続々・氏

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今日の最高裁判決で、夫婦別姓は認められない事になりました。
しばらくはこの制度は続くのです。
生まれた氏に強い思い入れのある人は入籍しない方法を選択するのが賢明です。

岡山県の出身で平櫛田中という木彫家がいました。
たいへん長命で満108歳の直前まで生きた人です。
その後、同門の木彫家に長寿の人が続いたので
木彫をすると長生きするのではないかと真面目な話があったくらいです。
田中は本名を倬太郎(たくたろう)と言い、田中は生家の氏です。
10歳で平櫛家に養子に出されましたが、成人してもしばらくは
田中の姓を名乗ったそうです。
生家の氏にはよほど執着があったのか、雅号を田中としたのです。
「ひらくしでんちゅう」は「ひらくし・たなか」だと言えます。
もしも田中が生きていたら、今回の判決にどうコメントしたでしょうか。

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# by tatakibori | 2015-12-16 18:09 | 日々の生活 | Comments(0)

今年を振り返って

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以前はその年に買ったCDの中から良かったものを紹介したり
一年にあった出来事を振り返るような事を書いてきたのですが、
今年はそういう気分が起きてきません。
じつは、CDやレコードはかなり増えています。
それを聴くためのオーディオもずいぶん変化しました。
カメラも廉価ですが最新の機種を手に入れて
技術の進歩を実感しています。
仕事も他人から見ればスローペースでしょうが、
自分では駆け足でやってきたと思います。
思うほど結果が出てないのはどなたも同じような事だと
思いますから、さほど気にしていません。
食べられたらそれで良しと、腹をくくっています。
例年ならモチベーションにつながるような良い出会いがあったり、
不快な出来事も起こるのですが、
今年はそういうインパクトが無かったのです。
進んで来た方向に確信を持ってよけいな事をしなかったのが
その原因かもしれません。
やりたい事が年をとってなくなってきたとも言えます。
まだ残っているやりたい事は年相応の勉強をして
自分を磨く事だと思います。
昨年末に書いた、筆を持つ事、ひたすら彫り続ける事が
一番たいせつだと思う気持ちに変わりはありません。
なかなか面白い話も書けませんが、
今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。




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# by tatakibori | 2015-12-14 18:25 | 日々の生活 | Comments(0)

国風のみやび

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「国風のみやび」荒岩宏奨(展転社)11月23日発刊
(国風はくにぶりと読みます。)
著者は昭和56年広島生まれで自ら右翼と名乗っています。
右翼とは何かを考える時にイメージされる反社会的組織系の
街宣右翼、あるいはテレビの討論番組に出演する新右翼ではない、
それ以前からある「塾」的な精神論というか日本人のアイデンティティーを
確かめる思想の神髄が書いてある本です。
左翼の手段で右翼をやると新右翼・一水会が70年代後半に登場し、
最近では田母神氏、ネトウヨ、さらに安倍総理まで右翼と言われるようになり
かつての民族派の思想が何であったか分からない人がほとんどです。
荒岩さんは私的なものとして出会った書物や人物などを紹介し、
引用を重ねながら伝統的な「やまとごころ」について深く考えています。
右翼の思想の根底にあるものを集約した書物はたいへん珍しく
これほど短くまとめたものを他に知りません。
左派の書物のように同意できる人にとっての素晴らしい心地よさは
ないかもしれません。
知らない事が多すぎて、勉強しなければと思わされるでしょう。
80年代生まれの若い彼がどうやってここまでたどり着いたのか
それを知りたいと思いました。

(じつはまだ全部は読んでいません、これからじっくり読んでみます。)


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# by tatakibori | 2015-11-15 19:36 | 読書 | Comments(0)

続・氏

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私の生まれ育った岡山県勝田郡勝央町で一番多い姓は「植月(うえつき)」です。
昭和29年の町村合併以前の植月村大字植月中が発祥の地で、そこに集中して多くあります。
植月の小学校では植月さんをはじめ特定の姓が多いのでお互いに姓で呼ぶ事はありません。
「しんちゃん」とか「ようこちゃん」ですませました。
場合によっては同姓での縁組もあるので旧姓と今が同じ人もあります。
ここでは氏が意味を持たないわけでなくて、植月氏は由緒があり高いプライドがあります。
植月氏は美作管氏の名門といわれますが、実生活ではどれほどの意味があるのかわかりません。
江戸時代には庶民は苗字帯刀を許されなかったと言われますが、
当地ではほとんどの家には姓があったようです。
希に流れ者だったか何かの事情で姓が無かった家に明治になって
新しい姓を考えた記録があると言う話を読んだ事があります。

我が家の山田家は分家も含めて人数が少なく、
すでにもともとの居住地を離れているので
将来にこの山田姓が残るかどうかわかりません。
そんなことで特別な思い入れもないのですが、
歴史の良い部分は語り継いでいきたいと思います。

夫婦別姓とかで、生まれた氏にこだわる人が少し羨ましいようにも思えます。




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# by tatakibori | 2015-11-12 19:22 | 日々の生活 | Comments(0)

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夫婦別姓を求めて法律を変えるように裁判を起こしている女性がテレビのニュースに出ていました。
結婚していて夫の姓を名乗らずに旧姓を使っているが、銀行や公文書など結婚によって変わった
姓を使わなければならないのが嫌だと言ってました。
「姓」は法律では「氏」で、その家の名です。
日本ではほとんどの場合、結婚によって男女どちらかの「氏」を名のる事になります。
国によっては男性の姓を名のる所もあるようです。
中国では姓は血統を表すもので結婚によって変わるものではありません。

女性が結婚によって姓を変えるのが嫌なら、男性が女性の姓を名のるという方法もあります。
そもそも「氏」と言うように伝統や血統など人権にかかわるものが嫌なら、
女優の「優香」とか「波瑠」のように姓を捨てるという方法があって良いかもしれません。
ある方に「家を守ってきた(年老いた)親の気持ちを理解して欲しい。」と言ったら、
「そういうものに縛られずに自由に生きなければならない。」と反論されました。
そんな人は「家」や「氏」を捨てて、そこから離れた自由な人生を送れば良いと思います。
そもそも法的な婚姻にどれほどの意味があるのかと思います。
同性婚を認めようという動きまであるのですから、狭い「氏」だけにこだわるのは
法律や社会の価値観への挑戦でしかないようです。

写真は万葉集の巻頭の歌、雄略天皇御製を書いたものです。
「家」と「名」を問う事は求婚を意味しています。
これをロマンチックな詩と読むか、封建時代の権力者の
驕りと見るかのような違いがあるなら、
多くの名作文学や映画、演劇も味わいを失う場合があります。




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# by tatakibori | 2015-11-09 14:05 | 日々の生活 | Comments(2)

義賊


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ボブ・ディランの1973年に「ビリー・ザ・キッド」という映画のサウンドトラック・アルバムがあります。
これに名曲「天国への扉」が収められています。
映画は見てないですが、CDは何度も聴きました。
ライ・クーダーには1980年「ロングライダーズ」という映画のサウンドトラック・アルバムがあります。
これも映画は見てないのですが、ジェシー・ジェイムスという大盗賊の名はこれで知りました。
どちらの人物もアメリカの歴史上の人物としては犯罪者ながら伝説になり神格化されています。
日本で言うと石川五右衛門とか鼠小僧のような存在です。

2007年にブラッド・ピット主演で「ジェシー・ジェイムスの暗殺」という映画があります。
これはネットの映画サイトで見ました。
胸の空くような痛快な義賊ではなくて、とても神経質で精神を病んでいるような人物を表現していました。
現代のシリアスな映画として当然の表現だと思います。
現実の義賊は、神経質で臆病で自分を正当化するのに躍起になっていたのかもしれません。
ジェシー・ジェイムスは1866年2月13日に世界で初めて銀行強盗を成功させたので、
この日は「銀行強盗の日」になっているそうです。
日本で最初の銀行強盗事件は「赤色ギャング事件」で1932年10月6日に東京大森で共産党員によって行われました。
昭和7年という時代に拳銃を使い、自動車で逃走するなどまったくハリウッド映画並みの事件です。
しかし、これには諸説あって、でっち上げだという話もあり義賊事件として語り継がれるようなものではないようです。
昨今話題の冤罪事件と同じで、ドロドロとした汚い話が山のように出てきて何が正義なのか
さっぱり分からなくなります。
物語や芝居は現実から離れておもしろおかしく、すっきりしないといけません。
歌舞伎には「白波物」と呼ばれる盗賊が主人公の演目があり、義賊は日本でも古くから
芝居の一つのパターンとして人気があったようです。





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# by tatakibori | 2015-10-26 20:22 | その他 | Comments(0)

改築計画

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わが家は工房兼住宅なので「何時になったら家を建てるのですか?」とよく尋ねられたものです。
万が一、大金が入れば住宅を建てるという夢はあったのですが、かなわぬ夢の一つです。
夢としては、いわゆる草庵と呼ばれるようなコンパクトで和風に徹した上品な家を建てたいのです。
鴨長明の方丈記では方丈ですから畳にして四畳半の部屋が一つの建物です。
豊かな生まれの長明ならではの発想です。
現実的には京都・嵯峨野の落柿舎くらいの家が理想だと思います。
見取り図を読むとおよそ12坪で四畳半の床の間と小さな部屋がいくつかあります。
現代の家として見れば台所やトイレ、風呂など水回りがありません。
それを7坪として足せば、約19坪です。
別棟の仕事場として8坪と倉庫兼車庫で10坪とすれば、全部で3棟で37坪となります。
これで1~2人の仕事と生活のスペースとなります。
もしも大家族に発展して6人くらいになれば、さらに20坪程は必要になります。
もちろん増えるクルマに応じて3~4台の車庫となると16坪くらいになります。
仕事を3人くらいでするとなると・・・さらにスペースが必要になります。
そう考えて将来に備えれば、やはり80~100坪のスペースは現実的な数字です。
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ガラス障子越しに見える緑の庭とくつろげる縁側など贅沢の極みだと思い知るのです。

現実的な改築は、簡易水洗のトイレを合併浄化槽の水洗にするのが目的です。
そのためには水回りのラインを整理して配置換えをしなければなりません。
ユニットバスを設置して、キッチンまわりも替えて老後に備える計画です。
チャンスがあればここを出て行っても良いと思った事がありますが、
改装はこの地で最後までがんばる決意でもあります。

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# by tatakibori | 2015-10-24 19:16 | 日々の生活 | Comments(0)

レトリック

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前回の記事のコメントに「千坂さんの論理はトートロジーだ」といただきました。
それは本人も認めているそうです。
「トートロジー」とは「ある事柄を述べるのに、同義語または類語または同語を反復させること」です。
しつこく同じような事柄を繰り返していると言われれば、そういうところもあるようです。

写真は私が人生で最も影響を受けた本です。
これは千坂とはまったく反対のレトリックで、ある事柄を語りながら、
その奥にある人間の生きていく本質的な考えを教示しています。
一見、少し思い込みの強いような話が展開されますが、それは言葉に尽くせない
本質を示すために回りの事柄を比喩的に上げるなどあらゆる表現方法を駆使して
書き綴られているからです。
物語であったり、評論文であったり形式は様々ですが、
優れた歌人である保田は長編の文章と言えども密度の高さを下げることなく延々と書いています。
だから読むのにとても疲れる文章です。
柳宗悦の民芸運動に同調した文学者ですから、美術論は言わば反体制の立場を貫いています。
しかし、さらっと流して読むと反対の意味に取り違えてしまいそうなほど
デリケートな思想がそこに浮かんでくる仕掛けがあります。
体裁は思想書ではありませんが、この2冊の本から学んだ思想が今の私を作っているように思えます。
私が19歳の時に読んだ、保田與重郎「日本の美術史」と22歳の時の「天降言(あもりごと)」です。

所謂右派の人々、特に新右翼系には強い影響を与えたと思われる保田の日本浪漫派に
アナーキストの千坂恭二が影響を受けたのは、キーワードとして「反体制」「南朝贔屓と日本史における悪党」、
それに「明治維新の解釈」などがあったのだろうと思います。
千坂の三島由紀夫論は、文献だけでは分からない三島の人脈や影山正治(大東塾)の
存在を考えれば少し違ったものになったようにも思えます。





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# by tatakibori | 2015-09-29 14:55 | 読書 | Comments(0)

思想家

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千坂恭二「思想としてのファシズム-大東亜戦争と1968」彩流社2015

ネット上では左派も右派も自分が心地よく思える情報を貪るように探し、
それをSNS上にリンクして再発信し、それによって埋め尽くされた感さえあります。
多くの評論家は糧を得るために「常客」の喜びそうな情報を美味しく料理して、
講演会や単行本で稼ごうと努力しています。
大手新聞社まで左右に分かれる事により支持者を作って売り上げの基本に
するような戦略にすっかり変わってしまいました。

千坂恭二は思想的に両極端である人々へ向けて語りかけています。
おそらくどちらの人も心地よい言葉をこの中に捜す事が出来ます。
かといってテレビで見かけるような名のある評論家、学者とは
違いかなりストイックな生き方を貫いてきたようで、
その心地よさは糧を得るための手段とは違います。
資格も職業も持たない在野の(権力に近寄らない)本物の革命家
なのだろうと思います。
私には言葉の定義が良く分からない部分もあるのですが、
この本は「評論」ではなく「思想」が書いてあります。

1968年は1950年生れの彼にとっては18歳という多感な時期であり、
「全学連」と「全共闘」の節目であったのです。
その節目から始まるアナーキストの闘争から見れば、
戦前を否定する事に主眼をおいた戦後リベラルという
民主主義は意味を持たなくなります。
それこそ連合国・アメリカの思うつぼに嵌っているからです。
むしろ否定されてきた、ナチスや中野正剛(東方会)の
ファシズムを丹念に読み取る事により日本発の世界革命を
起こすのが彼の思想のようです。
前回の当ブログに書いた「デモに参加する学生が、
デモに人生の希望を見出した」のは本来戦勝国に
押し付けられた価値観である「個人主義の幸福」よりも
「幸福」に対する「使命」が「希望」になってくるから
だろうと、この本を読んで私は思いました。
多くの左派によるニヒリズム的論調とは一線を画す
「希望」に満ちた「暴力革命」というのがあるかもしれないと
思わせてくれる不思議な話です。
千坂は「戦後最年少のイデオローグ」と言われたのですから、
その思想は彼から始まるものです。

「連合赤軍」「日本赤軍」「古今集」「吉本隆明」「蓮田善明」
「保田與重郎」「三島由紀夫」「日本浪漫派」「南北朝時代」
「ハイデッガー」「ユンガー」など多少は知っている
キーワードに助けられましたが、そういうのに無縁の人は
かなり読みづらい本です。



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# by tatakibori | 2015-09-28 16:38 | 読書 | Comments(0)

いただきます

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私は1956年生れです。
高校を卒業したのが1975年、大学は一年遅れて1980年に出ました。
5年間は東京で過ごしました。
たいへん貧しい生活でしたが、
不況と言われながら社会は豊かさへの強い憧れを持ち、
すぐそこに輝くような未来を実感していたように思えます。
実際に80年代に入ってからは目に見えるように
世の中は豊かさを手に入れていったのです。
単純に物質的な欲望を満たすだけだったと言えばそれまでですが、
貧しい人が減っていったのは確かだと思います。
バブルがはじけたと言われるのが1989年です。
私の場合は、1975年に19歳で、1989年に33歳だった事になります。
個人的には1980年代が人生で一番苦しい時期だったのですが、
それでも経済成長の恩恵は確かなものがあったと記憶しています。

この数年、思い続けている事があります。
今の若い人に希望を持てと言い難いのです。
国の抱える財政赤字、成長のない経済、高齢化社会に少子化、
ますます不安な国際情勢など、いたずらに氾濫するネットの情報も
私の頃には無かった問題です。
先日、国会前のデモに参加する学生が、デモに人生の希望を見出したと
発言していました。
こういう人は60年安保の頃からいて、不思議ではないのですが、
若い人が少ないのに、さらに希望を持って生きているとなると
希少な人物のように思えてきます。
しかし、残念ながら健康に見えないのが悲しいところです。

私は未来への希望とは何か考えます。
若い人向けの小説を読み、映画を見ました。(ネット配信のものですが)
映画の中ではハリウッドでも日本でも家族で食事のシーンがよくあります。
私は伝統文化の中で生きるのが信条ですから、
家族みんなで夕食のテーブルを囲み、手を合わせて
「いただきます」と言って美味しくいただく生活の中にこそ
希望があるのではないかと思いはじめました。
自家栽培の野菜や米が食べられれば理想ですが、
地元産野菜を物々交換や届け合うなどもありがたいものです。
我が家は神道なので一つ拍手をして「いただきます」と声を出します。
教えの少ない神道ですが「食」はその中で最重要です。
伊勢神宮も内宮、外宮は天照大神さまと豊受大神さまで、
簡単に言うと、太陽神とそれにお供えする食べ物の神さまなのです。
手を合わせて「いただきます」の所作と声の中に神さまが在ります。
あらゆる宗教、民族でこれは共通のようです。
この中にこそ、ほんとうの希望があると思います。

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# by tatakibori | 2015-09-18 19:23 | 日々の生活 | Comments(0)