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直毘塾の精神6

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『生命現象は運命的であつて、「受け取られ」「授けられ」「与えられ」「賜物」であつて、
これが家内的な「与える貰ふ」即ち相互的「分け合ひ」の基である。
祖先から子孫に亘つて生命現象の相互的授受であつて、ここには絶対的(切り離れた)
授者も受者もなく、すべてが相互的「持ちつ持たれつ」の「分け合い」である。
この相互連結から飛離れて(切断して)、その流通の外に立つのが理性の超越行為で、
ここから絶対的「我」が発達することは容易に理解されるであろう。
生命は飽くまでも相互的分け合ひ「(合ひ=愛)」の連結で、
古語では産霊(むすび)ととなへられた。
日本の神典はこの産霊を中軸とする展開を描出してある。
家の体制はここに最も純粋な形で現はれてをる。

生命は持続即ち時間的であつて、「過去」と「奥」と「深」みであり、
理性(意識)は空間的で薄い表面である。

産霊(生命)の国では氏神が産土神となり、又産土神が氏神となり、
氏外のものも氏子となり、更に天ッ神と地ッ神は婚して国ッ神となり、
外(とつ)国人も諸越人も結び合つて国民となつた。(「とつ国」は
古語では畿内以外の民であつたが、今では国内となつてをる)
産霊の原理は決して狭義の民族主義の排他性ではない。

祭政一致の名は曖昧であり、又その概念は非常に誤解され易い。
一時大政翼賛会や祭政一致の名によつて、古い神政教の如きものが出現した。
即ち神道が国家神道となり、政治が神の名によつて極端な専制となつた。
幕府や軍部は「神聖」を翳(かざ)して国民を畏縮せしめた。
西洋にても中世紀の法王制は一種の神政教であつたし、ユダヤが会て強烈な
神政教体制であつた。
これを祭政一致と同じものであるとすると祭政一致は確に専制政治である。
然し祭りの場は政治ではない。政治は人間の作為である。
神祭は兄弟体制のもとで、本来産む世界に属す。政治は歴史であり、神祭は運命である。
兄弟は政治の作為では造られない。政治は内外の関係に対応する一時的な政策である。
これは日進月歩式に変化し進展する。昨日の政治は明日の政治ではない。
兄弟は血の連りを予想する。生れることが先で、造ることは後である。』


松永材の考えは簡単に言うと「家の体制の国は、先祖を祀り、分け合い、
皆が等しく兄弟の気持ちを持つ」という単純で純粋なものです。
直毘塾の精神には書いてありませんが、米国が占領下で日本人の精神を骨抜きにして
今後二度と逆らわないようにするには「家」の意識を壊す事が最も重要であると
考えていたそうです。
他民族より強い団結、同胞意識の根源が「家」なら、それを再生するのが
日本を心豊かな国に育てる為に重要です。
それは戦時下の官主導の「隣組」ではなく、作物を分け合う「向こう三軒両隣」的な
ご近所意識でなければなりません。
現状の地域おこしにおいても、ともすれば官主導の隣組がすぐに出来上がりそうな
怪しい気配も一部に感じます。
それが政治家でなくとも扇動的な実力者によって地域や自治体は簡単に大きく動く事があります。
自然(かんながら)の道がいちばんたいせつです。






by tatakibori | 2016-09-04 11:03 | その他
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