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門前の小僧

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自主協同学習が先鋭的な教育だとしたら伝統的な方法とは何だろうと思いました。
「門前の小僧習わぬ経を読み」と言いますが、単純に意味が分からなくても
繰り返し聞いていれば覚えてしまい、そのうち書面に触れて文字や意味を知る
ようになるのも教育の大事な方法です。
私の場合には、父が版画やレリーフに万葉集などの文字を刻んでいたので
最初は視覚的に形としての文字を覚え、父の言葉で読みを知り、
販売のために意味を本で知るようになりました。
かなり生活に密着したものとしての古典文学だったのです。
「よく知ってますね」と言われるようになって「門前の小僧です」と照れ笑いで応えてました。
高校時代に古典は全くダメだった私が長い時間をかけて万葉集や芭蕉を勉強したのです。
最もたいせつなものは芭蕉であり、万葉集であると信じて、そこから範囲を広げずに
ほんの少しを繰り返し読み続けました。
古典落語が好きな人が、百人一首のかるたは「ちはやふる」と「せをはやみ」だけは
自分が取ると決めているようなものです。
ほんの一握りの拙い学習が繰り返される事により少しづつ広がりを持ち、
やがて心豊かな世界を見せてくれるようになる瞬間があります。

江戸時代には論語など難しい文章を「素読」して学んでいました。

   そどく【素読】

   古典の原文を幾度となく繰り返して読み,
   それを書物を用いないで誤りなく言うことができるようになる学習法の一つ。
   日本でこの方法がひろく行われて学習の初歩として普及したのは江戸時代においてである。

今でも「読み聞かせ」という幼児教育の基本があります。
教育も人と人が相対して行う行為でありパソコンの画面に
向かって学ぶだけでは限界があります。
著名な学者の著書を読むのも大事ですが、
その講義や講演を聴く事にはもっと大きな意味や感動があると思います。




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by tatakibori | 2018-05-04 19:41 | その他 | Comments(0)

自主協同学習

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私の育つた勝田郡勝央町勝間田には勝間田小学校、勝央中学校がありました。
小学校に入ったのが昭和38年(1963)、中学は昭和44~47年(1969~72)になります。
小学校の高学年から自主協同学習という授業が始まり、中学はほとんど全部が
その方式で行われていました。
勝央中学校は町長の情熱と教員組合の活発な活動の相乗効果で、
当時の最先端の試みが数多くありました。
冷暖房完備の教室、体育館、ランチルームで食べる米飯給食、
校内放送用のテレビスタジオなど今から思えばやり過ぎの豪華さでした。
自主協同学習について調べてみると、岡山大学の高旗正人による
1965年から10年間の勝央町だけの実験だったようです。
教室では生徒の机を4~5人単位の班にして向かい合わせ、
教師の方を向かない形をとります。
内容はだいたい今でいうアクティブラーニングと同じようなものです。

この手の方法は大正時代にドルトンプランとして実験的に行われたのが
最初のようです。
谷崎昭男著「保田與重郎」によると大正10年頃の桜井尋常小学校で保田が
自学自習という新しい自由な教育を受けた事が記されています。
大正デモクラシーの時代と町の自由で教育熱心な風土により
優秀な教師が集められて成果を上げたようです。
それは桜井の町の伝統的な性質を自慢した文章で、
保田にとってそれがどれほどの意味を持つのか、
私は少し疑問に思う点があります。
私の頃の自主協同学習は、寡黙で一人で本を読むのが好きな秀才には
向いていなかったのです。
通知表に、分かっているのに発言しない、協調性がないなどと
書かれた優等生は多かったのです。
私は逆にややでしゃばりな性格でディベートなども好きなので
この方式の授業は(英語以外は、)楽しんでいました。
問題は5年間もそれにどっぷり染まると、高校へ進んでからの
普通の授業に馴染むまでに苦労した事です。
教師の言葉で叩き込み、反復して覚えるしかない英語や古典、歴史の
授業などは苦痛で大学に入ってやっとすんなり講義を聴けるようになったほどです。
そういった経験のないほとんどの人にとってアクティブラーニングなど
新しい(?)教育は夢や希望があるように語る向きがありますが、
私は懐疑的に思っているのです。


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by tatakibori | 2018-05-02 18:05 | その他 | Comments(0)

野の人

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30年ほど前、私が30を過ぎたばかりの頃にある老作家二人から
「芸術家は野の人でなければならない」と聞きました。
それから「野の人」とは何だろうと考え続けてきました。
お二人は明治34年生まれの私の祖父と同い年で、
wikiによると、ともに東京帝国大学で、文学部と法学部卒、
学生時代には共産党やプロレタリア文学にも関わるが
その後転向するなど後に日本浪漫派に加わり、
父との接点があったようです。
大正末期に生まれた父と、明治生まれの作家には
どこか世代の差があり「野の人」という言葉の解釈が
漠然として三人の会話にはよく分からない部分がありました。

「在野」は政治なら野党、学者なら大学に属さず民間の研究者、
法律家なら弁護士、それからフリージャーナリストなどを指します。
体制や権力に属さない「野の人」です。
しかし野党とは言え政治家は政党を作り発言力を高めて
大きな権力を作る人なのだろうと思います。
マスコミは権力を批判し世を正す使命があるように思えますが、
マスコミそのものが大きな権力であると言う
矛盾を抱えているようにも思えます。
著名な芸術家のほとんどは権力に寄りすがって大きな
仕事を成して、名声と富を手にします。
そういう意味では「野の人」であるのは簡単ですが、
生活していくのは難しくなります。
建築家のように富の集まる所にしか仕事がないような職業もあります。
演劇のように反体制を是とする世界もあります。
政治的な左派が「野の人」であるとは、私には思えません。
芸術家が政治的な発言を繰り返すほどその作品が
浅いものに見えるからです。

真の「野の人」とはどういうものなのか、
それを考える事がこれからの仕事の芯になるような気がします。



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by tatakibori | 2018-04-24 08:43 | その他 | Comments(0)

見聞を広める

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wikiによると
ボブ・ディランは
「現行の音楽をすべて忘れて、ジョン・キーツメルヴィルを読んだり、
ウディ・ガスリーロバート・ジョンソンを聴くべし」と後進のアーティストに提言している。
またエンツォ・フェラーリは
1956年の息子ディーノの死後めったに公の場に現われなくなり、本拠地モデナを離れることもなかった。
極めつけの熊谷守一は
「約30年間 家から出ていない」などの言葉を残している。

それとは逆の松尾芭蕉のように旅にあこがれ、旅をすみかにした人もいます。
この旅は何かの目的があっての旅と言うより旅をする事そのものが
目的のように思えます。
フーテンの寅さんは渡世人を自称し家を持たず旅に明け暮れる生活が基本です。
その旅は露天商の旅ですから、基本的にお金を稼ぎながら危なっかしい日々を
送る厳しい生活でもあります。
円空や木喰も旅の人生だったようです。
それは聖(ひじり)と呼ばれる乞食僧の生活です。
これらの場合は旅をする事が神聖でストイックな行為だったのです。

今、世は見聞を広めるための旅行が大流行のように思えます。
代表的なのが地方議員さんの視察旅行です。
どこか「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的に見えるのが残念ですが、
これらの経費による経済効果が大きいとなると一概に無意味とは言えません。


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by tatakibori | 2017-12-12 21:13 | その他 | Comments(0)

後世に残すと言う事

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松尾芭蕉の俳諧と言えば小学校の教科書にも載っている日本人としての
基礎的な教養の一つです。
芭蕉の生涯は1644~1694年で50歳で亡くなっています。
芭蕉の没後38年の1732年に蝶夢が生まれています。
蝶夢が芭蕉の研究をして、その遺作を3冊の本にして出版しました。
これが後世に残る芭蕉の偉業を日本の文化として確立させたのです。
じつは、大きなブームとなり一世を風靡した芭蕉の俳諧も
その没後にはだんだん廃れていったのでした。
蝶夢は30年かけて芭蕉の墓所である義仲寺を再興し、
1793年に芭蕉100回忌を成し遂げました。
今の義仲寺は昭和になってまた荒れはてたものを
1965年に保田與重郎(1910~1981)らによって再興したものです。
芭蕉に関する書物や研究者は多くありますが、蝶夢の研究に力を
注いだのが佐賀大名誉教授の田中道雄(1932~)です。
私は40年くらい義仲寺に集まる諸先生方にお会いしてきましたが、
田中先生は純真に蕉門の俳人をほんとうに熱く語ります。
そこに血の通った人物像を語りたい、と言うような話をされます。
古い手紙などからその人柄や信念を感じ取り、人物を語ります。
お話を聞いていると、
世の中に当たり前にあるものが、じつは志を持つ少数の人によって
ようやく守り続けてこられた事を目の当たりにするのです。
そういうたいせつな事は世の中にたくさんあるから、
それぞれの人の持ち場でたいせつなものを後に続くように
しなければならないと知るのです。
田中道雄先生ほどありがたいお話をされる人は滅多にいません。





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by tatakibori | 2017-11-28 21:25 | その他 | Comments(2)

劇作家

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私の住む町では著名な劇作家を招いて町の未来について仕事を依頼しています。
地域おこしと劇作家と言えば「北の国から」の倉本聰が先ず思い出されます。
富良野に住んで、大金を投じて東京から大勢のスタッフや役者を呼んで
作ったドラマは後世に語り継がれる傑作だと思います。
主人公の価値観、人生観は純粋で美しく厳しい現実との対比で
人生の素晴らしさや希望を観る者に与えてくれました。
さらに富良野が倉本から授かった恩恵は金銭だけでなく目に見えない
ものも含めて大きなものがあったと思われます。
私の住む町でも、そんなまるで映画の中のような奇跡が
その劇作家によって少しでも起こったら幸せかもしれません。

立場が全然違う?

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by tatakibori | 2017-03-29 19:39 | その他 | Comments(0)

同心円の核

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日曜日の早朝にNHKである作家(元ジャーナリスト)の講演と談話をやっていました。
報道されない真実があり、それは醜くて悲惨なものだったりするというような話でした。
たいへん下品で強烈な表現に衝撃を受けました。
すべての問題は同心円にあり、その核にはある事件を描いた小説があるそうです。
それはネット上の青空文庫で立ち読みできるので、ざっと読んでみました。
ノンフィクションでしょうが、強い誇張の表現で埋め尽くされており、
予備知識なしにこれに入ると気分を害するものです。
それについてはいずれ感想を書いてみたいと思っております。

自分にとって同心円として仕事に対する思いがあるとすれば、
その核には何があるのだろうと考えました。
以前は「神の存在」だった事もあります。
人と人が接する時に、その立ち振る舞いの中に神があるのでは
ないだろうかと考えました。
最近はもう少し単純に、ごはんを食べる時に家族そろって
手を合わせて「いただきます」と声を出すような事が
私の仕事の持つ意味のすべてのベクトルが向かう核に
あるように思えます。

サウンドオブミュージックは最も優れて美しい映画だと思います。
食事のシーンで何もしないでいきなり大佐が食べようとすると、
マリアが「お祈りはしないの」とたしなめます。
愛と平和、反戦など大きなテーマがありますが、
このシーンは説得力のあるものだと思いました。

子供の頃は家族そろって、父が声をかけて「いただきます」と
やっていました。
色々と苦しかった時期に、父に対する反発からその習慣を
壊すことを実行しました。
一番大切なものを父から奪うという制裁を行ったのです。
たいへんつらい事でした。
父が死んで長い時間が過ぎました。
最近はできるだけ家族そろって「いただきます」と
手を合わせるように努力しています。

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by tatakibori | 2017-03-13 21:07 | その他 | Comments(0)

棟方志功が「先醒」と呼んだ祖父

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今、岡山県井原市で『棟方志功ー平櫛田中を「先醒」と呼んだ、版画家』と題した
棟方志功の展覧会が開かれています。
わたしの祖父・山田昭雲(本名・哲)に贈られた棟方志功の本にこのような文字があります。
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「先醒」は「せんせい」と読むようです。
敬称としては調べても分からないので棟方志功の造語だと思われます。
祖父は棟方志功より2つ年長だったので先輩というような意味だと思ってました。
今回の井原のイベントでは「先醒」にこだわっているようなので、
「先に大いなるものに目ざめた」と言うような意味があるのかもしれません。
祖父は昭雲叩き彫を考案してその子孫をこの道に導いたので、
その部分では我が家の始祖です。
棟方志功は私の父に平櫛田中の作品の写真を見せて
「本当の木彫刻とはこういうものである。」と言ったそうです。
文化勲章を目指す棟方志功にとっては文学とは谷崎潤一郎であり、
木彫は平櫛田中こそ本物だったのです。
人生に大きな目標を持ち、それを成し遂げた偉大な芸術家は幸せです。
「目標の無い」創作を3代を超えて続けてしまった我が家の
ほんとうの目標は何であったのか、何であるべきなのか・・・そう思う事があります。
おそらく、こうやって単純な仕事を続ける事だったのでしょう。
そういう目標ならゴールが見えなくても仕方がないのは当然です。
明日も明後日も、来年も木を刻んでいると思います。
私が死んだ後も誰かが続けていてくれたら、それは「ほんもの」になるでしょう。


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by tatakibori | 2016-10-09 20:11 | その他 | Comments(0)

六十の手習い2

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六十の手習いというか今時の中高年の趣味ですが、どんな事を友人達がやっているのでしょうか。
多いのは音楽です。フォーク、ロック、ジャズのバンドや歌、合唱団などを楽しんでいます。
コンサート鑑賞はクラシックが多いような気がします。
自転車(ロードバイク)やマラソンも流行りです。
カメラやオーディオは意外に少ないと思います。
古めの輸入車を愛でるスリリングな趣味は年齢層を問わないように思えます。
釣りやゴルフは基本形のひとつですね。
備前焼の陶芸教室も盛況で、書や絵画を楽しむ人も多くあります。
俳句とか短歌は素養が問われるのでハードルが高いかもしれません。

今まで何も趣味が無かったという方に私からのお薦めは木版画と絵手紙です。
絵手紙は「下手でいい、下手がいい」と言われて気取らないのが良いです。
無心になって筆を持つのは意外に面白いものです。
尻込みすることは何もありません。字は誰にでも書けるものです。
もともと「六十の手習い」とは年をとってから字を習う事なのです。
年をとってからのほうが楽しいのです。
書いて人に見てもらうには手紙にして出すのが一番簡単です。
筆で書いたハガキが届けば友人達は喜ぶに決まっています。
それに付随する勉強は広く深く、楽しみは無限に広がります。
絵手紙に木版画は、まさに鬼に金棒で最強の組み合わせです。
ささやかではありますが、ある種の最高の贅沢なものがそこにあります。

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by tatakibori | 2016-09-14 17:33 | その他 | Comments(0)

六十の手習い

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「退職したら木で仏さまを彫ってみたい」という夢を持っている方が意外に多くあります。
木版画教室だけでなく仏さまの木彫教室はしないのですか?と尋ねられる事もあります。
木版画教室は手ぶらで参加できるようにすべての道具と材料、それにお手本も用意してあります。
叩き彫の木彫教室を開くなら、彫刻用木材とノミに金づち、彫刻刀などが必要です。
木版画用の彫刻刀は子供用のもので充分に使えます。版木は昭雲工房特製の合板張り合わせでコストを抑えています。
しかし、木彫となると素材や道具の単価が別次元のものになります。
それを承知していただく事と木彫の教則本を読んだ事があるか確認しています。
たいていの場合は未経験者の方は予備知識がまったく無く戸惑いの表情で帰られます。
独学で木彫を試みている人には、作品を拝見してその方に合った助言を差し上げるように努めています。
大人の男性の趣味となると、レベルの高いものを提供したいと考えるからです。
ゴルフ、釣り、カメラ、バンドなど色々な趣味がありますが、それぞれに高価な道具や「スキル」が必要になってきます。
木版画ならちょっとだけ体験という方法もありますが、木彫でそれを提供するとなると
開催するだけでも高価な道具や材料を用意しなければなりません。
比較的安価で上手く木彫教室を開催されている方もありますが、
それなりの経験を重ねてこられたベテランや高度な専門教育を受けられた講師のようです。
六十を過ぎてから円空仏の制作に専念して、個展や教室を開くまで発展させた方も多くあります。
木彫には強い情熱と根気が必要だと思います。
夢はたいせつですが、六十になって実行するには、それまでに情報を集め、本を読み、
予備知識を積むのが第一歩だと思います。
当工房へ訪ねてお出でになる前に何をどうしたいか考える事をお勧めします。
それなりの準備がなければ、「やりたい事があるんだ」という話をするのが「やりたい事」になってしまいます。

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by tatakibori | 2016-09-13 20:07 | その他 | Comments(0)