14年頃から木彫刻専業を目指して大阪の学校へ通うなど
本格的な勉強をしたそうです。
最初の雅号はたしか「頭童(ずどう)」と名乗ったと聞いています。
由来は「ずど」、岡山弁の「たいへんな」と言う意味の接頭語です。
それから「勝雲(しょううん)」と変更したそうです。
勝は勝田郡勝間田町勝間田の地名からとっています。
勝間田は縁起の良い地名とされ、戦争中は生還を願い
出征は勝間田駅からする人が多かったとも聞いています。
隣の駅が「林野(はやしの)」で、「シ」の音が嫌われたそうです。
祖父は戦後になって日本原開拓団へ入植し、
訪ねてきた棟方志功に出会いました。
棟方志功と祖父は意気投合して、いつも二人だけで話し込んでいたそうです。
棟方は「勝雲」の「勝」の字が戦争をイメージさせるので、
「昭雲」と変えたらどうかと提案したのです。
それで祖父の雅号は「昭雲」となりました。
それは我が家にとってとてもおめでたい出来事で、
父(正志)は祖父の晩年に雅号を譲ってくれと懇願しました。
それで昭雲は2代にわたって使われたのです。
2代目の方が長く生きて、圧倒的に多くの作品を残したので、
昭雲叩き彫はほとんど父の作品です。

戦争体験のある人達には「勝負」や「武器」を嫌う人が多かったと思います。
玩具の刀やピストルもダメという人も珍しくありませんでした。
そういう人達が亡くなり、その子供達に当たる私達以上の世代もすでに老人の域です。
そこまで神経質だったのは過去のことで、今は政治家も「戦い」で
「勝利」しなければなりません。
祖父や棟方志功の気持ちを思えば、
もっと深く静かに平和を願い、「戦争をなくす」国にならなければと考えます。
昭雲工房の「昭雲」は平和への願いで付けられているのですから。


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# by tatakibori | 2016-07-13 21:01 | その他 | Comments(0)

作品と人柄

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芸術作品や工芸作品に作者の人柄、性格やその時の精神状態が出るのかどうか
という話があります。
以前にブログに書いた事がありますが、若い頃にある岡山の著名なお方に
ご案内いただき岡山美術館の館長さんにお会いしました。
簡単な紹介をされて挨拶したら、
「そういうのが一番困るんだよね。作者の内面がどうとか美術には関係ない
ものを創作の一義に持ってこられると・・。」で話はお終いでした。
当時その世界では名のあるキュレーターで評論家だった方なので
ものすごい違和感を感じた事だけが記憶に鮮明に残っています。

私も還暦を迎えて、それなりにこの分野を見続けてきた経験から言うと
やっぱり作品には人柄や性格が出ると思います。
言い切ると異論のあるところですが・・・、
例外的に現代アートでは二次創作というか便器だったり新聞紙のような
日常的な工業製品などを利用した作品があるので、作者の意図が
最重要になり、その人柄や性格が表れる「手作業」が少ないものもあり
作者の人柄を感じ難いものもあります。
逆に書道のように最終的には作者の教養や人柄が問われるものもあります。
美術大学では現代アートは教えますが、書道は美術大学の分野でないのが
気になるところです。
私は年齢を重ねてから、作品に表される人柄を強く感じて感動する機会が増えました。
そういう磨かれていく創作の表現力や受け手の感受性は
「老い」を美しいものと思わせてくれます。
そういった出会いや感動を味わうのが人生の喜びだと思います。
還暦を過ぎての将来の希望はそこにあると言えます。



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# by tatakibori | 2016-07-05 21:21 | アート | Comments(0)

「叩き彫」

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「叩き彫」は普通にあった言葉ですが、我が祖父の木彫刻や木版画を彫る方法が
ノミをゲンノウで叩いて細かなところまで仕上げてしまうのを見た棟方志功が
山田昭雲の「叩き彫」と言った事で「叩き彫・昭雲工房」と名乗るようになったのです。
看板や印刷物に使い始めたのは昭和40年頃なので、ざっと50年の歴史です。
「叩き彫」で検索すると私のホームページが出てくるようです。

目の前に迫った参議院選挙の話で「戦争法」とか「天皇制」の言葉をよく目にします。
「天皇制」は大正時代に共産党が使い始めた特殊な言葉です。
戦後は日本のあり方を論じる場面で使われるようになって、
今や教科書にも普通に使われています。
かなり学問的な言葉のようにも思えます。
でも、憲法にも法律にも「天皇制」の言葉はないようです。
憲法の1条から8条は天皇について書かれていますが、
その政治への関わりを制限するのが目的のように読めます。
皇室典範という法律があって、そこに皇室の制度について書いてあるそうです。
「戦争法」はその成立に真っ向から反対した共産党による命名で
本来は「平和安全法制」(通称平和安全法制整備法と通称国際平和支援法の総称)、
マスコミは安全保障関連法案、安保法案、安保法制、安全保障関連法、安保法などと呼びます。
「戦争法」は昨年からの新しい言葉と言えます。

私は言葉を作るのは嫌いですが、祖父が作った「叩き彫」はそれで父もずっとやってきたので
今さら変えたり、止めたりするより使い続けて世間に認識してもらうのが良いと思っています。
どうやって定着させていくか、それがこの仕事を未来へつなぐ方法だと思います。
言葉は価値観の表れであり、その思想を深く反映しています。
「叩き彫」だけでなく、さらに新しい言葉が必要なのかもしれません。



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# by tatakibori | 2016-06-15 19:49 | その他 | Comments(0)

目明き千人、

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「世の中は目明き千人、めくら千人」と昔の人がよく言ったのを思い出しました。
ちゃんとした意味を確かめようと検索して調べていたら、
とても良い文章に出会いました。
ちょっと引用させていただきます。

「道を開く」松下幸之助より
世間というものは、きびしくもあるし、また暖かくもある。
そのことを
昔の人は「目明き千人めくら千人」ということばであらわした。
いい得て妙である。

世間にはめくらの面もたくさんある。
だから、いいかげんな仕事をやって、いいかげんにすごすことも
時には見のがされてすぎてしまうこともある。
つまりひろい世間には
それだけの包擁力があるというわけだが
しかしこれになれて世間をあまく見
馬鹿にしたならば、やがては目明きの面に行き当たって
身のしまるようなきびしい思いをしなければならなくなる。

また、いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても
なかなかにこれが世間に認められないときがある。
そんなときには、ともすると世間が冷たく感じられ
自分は孤独だと考え、希望を失いがちとなる。
だが、悲観することはない。
めくらが千人いれば、目明きもまた千人いるのである。
そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。

いずれにしても、世間はきびしくもあり、暖かくもある。
だから、世間にたいしては、いつも謙虚さを忘れず
また希望を失わず
着実に力強く自分の道を歩むように心がけたいものである。



信念を持ってやってきた仕事を世間の
どれくらいの人が理解してくれるのだろうか・・・
と思う事があります。
百人に一人か、千人に一人でしょうか?
最近は地元で活動する事が多いので
少ない人口の範囲での創作活動の限界は
数字的にどのように捉えたらよいのかと思う時があります。
岡山県北部の美作地域は人口約25万人余りです。
千人に一人なら250名が分かってくれる可能性があります。
それではあまりに少ないので、少なくとも百人に一人で
2,500名の理解者があるくらいの表現を目指さなければなりません。
世間の「暖かさ」に触れるためにはそれなりの幅の広さと
努力も要るのだろうと思ったのです。



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# by tatakibori | 2016-05-29 20:22 | その他 | Comments(0)

還暦記念の個展

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5月20日~22日の3日間近くのイオンモール内のホールで
創作を始めてから今までの比較的大きな立体作品を
並べて集大成的な個展を開きました。
総重量が1トン以上、点数にして120点ほどの展示です。
会場はショッピングセンターの多目的ホールで、
普段は講演、会議、講習会、映画上映、ミニコンサートなど
色々な催事に使われている施設です。
スポットライトと白い壁があるので沢山の作品を並べると
それなりの美術展の雰囲気が出来上がります。
時間的、質量的に密度の高い展示が来場者に感じていただけたと思います。
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美術に専門的に携わってきたある方が興味深い感想を言いました。
「このような広い会場でスポットライトを当てると、工房で見る
作品の持つ親しみが薄れているようです。」
美術館のような、もっと広くて専用の空間にゆったりした間を持って
展示すればさらに親しみが薄れていくかもしれません。

最近行った我が家のリフォームの打ち合わせで「生活感」という言葉が
よく出てきました。
生活感を出したくないという方も多くて、施主の嗜好を判断しながら
細かな配置やデザインを決めなければならないようです。
私の考えは合理性が優先ですから、生活感の排除のために不便になるような
配置は必要ないと伝えました。

この「生活感」のようなものが工房にあって、それが作品に親しみを
プラスしているのです。
冷たいRC構造の大きな空間にプラスターボードを張って作り上げ
られた白い無機質な展示ホールは音の残響も長くて、無意識のうちに
居心地の悪さを観客に与えます。
その暗い空間にスポットを当てて浮かび上がらせる手法は非日常であり
人々の生活とは隔絶されたものであり、ある種の客観性を失っているとも
言えるでしょう。
作品がどうであるかより、そこに持って行って展示する事の方が
意味が大きくなってきます。

今回の来場者のほとんどが「優しい表情になごみました」と
言った事が私の個性なら、これからの活動の方向性が
はっきりしてきたように思えました。
創作の分野の仕事は奥が深いので、今時の還暦は
まだまだこれからとも言われます。
元気でいられる間はまだまだ何かを彫り続けたいと
願っています。





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# by tatakibori | 2016-05-26 08:52 | 仕事 | Comments(0)