個人美術館その2

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私の住む町にある美術館は自治体の名前を冠していますが、
内容は個人美術館と言って良いと思えます。
設計した世界的な建築家磯崎新個人の芸術表現に徹しているからです。
内容は4人のアーテストの作品を恒久展示するものですが、
それをまとめる器の方がはるかに主役です。
アーテイストは親しい友人や磯崎夫人であり、磯崎の支配下にあると言えます。
個人の名前がついていないのは運営、所有が自治体であり、すべての資金は
自治体を経由して防衛省が出したものだからです。
設立の経緯はともかく、強い個性を持った美術館はその後に誕生した
直島の地中美術館などに大きな影響を与えたようです。
アーテイスト個人の資金ではここまでのスケールのものは作れませんが、
そのアイデアは独創的で、スケールダウンしても通用すると思われます。

この美術館は当初の恒久展示だけでの集客には低い限界があって、
別にあるホールでの美術館職員の企画による有名でない地方アーティスト中心の
展示によって集客に成功しているようです。
潤沢な資金や有能なキュレーターがあってようやく成り立つのが、
個人美術館の難しさを示していると言えます。
しかし、この場合には採算性とか費用対効果という一般的な経済常識を
持ちだして論じるのは意味がありません。


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# by tatakibori | 2016-02-15 12:15 | アート | Comments(0)

個人美術館

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個人美術館とはその土地にゆかりの著名な芸術家の作品を展示してあるものですが、
個人的な美術館というか作家が自作品を展示する目的のものもあります。
さらに個人のコレクションを展示しているものも含まれるように思えます。
岡山県北でも広く海外に見分を広めた芸術家が作った個人美術館がいくつかあります。
このタイプの美術館は欧州では珍しくない存在なのでしょう。
営利を目的としないで、個人経営なら週に1日だけ開けるとか、
見学は予約のみとか、一年の半分は閉館など自由なやり方の運営が多いようです。

カフェ(飲食店)でアート作品を展示販売する店が増えてきたのも
新しい動きだと思います。
民家で限定的なレストランというスタイルもありますから、
特別な建物でなく普通の住宅を改装しないでカフェと個人美術館を
限定的にやってしまう方法もあるかもしれません。
私が子供の頃に我が家では座敷を貸して行商人が大島紬とか
有田焼の展示販売をやっていました。
江戸時代の芭蕉とか円空も旅先で土地の有力者の座敷を借りたり、
寺院の境内などでそのパフォーマンスを展開したようです。
販売に経費をかけない方法は売価を抑える事につながり、
作者にとってもファンにとっても有利という考えも成り立ちます。
今の時代や環境に合った昔からある営みのようで新鮮な感覚の展示販売・・・・。
今世紀に入ってからの流れから感じて思うのはそういう方法です。

田舎の温泉町にある個人美術館を見てそんな事を考えました。

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# by tatakibori | 2016-02-12 20:11 | アート | Comments(0)

小型デジタルアンプの新型

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仕事場用のCDプレーヤーの調子が悪くなったので、対策をあれこれ考えました。
自動車用のオーディオはUSBメモリのMP3データで再生しています。
8GBのメモリならCDにして200枚以上の音楽が入っています。
BGMにはとても便利で音質的にも問題ありません。
それと同じような家庭用のものを探して見つけたのが写真のものです。
kentigerというブランドですがlepaiとかlepyと実質的に同じメーカーの製品に見えます。
もちろんmade in chinaです。
USBメモリとSDカードを挿し込んで、そのまま再生できます。
小型デジタルアンプにDACが内蔵されているからカーオーディオと同じです。
電源アダプター無しなら送料込み2,000円以下の驚異的なお値段です。
電源は今までのアンプと同じ12Vが使えます。
たいへん目障りなLEDのイルミネーションは分解して基盤のソケットを
外して点灯しないようにしました。
音質はMP3なのでCDよりはやや粗いような部分もありますが、
気になるほどでもありません。
音量も十分にあります。
これとスピーカーだけで飽きずに一日中BGMを流せます。
中国製デジタルアンプの世界は新しいステージに進化しています。
真空管を使った廉価なプリアンプ(ヘッドフォンアンプ)もあるようです。
長時間BGMをMP3に変換し、PCなしで楽しめば消費電力は2W程度に抑えられます。

よーく考えてみれば、おかしな話です。
技術の進歩と経済格差で安く手に入れたハードと、
ネット上に無料で垂れ流されているソフトでは
産業としても芸術文化としても成り立っているとは
言えないような変な感じです。
豊かになったような気もしますが、
だんだんそれに合わせて貧しくなっていくように思えます。



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# by tatakibori | 2016-01-11 19:50 | オーディオ | Comments(0)

還暦を迎えて

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あけましておめでとうございます。

今年は丙申(ひのえさる)で十干十二支の私の生まれ年の
干支が一回りして還暦を迎えます。
子供の頃に思った60歳とは全然違って、超高齢化社会の還暦は
まだまだこれからと言う年齢です。
1970年頃だったか、筒井康隆の本の中に「断末魔酔狂地獄」という短編がありました。
近未来の超高齢化社会を予言、風刺した話です。
今やまさにこの予言が現実となった社会だと思います。
たぶんこの話の主人公が私の世代です。
アンチエイジングや健康への関心、ストレス解消のテクニックなどで
かつての還暦と現代の還暦はずいぶん違うようです。
私達は長く生きて色々な体験をして多くの事象を見てきましたが、
これから先も長く「(一億総)活躍」しなければなりません。
美術工芸系の職業を取り巻く環境は小売業などと同じでさらに厳しく、
先の見えない時代はこれからも続くと思われます。
希望は自分で作って、「打って出る」アグレッシブさが求められると
助言をいただく事もあります。
しかし、私にはどこへ資金を投入して積極的に動けば良いのか分かりません。
公的な制度融資や補助金を受けたり、銀行で資金調達をする時代は
父の時代の過去の話のように思えます。
例えば、個人的なスポンサーと組んで空き家を借りたり、廃業した方より
設備を譲り受けるような方法で、営利を主目的にしない
NPO法人を活動の母体にするのが21世紀の創作活動だと思います。

年末から前時代的な煩わしい誘いの話がありますが、先ずはそれを片付けまして、
春には我が家(工房)の水回りのリフォームをします。
もっと広く門戸を開けて工房の機能も充実させていくのが今年の目標であります。
それが昭雲工房の未来へのスタートです。

最後になりましたが、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


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# by tatakibori | 2016-01-02 19:50 | 日々の生活 | Comments(0)

続々・氏

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今日の最高裁判決で、夫婦別姓は認められない事になりました。
しばらくはこの制度は続くのです。
生まれた氏に強い思い入れのある人は入籍しない方法を選択するのが賢明です。

岡山県の出身で平櫛田中という木彫家がいました。
たいへん長命で満108歳の直前まで生きた人です。
その後、同門の木彫家に長寿の人が続いたので
木彫をすると長生きするのではないかと真面目な話があったくらいです。
田中は本名を倬太郎(たくたろう)と言い、田中は生家の氏です。
10歳で平櫛家に養子に出されましたが、成人してもしばらくは
田中の姓を名乗ったそうです。
生家の氏にはよほど執着があったのか、雅号を田中としたのです。
「ひらくしでんちゅう」は「ひらくし・たなか」だと言えます。
もしも田中が生きていたら、今回の判決にどうコメントしたでしょうか。

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# by tatakibori | 2015-12-16 18:09 | 日々の生活 | Comments(0)

今年を振り返って

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以前はその年に買ったCDの中から良かったものを紹介したり
一年にあった出来事を振り返るような事を書いてきたのですが、
今年はそういう気分が起きてきません。
じつは、CDやレコードはかなり増えています。
それを聴くためのオーディオもずいぶん変化しました。
カメラも廉価ですが最新の機種を手に入れて
技術の進歩を実感しています。
仕事も他人から見ればスローペースでしょうが、
自分では駆け足でやってきたと思います。
思うほど結果が出てないのはどなたも同じような事だと
思いますから、さほど気にしていません。
食べられたらそれで良しと、腹をくくっています。
例年ならモチベーションにつながるような良い出会いがあったり、
不快な出来事も起こるのですが、
今年はそういうインパクトが無かったのです。
進んで来た方向に確信を持ってよけいな事をしなかったのが
その原因かもしれません。
やりたい事が年をとってなくなってきたとも言えます。
まだ残っているやりたい事は年相応の勉強をして
自分を磨く事だと思います。
昨年末に書いた、筆を持つ事、ひたすら彫り続ける事が
一番たいせつだと思う気持ちに変わりはありません。
なかなか面白い話も書けませんが、
今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。




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# by tatakibori | 2015-12-14 18:25 | 日々の生活 | Comments(0)

国風のみやび

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「国風のみやび」荒岩宏奨(展転社)11月23日発刊
(国風はくにぶりと読みます。)
著者は昭和56年広島生まれで自ら右翼と名乗っています。
右翼とは何かを考える時にイメージされる反社会的組織系の
街宣右翼、あるいはテレビの討論番組に出演する新右翼ではない、
それ以前からある「塾」的な精神論というか日本人のアイデンティティーを
確かめる思想の神髄が書いてある本です。
左翼の手段で右翼をやると新右翼・一水会が70年代後半に登場し、
最近では田母神氏、ネトウヨ、さらに安倍総理まで右翼と言われるようになり
かつての民族派の思想が何であったか分からない人がほとんどです。
荒岩さんは私的なものとして出会った書物や人物などを紹介し、
引用を重ねながら伝統的な「やまとごころ」について深く考えています。
右翼の思想の根底にあるものを集約した書物はたいへん珍しく
これほど短くまとめたものを他に知りません。
左派の書物のように同意できる人にとっての素晴らしい心地よさは
ないかもしれません。
知らない事が多すぎて、勉強しなければと思わされるでしょう。
80年代生まれの若い彼がどうやってここまでたどり着いたのか
それを知りたいと思いました。

(じつはまだ全部は読んでいません、これからじっくり読んでみます。)


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# by tatakibori | 2015-11-15 19:36 | 読書 | Comments(0)

続・氏

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私の生まれ育った岡山県勝田郡勝央町で一番多い姓は「植月(うえつき)」です。
昭和29年の町村合併以前の植月村大字植月中が発祥の地で、そこに集中して多くあります。
植月の小学校では植月さんをはじめ特定の姓が多いのでお互いに姓で呼ぶ事はありません。
「しんちゃん」とか「ようこちゃん」ですませました。
場合によっては同姓での縁組もあるので旧姓と今が同じ人もあります。
ここでは氏が意味を持たないわけでなくて、植月氏は由緒があり高いプライドがあります。
植月氏は美作管氏の名門といわれますが、実生活ではどれほどの意味があるのかわかりません。
江戸時代には庶民は苗字帯刀を許されなかったと言われますが、
当地ではほとんどの家には姓があったようです。
希に流れ者だったか何かの事情で姓が無かった家に明治になって
新しい姓を考えた記録があると言う話を読んだ事があります。

我が家の山田家は分家も含めて人数が少なく、
すでにもともとの居住地を離れているので
将来にこの山田姓が残るかどうかわかりません。
そんなことで特別な思い入れもないのですが、
歴史の良い部分は語り継いでいきたいと思います。

夫婦別姓とかで、生まれた氏にこだわる人が少し羨ましいようにも思えます。




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# by tatakibori | 2015-11-12 19:22 | 日々の生活 | Comments(0)

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夫婦別姓を求めて法律を変えるように裁判を起こしている女性がテレビのニュースに出ていました。
結婚していて夫の姓を名乗らずに旧姓を使っているが、銀行や公文書など結婚によって変わった
姓を使わなければならないのが嫌だと言ってました。
「姓」は法律では「氏」で、その家の名です。
日本ではほとんどの場合、結婚によって男女どちらかの「氏」を名のる事になります。
国によっては男性の姓を名のる所もあるようです。
中国では姓は血統を表すもので結婚によって変わるものではありません。

女性が結婚によって姓を変えるのが嫌なら、男性が女性の姓を名のるという方法もあります。
そもそも「氏」と言うように伝統や血統など人権にかかわるものが嫌なら、
女優の「優香」とか「波瑠」のように姓を捨てるという方法があって良いかもしれません。
ある方に「家を守ってきた(年老いた)親の気持ちを理解して欲しい。」と言ったら、
「そういうものに縛られずに自由に生きなければならない。」と反論されました。
そんな人は「家」や「氏」を捨てて、そこから離れた自由な人生を送れば良いと思います。
そもそも法的な婚姻にどれほどの意味があるのかと思います。
同性婚を認めようという動きまであるのですから、狭い「氏」だけにこだわるのは
法律や社会の価値観への挑戦でしかないようです。

写真は万葉集の巻頭の歌、雄略天皇御製を書いたものです。
「家」と「名」を問う事は求婚を意味しています。
これをロマンチックな詩と読むか、封建時代の権力者の
驕りと見るかのような違いがあるなら、
多くの名作文学や映画、演劇も味わいを失う場合があります。




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# by tatakibori | 2015-11-09 14:05 | 日々の生活 | Comments(2)

義賊


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ボブ・ディランの1973年に「ビリー・ザ・キッド」という映画のサウンドトラック・アルバムがあります。
これに名曲「天国への扉」が収められています。
映画は見てないですが、CDは何度も聴きました。
ライ・クーダーには1980年「ロングライダーズ」という映画のサウンドトラック・アルバムがあります。
これも映画は見てないのですが、ジェシー・ジェイムスという大盗賊の名はこれで知りました。
どちらの人物もアメリカの歴史上の人物としては犯罪者ながら伝説になり神格化されています。
日本で言うと石川五右衛門とか鼠小僧のような存在です。

2007年にブラッド・ピット主演で「ジェシー・ジェイムスの暗殺」という映画があります。
これはネットの映画サイトで見ました。
胸の空くような痛快な義賊ではなくて、とても神経質で精神を病んでいるような人物を表現していました。
現代のシリアスな映画として当然の表現だと思います。
現実の義賊は、神経質で臆病で自分を正当化するのに躍起になっていたのかもしれません。
ジェシー・ジェイムスは1866年2月13日に世界で初めて銀行強盗を成功させたので、
この日は「銀行強盗の日」になっているそうです。
日本で最初の銀行強盗事件は「赤色ギャング事件」で1932年10月6日に東京大森で共産党員によって行われました。
昭和7年という時代に拳銃を使い、自動車で逃走するなどまったくハリウッド映画並みの事件です。
しかし、これには諸説あって、でっち上げだという話もあり義賊事件として語り継がれるようなものではないようです。
昨今話題の冤罪事件と同じで、ドロドロとした汚い話が山のように出てきて何が正義なのか
さっぱり分からなくなります。
物語や芝居は現実から離れておもしろおかしく、すっきりしないといけません。
歌舞伎には「白波物」と呼ばれる盗賊が主人公の演目があり、義賊は日本でも古くから
芝居の一つのパターンとして人気があったようです。





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# by tatakibori | 2015-10-26 20:22 | その他 | Comments(0)