保田與重郎を師と仰ぐ人は数多くいますが
本当の意味でのよき理解者というか弟子と言える人は
高鳥賢司(歌集「相忘」)、ロマノ・ヴルピッタ「不敗の条件」、
谷崎昭男「花のなごり」の3氏を思い浮かべます。
棟方志功には弟子はいません。これはハッキリしています。
父は便宜上保田與重郎と棟方志功に師事したと称していましたが
本来は両師に弟子があるようなものでないと言っていました。
しかし、この木版画を見るとわかるように保田師の歌を棟方流の
「板画」に彫るという事が生業であったのですから
弟子を自称しても憚らないという自負はあったのです。
棟方志功はアトリエに家族でさえ入れることはほとんどなかったそうです。
自分以外には他人でアトリエで直接に仕事のお手伝いをして
技法を習った者はおそらくいないと父は言っていました。
最近、知ったのですが他にも両師の弟子を自称する人がいます。
その方は木版画を製作したわけでもないし、
その著書を読んでも保田師と世界が違うのは明らかです。
それは大上段に振りかざした太刀の下ろしようのないというか、
音楽で言うとサビだけで作った落ち着きのない言葉の羅列に過ぎません。
それを詩歌と言えるかどうかは私には分かりません。
そういう人と同列に見られるなら、今後は父の記録としても
保田・棟方に師事したと言う表現は止めようかと思います。
それはあくまでも便宜上の事だったのですから。
彫刻家という表現も自分にはふさわしくないと常々言ってましたが
より多くの人に分かりやすく職業を理解してもらうためには
それが最善の表現として妥協の自称「彫刻家」だったのです。
生業でもない自称「詩人」と同じになるなら必要のない事です。
「便宜」というのは少しでもお金が入ってきますようにと言う
「願い」でもあったのです。
そういう悲しい現実はすでに遠い過去の物語になってしまいました。