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大伴旅人


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験(しるし)なき物を思(も)はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあらし

令和の典拠は万葉集・大伴旅人卿の「梅花の宴」ですが、ここでは「讃酒歌十三首」の一つを取り上げました。
「験なき物を思はずは」、思ってもかなわぬ欲望の世界にあくせくするよりは、との意。
漢籍仏典に通じる教養人らしく、おおらかで自然な神ながらの世界を歌いあげています。
旅人は晩年に太宰帥として赴任した筑紫での山上憶良たちとの交流の中で多くの名歌を万葉集に残しています。





旅人の讃酒歌を仏教戒律への皮肉や度重なる嫌な出来事による失意のものと解釈される事もあります。
もちろんそう言った側面もあるでしょうが、旅人にとって飲酒は完全無欠な遊びであります。
その「遊び」とは魂を太くし大きくする振舞いであり、神聖な祭そのもののようです。
旅人は西暦665~731年ですから、古事記(712)、万葉集(783年に旅人の子・家持によって最終的に編纂された)の
時代を生き、随から唐の時代の文化を肌で学び、古代の日本文化の成熟に大きな影響を与えた人物だと思います。
「令和」よって旅人が見直されるのはたいへん喜ばしい事です。


# by tatakibori | 2019-06-07 11:03 | 仕事 | Comments(0)

常住寺 三千佛堂

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昨年からブログの更新が滞っていたのは、常住寺 三千佛堂に納める
木端仏の制作という大きな仕事があったからです。
常住寺は岡山市にある天台宗の寺院でかつては岡山藩主池田家の
祈祷所でもあり本堂の建築は総欅で彫刻なども見事なものです。
残念ながら昭和の高僧葉上照澄大阿闍梨を最後に無住となり
荒廃してしまいました。
今は天台宗岡山教区が管理し、宗教を越えた人道援助NGOである
RNNの拠点としても活用されていますが、何とか元の姿に
再興したいと願う近隣の住民、天台宗関係者によって
少しずつ整理されてきています。
そして彼らにより復興プロジェクトの一環として
三千佛堂の建立を祈願されたのです。
私ども昭雲工房としてその願いに応えるため
全力をあげて制作した次第であります。
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今のところ拝観は毎月6日の護摩の時だけですが、
前もって連絡すれば開けていただけます。
連絡先は
常住寺復興プロジェクト委員会
090-3636-3744
岡山市中区門田文化町2-7-19
facebookページもあります。

圧巻の三千佛に包まれた感覚は未知の体験です。
是非ご覧いただきたいと思います。

# by tatakibori | 2019-05-10 10:36 | 仕事 | Comments(0)

お金儲け


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時々ですが、「もっと積極的に・・・」とか「お金儲けをしなさい」とか
「打って出なければ・・」と言われる事があります。
先日、ニュースでソフトバンクが上場すると言ってました。
まだ上場してないのかと思ったら、持株会社のソフトバンクグループでなくて
完全子会社のソフトバンクで、あの携帯電話事業だそうです。
持株会社があるのに子会社が上場・・・???全く理解できない話ですが、
それにより数兆円の資金が調達できるそうです。
孫会長は人に喜んでもらえる事業を目指して一代でここまで上りつめた人です。
私が子供の頃に大人たちが「一億人の日本人から一円づつ集めれば一億円になる、
そんな事業がある種の理想だ。」と言うような話をしていたのを思い出します。
孫正義はそれを具現したのだと思います。
同世代的にはビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスですが、天才発明家と違って
経営者としての才能が高いのが孫正義だと思います。

あれが頂点として、庶民的にお金儲けを真剣に考えたら・・・・。
想像というか、妄想を膨らませてみました。
特別な才能や国家資格など無しにお金儲けをするなら、
言葉は悪いですがある意味での搾取が手っ取り早いです。
資金と人を大勢集めて公的なお金を使った、非営利(的)事業をするのです。
お金集めには新興宗教的な方法もありますが、個人のお金を直接集めるのは
たいへんな手間と苦労がありそうです。
具体的には医療保険、介護保険・・・など国のお金を利用するわけです。
大きく稼ごうとすると悪意や欲望が見え見えになるので、
上前をうすーく上手に取らなければなりません。
ばれないようにするには私生活にも気をつけるべきです。
立派な住宅や高級車などもっての外です。
・・・などと考えていくと、今どこでも多くの人がやっている
介護、福祉事業にきわめて近いのではないかと気がつきました。

結局は人間の営みは崇高な理念や志があるかどうかで
周りの評価が大きく違ってくるのだろうと思います。
周りの人でなくて、自分にとってたいせつなものは
何か・・そういう事でもあります。

私の場合、これから大きく稼ぐような事はありませんが
まだまだ仕事を続けたいと思っています。
できるだけ「誠意」のある仕事をしたいと思います。

明日は私の62歳の誕生日です。
そんな事を考えました。

# by tatakibori | 2018-11-18 09:17 | その他 | Comments(0)

次のクルマはどうしようか

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ずっと以前(10年以上前)にゴルフⅡと並べて写真を撮って比べた事があります。
時は流れ、15年を経過したサクシードの隣はオシャレなゴルフⅥのワゴンです。
車体の幅は10cm以上違いますが、ウインドシールドの上端の幅はサクシードが広いです。
屋根の長さも、おそらく20cmくらい差があります。
タイヤのサイズに至っては205/55-16と165-13 6PRと雰囲気が全然違います。
国産よりやや大きめにとったフロントのネガティブキャンバーと
ドイツ車特有の固いバネで低速からしっかりしたステアリングの手応えで
安心感があるそうです。
荷室を覗き込んで見ると、印象としてはサクシードの半分くらいは積めそうな広さです。
快適さと安全を求めるならゴルフ・ヴァリアントも選択肢の一つですが、
荷物と維持費が最優先ならスズキ・エブリイが良いかなとも思います。

サクシードは最近、ドライブレコーダーを取り付け、
スピーカーのユニットをアルテックに変更して、
安全性と音質の改善を行いました。
あと少しで20万km、いつまで乗れるか不安な部分もあります。
新型にMTが無いので同型車への買い替えのつもりはないです。

クルマ好きのおっさんとしては、こんな事を考えている時間が幸せですね。



# by tatakibori | 2018-11-03 20:29 | 日々の生活 | Comments(6)

版画用ブラシ

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チビた木版画の刷毛です。
毛足は3mmくらい。
新品を計ってみると12mmなので
9mm減った事になります。
毛筆も毛がチビてきますが、
それよりも管理の不手際で毛の元に
墨が残って固まり毛先が割れて
使えなくなるほうが多いのが残念です。
万年筆の先を壊して使えなくなる事は
ほとんどありませんが、
毛のものは消耗品に近い感覚があります。
手紙用の筆は3年使えばまあまあだと思うので
万年筆に比べると贅沢な筆記具かもしれません。




# by tatakibori | 2018-08-21 10:14 | 仕事 | Comments(0)

老成

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作品に年齢相応の鍛錬の成果や円熟味、さらに枯れ具合などが表れてくれば
年を重ねた充実があるというものです。
私は初期の作品を見て反省する事がありますが、中には強い意志や夢と
制作にかけた時間を感じさせるものもあります。
また今の若い世代の作品には私が捨てたのか失ったのかは分かりませんが
何かがある場合があります。
それは誠実さとか内からあふれる力強さのようなものです。
人間の肉体的な充実期は20歳くらいからの数年だと思います。
精神の充実は個人の努力の成果もあるので個人差もあるし、
職業や環境によっては成長し続ける可能性もあります。
今年は私も肩や腰が痛かったり、熱中症気味になったり
老いを感じるようになりました。
老成を目指すには気を抜かずに精進を続けなければ
ならないと猛暑の日々の中で思いました。

# by tatakibori | 2018-08-16 17:13 | その他 | Comments(0)

若い人は知らない

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今の若い人はパール・バック「大地」とシェイクピア「ヴェニスの商人」は読んだ事がないようです。
パール・バックはノーベル賞作家です。代表作「大地」は19世紀末の中国を舞台にした壮大な物語で、
たいへん読み応えのある小説です。
一説には中国では翻訳、出版が禁止されているという噂もあります。
ヴェニスの商人は小学校の国語の教科書に載っていたので年配の方には常識的な名作です。
たぶん登場人物の高利貸しが特定の民族を侮辱するような設定なのが問題かと考えられます。
歴史の中に葬り去られた事柄はこうやって多くあるのだろうと思います。

津山市院庄に作楽神社という旧跡があります。
南北朝時代に後醍醐天皇が隠岐の島に流される時に
児島高徳が桜の幹を削って十字の詞を刻み励ましたという伝説の地で、
戦前は教科書に載っていたお話でした。
戦中派が元気だった頃は観光名所として賑わいましたが、
時とともに忘れ去られて、今は閑散としています。
観光資源としての復活を期待されていますが、
その伝説を語り継ぐ努力が求められています。
ただし、
保田與重郎著「現代畸人伝」のおしまいの方に
「美作の歴史では後醍醐天皇隠岐行幸の史蹟が第一の自慢で、
六百年もきのふの如く身近に語りつたへた人々は、・・・」
と書いてありますが、誤解を生むような語り部は困ったものです。
名著の輝きが、そのあたりが少しだけかすんでしまいます。
斎原生まれのY氏の悪戯に違いないです。

# by tatakibori | 2018-05-13 13:18 | 読書 | Comments(0)

門前の小僧

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自主協同学習が先鋭的な教育だとしたら伝統的な方法とは何だろうと思いました。
「門前の小僧習わぬ経を読み」と言いますが、単純に意味が分からなくても
繰り返し聞いていれば覚えてしまい、そのうち書面に触れて文字や意味を知る
ようになるのも教育の大事な方法です。
私の場合には、父が版画やレリーフに万葉集などの文字を刻んでいたので
最初は視覚的に形としての文字を覚え、父の言葉で読みを知り、
販売のために意味を本で知るようになりました。
かなり生活に密着したものとしての古典文学だったのです。
「よく知ってますね」と言われるようになって「門前の小僧です」と照れ笑いで応えてました。
高校時代に古典は全くダメだった私が長い時間をかけて万葉集や芭蕉を勉強したのです。
最もたいせつなものは芭蕉であり、万葉集であると信じて、そこから範囲を広げずに
ほんの少しを繰り返し読み続けました。
古典落語が好きな人が、百人一首のかるたは「ちはやふる」と「せをはやみ」だけは
自分が取ると決めているようなものです。
ほんの一握りの拙い学習が繰り返される事により少しづつ広がりを持ち、
やがて心豊かな世界を見せてくれるようになる瞬間があります。

江戸時代には論語など難しい文章を「素読」して学んでいました。

   そどく【素読】

   古典の原文を幾度となく繰り返して読み,
   それを書物を用いないで誤りなく言うことができるようになる学習法の一つ。
   日本でこの方法がひろく行われて学習の初歩として普及したのは江戸時代においてである。

今でも「読み聞かせ」という幼児教育の基本があります。
教育も人と人が相対して行う行為でありパソコンの画面に
向かって学ぶだけでは限界があります。
著名な学者の著書を読むのも大事ですが、
その講義や講演を聴く事にはもっと大きな意味や感動があると思います。




# by tatakibori | 2018-05-04 19:41 | その他 | Comments(0)

自主協同学習

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私の育つた勝田郡勝央町勝間田には勝間田小学校、勝央中学校がありました。
小学校に入ったのが昭和38年(1963)、中学は昭和44~47年(1969~72)になります。
小学校の高学年から自主協同学習という授業が始まり、中学はほとんど全部が
その方式で行われていました。
勝央中学校は町長の情熱と教員組合の活発な活動の相乗効果で、
当時の最先端の試みが数多くありました。
冷暖房完備の教室、体育館、ランチルームで食べる米飯給食、
校内放送用のテレビスタジオなど今から思えばやり過ぎの豪華さでした。
自主協同学習について調べてみると、岡山大学の高旗正人による
1965年から10年間の勝央町だけの実験だったようです。
教室では生徒の机を4~5人単位の班にして向かい合わせ、
教師の方を向かない形をとります。
内容はだいたい今でいうアクティブラーニングと同じようなものです。

この手の方法は大正時代にドルトンプランとして実験的に行われたのが
最初のようです。
谷崎昭男著「保田與重郎」によると大正10年頃の桜井尋常小学校で保田が
自学自習という新しい自由な教育を受けた事が記されています。
大正デモクラシーの時代と町の自由で教育熱心な風土により
優秀な教師が集められて成果を上げたようです。
それは桜井の町の伝統的な性質を自慢した文章で、
保田にとってそれがどれほどの意味を持つのか、
私は少し疑問に思う点があります。
私の頃の自主協同学習は、寡黙で一人で本を読むのが好きな秀才には
向いていなかったのです。
通知表に、分かっているのに発言しない、協調性がないなどと
書かれた優等生は多かったのです。
私は逆にややでしゃばりな性格でディベートなども好きなので
この方式の授業は(英語以外は、)楽しんでいました。
問題は5年間もそれにどっぷり染まると、高校へ進んでからの
普通の授業に馴染むまでに苦労した事です。
教師の言葉で叩き込み、反復して覚えるしかない英語や古典、歴史の
授業などは苦痛で大学に入ってやっとすんなり講義を聴けるようになったほどです。
そういった経験のないほとんどの人にとってアクティブラーニングなど
新しい(?)教育は夢や希望があるように語る向きがありますが、
私は懐疑的に思っているのです。


# by tatakibori | 2018-05-02 18:05 | その他 | Comments(0)

野の人

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30年ほど前、私が30を過ぎたばかりの頃にある老作家二人から
「芸術家は野の人でなければならない」と聞きました。
それから「野の人」とは何だろうと考え続けてきました。
お二人は明治34年生まれの私の祖父と同い年で、
wikiによると、ともに東京帝国大学で、文学部と法学部卒、
学生時代には共産党やプロレタリア文学にも関わるが
その後転向するなど後に日本浪漫派に加わり、
父との接点があったようです。
大正末期に生まれた父と、明治生まれの作家には
どこか世代の差があり「野の人」という言葉の解釈が
漠然として三人の会話にはよく分からない部分がありました。

「在野」は政治なら野党、学者なら大学に属さず民間の研究者、
法律家なら弁護士、それからフリージャーナリストなどを指します。
体制や権力に属さない「野の人」です。
しかし野党とは言え政治家は政党を作り発言力を高めて
大きな権力を作る人なのだろうと思います。
マスコミは権力を批判し世を正す使命があるように思えますが、
マスコミそのものが大きな権力であると言う
矛盾を抱えているようにも思えます。
著名な芸術家のほとんどは権力に寄りすがって大きな
仕事を成して、名声と富を手にします。
そういう意味では「野の人」であるのは簡単ですが、
生活していくのは難しくなります。
建築家のように富の集まる所にしか仕事がないような職業もあります。
演劇のように反体制を是とする世界もあります。
政治的な左派が「野の人」であるとは、私には思えません。
芸術家が政治的な発言を繰り返すほどその作品が
浅いものに見えるからです。

真の「野の人」とはどういうものなのか、
それを考える事がこれからの仕事の芯になるような気がします。



# by tatakibori | 2018-04-24 08:43 | その他 | Comments(0)