見聞を広める

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wikiによると
ボブ・ディランは
「現行の音楽をすべて忘れて、ジョン・キーツメルヴィルを読んだり、
ウディ・ガスリーロバート・ジョンソンを聴くべし」と後進のアーティストに提言している。
またエンツォ・フェラーリは
1956年の息子ディーノの死後めったに公の場に現われなくなり、本拠地モデナを離れることもなかった。
極めつけの熊谷守一は
「約30年間 家から出ていない」などの言葉を残している。

それとは逆の松尾芭蕉のように旅にあこがれ、旅をすみかにした人もいます。
この旅は何かの目的があっての旅と言うより旅をする事そのものが
目的のように思えます。
フーテンの寅さんは渡世人を自称し家を持たず旅に明け暮れる生活が基本です。
その旅は露天商の旅ですから、基本的にお金を稼ぎながら危なっかしい日々を
送る厳しい生活でもあります。
円空や木喰も旅の人生だったようです。
それは聖(ひじり)と呼ばれる乞食僧の生活です。
これらの場合は旅をする事が神聖でストイックな行為だったのです。

今、世は見聞を広めるための旅行が大流行のように思えます。
代表的なのが地方議員さんの視察旅行です。
どこか「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的に見えるのが残念ですが、
これらの経費による経済効果が大きいとなると一概に無意味とは言えません。


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# by tatakibori | 2017-12-12 21:13 | その他 | Comments(0)

後世に残すと言う事

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松尾芭蕉の俳諧と言えば小学校の教科書にも載っている日本人としての
基礎的な教養の一つです。
芭蕉の生涯は1644~1694年で50歳で亡くなっています。
芭蕉の没後38年の1732年に蝶夢が生まれています。
蝶夢が芭蕉の研究をして、その遺作を3冊の本にして出版しました。
これが後世に残る芭蕉の偉業を日本の文化として確立させたのです。
じつは、大きなブームとなり一世を風靡した芭蕉の俳諧も
その没後にはだんだん廃れていったのでした。
蝶夢は30年かけて芭蕉の墓所である義仲寺を再興し、
1793年に芭蕉100回忌を成し遂げました。
今の義仲寺は昭和になってまた荒れはてたものを
1965年に保田與重郎(1910~1981)らによって再興したものです。
芭蕉に関する書物や研究者は多くありますが、蝶夢の研究に力を
注いだのが佐賀大名誉教授の田中道雄(1932~)です。
私は40年くらい義仲寺に集まる諸先生方にお会いしてきましたが、
田中先生は純真に蕉門の俳人をほんとうに熱く語ります。
そこに血の通った人物像を語りたい、と言うような話をされます。
古い手紙などからその人柄や信念を感じ取り、人物を語ります。
お話を聞いていると、
世の中に当たり前にあるものが、じつは志を持つ少数の人によって
ようやく守り続けてこられた事を目の当たりにするのです。
そういうたいせつな事は世の中にたくさんあるから、
それぞれの人の持ち場でたいせつなものを後に続くように
しなければならないと知るのです。
田中道雄先生ほどありがたいお話をされる人は滅多にいません。





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# by tatakibori | 2017-11-28 21:25 | その他 | Comments(2)

木彫に対する私の思い その4

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写真は天台宗の発行する小冊子の最新号に紹介された私の記事です。
私の仕事への思いをこのブログに書き綴ってきましたが、
取材を受けて編集者の目を通した「私の思い」がこの冊子には
書いてあります。
尋ねられた事に私が正直に答えた言葉を出来るだけそのまま
書いてあり、さすがに手慣れた物書きの仕事だと感服しました。
この道に入ったきっかけを丁寧に聞かれたので、丁寧に答えた
事柄がまとめてあるのが自分で書く自分とは違うのです。
自分ではその道の家に生まれて、始めからあったものが
他人から見れば特異なものであり、その環境の特質があるのだろうと
あらためて思いました。
宗教関係の印刷物なので信仰にかかわる言葉が多いようにも
感じましたが、実際に私が口にしている言葉には
そういう信仰心から出るような言葉が多いというのにも
今さらながら気がついた次第です。
天台宗の檀家には届くそうなので機会あれば読んでいただけたら
ありがたいと思っております。


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# by tatakibori | 2017-11-14 19:32 | 仕事 | Comments(0)

木彫に対する私の思い その3

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私が若い頃には木彫をする人がたいへん少なかったように覚えています。
比較される方が何処かにあれば私の個性もより理解しやすいし、
木彫と言うジャンルへの理解も深まるはずなので、
木彫作家が増える事を願っていたのです。
近年になって木彫作家が増えているようです。
今まで脚光を浴びなかった人達が注目されて、この分野の情報も
増えてきているのを実感します。
色々な表現の人がいるのですごく違和感を感じるものも
ありますが、バリエーションが増えるのはとても良い事です。
若い木彫作家達が何故に素材に木を選んだのか知りたいと思う事があります。
私(我が家)の場合は先祖から木にかかわる仕事をしてきた環境が一番の理由です。
それは先祖が暮らしていた地域の風土がそうだったのです。
すぐ近くに農林学校(旧制)、製材所、林業試験場がありました。
建築関係やデザイナーへ進む人も多かったようです。
最近は美術大学に進んでから素材に木を選ぶ人が多いので、
木や道具に対する思いが少し変わってきたように見える場合もあります。
他の人達の作品を見る事によって自分のやりたい表現や出来る事が
見えてくるように思えます。
良い時代になったと、しみじみ思うのです。




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# by tatakibori | 2017-08-28 17:18 | 仕事 | Comments(0)

熱中症

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私は汗が少ない体質なので、歳をとるにつれて熱中症気味になる場合が増えてきました。
真夏以外は汗が出ないので水分補給の習慣がないのも良くないです。
飲み物はよくとるのですが、コーヒーと緑茶が多いので水分補給にならないそうです。
カフェインの含まれる飲料やアルコールの含まれるビールなどは
利尿作用も強いので、水分補給にはカウントしないのです。
カフェインは日常的に摂取するものですが、興奮作用をもつ精神刺激薬のひとつでもあります。
最初に緑茶を飲んだ日本人はその刺激に驚いただろうと言う話をテレビで見た事があります。
茶道はそもそもカフェインの作用を最大限に楽しむために考案されたという見方があります。
開高健だったか、本来は作用の弱い阿片を楽しむには厳重な作法が必要であると書いています。
一滴のアルコール、カフェインや満腹も阿片を台無しにしてしまうのです。
大麻の作用も個人差が大きく、何も感じない人がいると聞いた事があります。
そのようなものと比較しなくてもコーヒーには強い習慣性があり、中毒をおこします。
コーヒーを断つと2日目くらいには強い離脱症状が現れます。
それを我慢してしばらくカフェイン断ちをすれば、最初に飲むコーヒーは
素晴らしい精神への刺激を与えてくれるかもしれません。
依存症には薬物でなくても、脳内にアドレナリンやドーパミンを発生させる
刺激的な行動でも起こるそうです。
スポーツでも音楽、ゲーム、スマホ・・・何でも依存症になれます。
美術、特に木彫刻の依存症というのがあるのかどうか調べてみました。
これは鑑賞ではそれほどの快感が得られなくて、創作に参加する事によって
依存症が起こる可能性があるようです。
木版画教室が好評であるのはそれなりの理由があるようです。
木彫刻が作者の快感にとどまるだけでは生業としては不完全です。
より楽しめる木彫刻についてはまだまだ研究の余地があります。

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# by tatakibori | 2017-08-15 19:40 | 日々の生活 | Comments(0)

直毘神

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直毘神(なおびのかみ)

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国の穢(けがれ)を
禊(みそぎ)払われた時に生まれた神さまです。
禍(まが、凶事・罪悪・災害など)を直す神さまです。
本居宣長の古事記伝にある「直毘霊(なおびみたま)」は簡単に言えば、
漢意(からごころ)を排し「かんながら」に帰るという事です。
漢意とは言挙げて対立するような外来の世俗の文化とも言えます。
「かんながら」とは随神、惟神、自然などの文字が当てられ、
人が神代から生まれながらに持つ素直な心というような意味です。
新しい外来文化と日本古来の文化の対比とも言えます。
一例を挙げれば、「袖振れ合うも多生の縁」と言いますが、
偶然による一期一会を大事にすると読むか、
偶然による出会いも前世からの深い因縁による必然の
ものと考えるかの違いのようなものもあります。
映画の「ふうてんの寅さん」は前者の意味のように使っています。
それが日本の古来からの考えであったからです。
昔の戦(いくさ)では勝者が、敵は立派で強かったと讃えたそうです。
ひいてはそれが戦いの正当性や強さのアピールにもつながります。
戦争においても「袖の振れ合い」があり、
「やあやあ我こそは」と名乗る仁義があったのです。
現代のネットやテレビのニュースでは
世界は醜い憎しみや争いに満ちているようです。
しかしひとたび、神仏に向かって手を合わせ、それと心を一つにすれば、
私達の日常はまことに穏やかであると気づきます。
そういうのが直毘神の本質だと思い、今年の伊勢神宮参拝のために
この版画を制作しました。


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# by tatakibori | 2017-06-04 20:55 | 仕事 | Comments(0)

木彫に対する私の思い その2

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私の木彫は自己表現が目的ではありません。
芸術に夢があって、何かを表現するために始めたのではないからです。
祖父の木彫には芸術表現に託す思いがあったのは確かです。
素材が木であったのは生まれた環境によるものでした。
それに大正から昭和の初めにかけて木彫のブームがあったようです。
有名な葛飾柴又の帝釈天の木彫はその頃に制作されたものです。
子供の頃に祖父の彫刻を見て、私は木を刻んだノミ跡の美しさを知りました。
私の木彫は木に刃物を当てた跡を作るのです。
もっと極端に言うなら、彫りクズを作る事なのかもしれません。
コンコンと音をさせて、たくさんの彫りクズを作れば、
何かたいへんな努力を積み重ねているような自己満足もあります。
写真の作品のように荒くて未完成ながら彫り跡に道具の力が残れば
それで良いのだと思います。
よく切れる道具で刻まれた木に残る力強いノミ跡でしか
表現できない優しさがあります。
手数の少なさは穢れの少なさにも通じます。
純粋で無垢というのが私の目指す表現なのです。
それは私の内にある考えではなく、木が持つものであり
神の創造したものから本質を引き出す作業です。
素材に木を選んだのではなくて、ある意味の運命にも引かれて
木に関わってきたのだと思います。

         つづく

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# by tatakibori | 2017-04-25 15:26 | 仕事 | Comments(0)

木彫に対する私の思い

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木彫に対する私の思いは、祖父と父の木彫への願いを分かり、それにたちかえり伝える事です。
自分を表現するために始めた事でもないし、欲のない仕事として続けてきただけのものです。

私のものごころついた最初の記憶の中に、祖父が彫る姿があります。
いつも面白い話をして笑っている祖父が苦しそうな顔で
仏像や般若面を彫っていました。
もう少し大きくなるまで、それが木彫だと思っていました。
祖父は40歳前に脳内出血で倒れて生死をさまよった事があります。
これをきっかけにやや前衛的な木彫をするようになりました。
戦中戦後は彫っても売れないので、自分の世界に入り込んで
大胆な表現を試みていました。
その時代に棟方志功に出会って、それを励まされたのでますますその方向へ進みます。
私は日頃、現代アートは敵のように言ってますが、昭雲叩き彫の完成はむしろ前衛的な
表現にあったのです。
さらに、棟方を通じて柳宗悦の民芸運動に触れた祖父はそれに大きく惹かれていきます。
祖父は民芸を通じて円空や木喰を知りました。それまでの大胆な円空にも通じる作風は
じつは独自の手法によるものだったのです。
山田家の先祖は大工職人でした。祖父が木彫を始めたのは家にそこそこの道具が揃っていたからです。
大工はノミをゲンノウで叩いてホゾ穴などを彫ります。
木彫職人の修業をしていない祖父はノミをゲンノウで叩いて彫ります。
やがて限界を感じて大阪の学校へ勉強に行くのですが、
最初に身についた手法は後々まで残ったのです。
情報のない時代にたいへんな苦労をして独自のスタイルを作ったものですから
祖父の仕事にはたいへんな力があります。
それが刷り込みになって私の木彫への意識は作られています。
祖父が私の作品を見たら許してくれるだろうか、という思いはいつもあります。


                     つづく

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# by tatakibori | 2017-04-07 21:36 | 仕事 | Comments(0)

劇作家

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私の住む町では著名な劇作家を招いて町の未来について仕事を依頼しています。
地域おこしと劇作家と言えば「北の国から」の倉本聰が先ず思い出されます。
富良野に住んで、大金を投じて東京から大勢のスタッフや役者を呼んで
作ったドラマは後世に語り継がれる傑作だと思います。
主人公の価値観、人生観は純粋で美しく厳しい現実との対比で
人生の素晴らしさや希望を観る者に与えてくれました。
さらに富良野が倉本から授かった恩恵は金銭だけでなく目に見えない
ものも含めて大きなものがあったと思われます。
私の住む町でも、そんなまるで映画の中のような奇跡が
その劇作家によって少しでも起こったら幸せかもしれません。

立場が全然違う?

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# by tatakibori | 2017-03-29 19:39 | その他 | Comments(0)

60歳の年度末

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60歳の年度末を迎えました。
地方紙の公務員人事異動の記事には見覚えのある名が
退職の欄にずらりと並んでいます。
時を同じくして近くの自治体の議員選挙で古い友人が
初当選しています。
4月にも選挙があり一人立候補します。
退職公務員、教員の多くは再雇用になり
あと数年は同じように勤めるそうです。
私と同じように最初から自営業で定年退職という節目のない
仕事を続ける人もあります。
何処かのブログで議員になる友人の事を
「満60歳になった氏の晩年の過ごし方」と書いていました。
60歳の再出発を「晩年」とは語彙が乏しいのか悪意があるのか
わかりませんが、なんとも言えない気分になります。
80年の人生とすれば残りは20年、それだけあれば
もうひと仕事くらい出来そうに思えます。
自分に置き換えて考えれば、同じことをずっと続けることの
たいせつさをしみじみと感じているのです。
同じように彫っても何かの深みがプラスされてきたと
自信を持って言えるものがあります。
60歳は60歳なりですが、超高齢化社会で過去の60歳と
同じように老け込むわけにはいきません。
晩年の過ごし方を考える余裕はまだないのです。


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# by tatakibori | 2017-03-27 20:17 | 日々の生活 | Comments(0)