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イクシラ2014春号の原稿下書き

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伝統の精神
美しいか、美しくないかの判断はきわめて個人的な感覚で、直感的である。
それ故に世の中の現象としては不安定なものだ。
ではその根拠は何処にあるのだろう。
言うならば、魂の不滅と永遠である。
我々に連綿と続いた普遍の価値観の中にこそその永遠はある。
米作りの文化の中に無窮の生命の連鎖があって、
それに立つ民衆生活の中に伝わる美意識こそがその拠所であると信じたい。
我々は千四百年前に造られた法隆寺と21世紀の安藤忠雄の建築に似たような感動を覚える。
それぞれの造形は伝統とは言えず、伝統の一部から出たものであり、
何らかのデコレーションが堕落を生んでいるとも言える。
伝統と言うのは、例えば田舎の器用な百姓や職人が民族本来の造型を
生命の連鎖に従って続けてきたものである。
それはあたり前の仕事であり、止むに止まれぬ仕事であり、楽しく誇らしいものでもある。
昭和20年代に棟方志功が作州に残したわずかの足跡が細々とでも伝わってきたのは、
それが民族の伝統に沿っていたからに他ならない。
棟方の芸術が原始の生命の息吹とか天衣無縫と呼ばれるのはかなり一方的な意見である。
それは最高の文化にたどりついた民の生活がかもし出す繊細さに満ちた感情表現であり、
ある意味で緻密な計算によった高度な洗練を持っている。
しかも生命の永遠な寂寥感をかりたてるほどの魂の力を持つ。
そういうものに感動を覚えるのが伝統の精神による美の判断である。
そしてそれは我々の身にしみ込んだくらしの心である。
芸術は伝統を捨て去ろうとするほど生命を失ってしまう宿命を持つ。
そこへ帰っていかなければならないように我々のくらしも伝統の中にこそ永遠の未来を持ち得るのだろう。
by tatakibori | 2014-02-16 19:55 | アート
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