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カテゴリ:仕事( 222 )

コノハナサクヤヒメ

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これは03年制作の「コノハナサクヤヒメ」(杉材)です。
ついでながら、前回投稿の写真は「アメノウズメノミコト」(コナラ材、04年作)です。
コノハナサクヤヒメは日本神話の中で最も美しいとされる女神です。
天孫降臨のニニギノミコトが国つ神のオオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメと結婚するお話があります。
姉のイワナガヒメが美しくなかったので断り、妹を選んだという物語です。
コノハナサクヤヒメは富士山の神さまでもあり、富士山頂や富士がよく見える場所には
浅間神社という名の神社があり、その主祭神はコノハナサクヤヒメです。
大阪市の此花区という最後に出来た区の名もこれに由来するものです。

津山市には黒姫伝説という仁徳天皇に愛された絶世の美女の神話があります。
私の住む奈義町は那岐山の名であり、那岐がイザナギノミコトの事です。
那岐神社もありますが、対になるイザナミノミコトの那美神社もあります。
安直ですが「いざ、奈義」と語呂合わせのキャッチフレーズも良いかもしれません。

政教分離と神経質な時代もあったようですが、ここらで考えを柔らかくして
日本神話も宗教と見るよりは観光資源の伝説としてPRの材料にするのが
賢明だと思います。
今朝の山陽新聞に岡山県の出した広告に「この花咲くや」とあったのを読んで、
関連や必然性のない言葉を並べるよりは後からは作れない歴史や伝統に
根ざした地域性を見直すのがたいせつだと考えました。

久しぶりにイザナギ、イザナミ像を彫らなければと思うのでした。

by tatakibori | 2016-03-18 20:54 | 仕事 | Comments(0)

ヒツジ

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来年の干支は「未」です。
年賀状用の木版画のヒツジは意外に難しくて、
絵を探しても参考になるような面白いものがありません。
棟方志功の木版画にも、絵にも全く無いようです。
手元にある干支に関する資料でも何故か羊は少ないのです。

昨日、運良くほんものの羊に出会いました。
どのような絵にするかは、頭でなくて手で考えます。
何となく描いていればだんだんそれらしいものが出来てきます。
絵の神さまは簡単にひらめきを与えてくれませんが、
手は考えなくても筆を動かします。
先祖からの仕事の手が今を生きる私を助けてくれるようです。
いや、「仕事をしろ。」と言っているのでしょう。

こんな木版画の年賀状になりました。
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by tatakibori | 2014-11-23 20:44 | 仕事 | Comments(0)

此秋は何で年よる雲に鳥

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芭蕉の最期には、この句の前に
「此道や行人なしに秋の暮れ」があり
後に
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」があります。

似たようなテーマの句ですが
「此秋は・・」は死を予感した心情があり
「此道や・・」は一生を振り返った孤独と覚悟があります。
辞世とされる「旅に病んで・・・」にはすでに風雅を思い続ける希望が見えてきます。

解説本には「雲に鳥」の出典として陶淵明や杜甫の詩句のようだと
書かれていますが特定はされていません。
この古い日本の死生観がどこから来たのか大いに興味があるところです。
by tatakibori | 2014-10-25 19:50 | 仕事 | Comments(0)

クラフトデイズ2014秋

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美作の美術工芸作家集団のイベント「クラフトデイズ」は
この秋、コンパクトなイベント「クラフトデイズ2014秋」を
開催します。
11月1、2、3日の連休、イオンモール津山(中国道津山I.C.すぐ)の
2階にあるイベントスペース{イオンホール}を主会場にして
その周辺も使い、8組の作家が展示とワークショップを行います。

従来は自治体の管理する公共の施設を使ってきましたが、
今回は最大の小売業であるイオンの施設を使うのが新しい試みです。
作家活動の可能性を広げる意味では大きな展開であると言えます。


クラフトデイズ宣言の結びにこう書きました。
技術を継承し、生活の糧を得るため作品を売るという避けられない現実もある。
そういう小さな経済の循環の為にもよき理解者と価値観を共有し語り合える仲間が必要である。
クラフトデイズは美作の地にその場を作るためにある。

少しでも良い出会いの場にしたいと願っております。
by tatakibori | 2014-09-25 11:20 | 仕事 | Comments(0)

叩き彫

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昭和20年代の祖父の作品です。
この作風で「叩き彫」と名付けられました。
祖父は円空には興味を持っていなかったようで、
写真集や雑誌など見ていませんでした。
昭和になって円空を見直したのは柳宋悦ですから、
民芸運動に近かった人達がよく知っていたのは
間違いありません。
円空を模したものではないのが祖父の特徴です。
私は幼い時に祖父の彫る姿や、作品を身近に感じて
これが途絶えるのはもったいないと思いました。
しばらくは叔父が後継者として仏像を彫っていました。
私は叔父とバトンタッチしたようなものです。
円空の写真集は子供の頃から見ていましたが、
祖父の豊かさ、バランス感覚はなかなか良いと
信じて育ちました。
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今日の私の新作です。
鉈彫りと呼ばれる大胆な表現は平安時代にはすでに登場して
仏像彫刻にまた違った芸術性を加えています。
円空にも先人があったのです。
もっとさかのぼれば、ホモサピエンスが石器や鉄器を
使い始めてすぐに木彫はあっただろうと思われます。
日本は森林がとても豊かだったから身近な素材の
一番は木材だったはずです。
しかし、残念ながら湿度の高い日本では
木彫は腐り、保存されなかったのだろうと思うのです。
私の木彫のルーツは祖父の叩き彫であり、
さらにたどれば原始の人々が木を刻んでいた
文化にたどりつくだろうと自分では思っています。
by tatakibori | 2014-09-18 12:34 | 仕事 | Comments(0)

似合いませんが・・・

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高校生の頃から、もう40年もやっている消しゴムスタンプです。
最初はカッターナイフで彫ってました。
老眼で目が見えなくなり細かな彫りは出来ないので、
大胆に版画用の三角刀で彫ります。
小さな模様のハンコを組み合わせて押すと
きれいなポストカードにもなります。
カラースタンプ台も色数が増え、値段が下がり
手軽に楽しめるようになりました。
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木版画教室も盛況ですが、
イベントでやる場合には時間的に
無理になる場合もあるので、
消しゴムスタンプのワークショップも計画中です。
小学3年生以下のお子様向けには
押して絵を作るスタンプ画のワークショップも検討中です。

木版画の楽しさを手軽に理解していただくのが
目的でもあります。

若い頃は「若造がほとけさんを彫っても説得力がない」と
さんざん言われました。
この年になってファンシーなワークショップは似合いませんが、
入門のハードルを如何にして下げていくかが問題です。
by tatakibori | 2014-09-08 09:01 | 仕事 | Comments(0)

静かな個展

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どこか新しい場所で個展をやってみたいのです。
静かな所が良いです。
古民家ギャラリーが流行りですが、そういう場所も好きです。
湿度も高めの方が作品に優しいのです。

先日、屋外のイベントに参加したところ、
西陽が当たり乾いた風が吹き作品がたくさんヒビ割れてしまいました。
ギリギリ一杯まで待って片付けようとしたら、
そういう時に限って、「早く片付けたら困る」という苦情が出ました。
私にとってはたった20分ですが、その方にとっては
許せないという感情が強かったようです。
もう屋外のイベントには参加しない事にします。

加齢とともに耳の調子がよくありません。
残響が長い空間にいるととても疲れます。
不快な残響音でも我慢できる若さはもう取り戻せません。
床がカーペットの百貨店の画廊は静かですが、
アートスペースの多くは白い箱で床は固くて
残響が長くて不快です。
残響の長い教会のような音楽や講演のためのホールが
たくさんあります。
音響設計という概念がはじめから無い建物が多いのです。
とくに打放しコンクリートのオシャレな雰囲気の建物は全部ダメです。
対象年齢が高い私の仕事なら静かさは必須だと思います。
同じ様に湿度が低い場所は向いていません。

10数年前に京都鹿ケ谷の法然院という名刹の講堂を借りて
父と二人展を開いた事があります。
静かで湿った不思議な空間でした。
あそこの問題は外国人が多くて言葉が通じないのには弱りました。
日常会話とは違うレベルの語彙が必要です。

歳とともに個展の形態も変えていきたいのです。
by tatakibori | 2014-06-05 18:54 | 仕事 | Comments(0)

クラフトデイズの将来

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美作の工芸作家展として昨年春にスタートしたクラフトデイズは、
イベントでありグループでもあるぼんやりした定義の活動です。
昨秋の初イベントは津山文化センター展示ホールで、
2回目のイベントはクラフトデイズワークショップフェアとして
奈義町現代美術館前エリアで開催しました。
どちらも会場費を抑える為に、初回は津山文化振興財団、
次は奈義町との共催という形をとりました。
2回やっての反省点として自治体やそれに準じる組織との
連携は私達作家集団にとって難しい面がある事です。
物事に対する取り組み方や言葉の使い方そのものに
大きなズレがある場合が出てくるのです。

反省点を踏まえて今後の展開を思案中です。
私たちは何が目的だったのかあらためて考えています。
先ず、
クラフトデイズ宣言
工芸の仕事に携わる者は得てして寡黙である。
言葉で伝えるより仕事で伝えたいという願いがあるからだ。
そうやって手仕事を重ねて作り上げた手のぬくもりを持つ物は自然の摂理に適い、
生命の循環の一部を成す安心感に包まれている。
尊い仕事を継承するのは大きな喜びと引き換えの苦しさもそれなりにある。
夢を持ち続ける事は容易ではないが、
環境がそれを奪う事が出来ないのもこの分野の特徴である。
資金や組織がなくても手と情熱があれば物作りは何処でも可能である。
むしろ厳しい環境下でこそ作品が輝きを持つとも言える。
技術を継承し、生活の糧を得るため作品を売るという避けられない現実もある。
そういう小さな経済の循環の為にもよき理解者と価値観を共有し語り合える仲間が必要である。
クラフトデイズは美作の地にその場を作るためにある。
(2013.11.18)


もともと若い作家が食べていく土壌を作るのが一番の目的でした。
その次は地域に暮らす人々と関わることによって
若い世代にこの地域での未来に少しでも希望を作ることです。
疎外感とジェラシーのないあたたかい心のふれあいが
美術工芸を通して出来るのではないかと考えたのです。
作家同志の交流によってベースになる世界を作り、
そこにファンを交えて言葉では伝わらない気持ちを感じあうのです。
そういう人と人の心のふれあいこそが私達の目的でした。

既存のイベント形式で行うと色々な煩わしい事柄があります。
目的を充分に理解しない関係者も発生してくる場合があります。
もっとシンプルに作家とファンの気持ちの交流ができないでしょうか。
ファンは普通の人であり、むしろ遊び慣れてない真面目な人が多いようです。
行動力や好奇心が旺盛な人なら作家の工房を訪ねて
自分で道を開きますが、普通の人は何かイベントでもないと
なかなか近づけない雰囲気はあります。
イベント形式から大きく離れるのは難しいようですが、
無駄を排してよりスムーズに目的を達成できる方法が必要なのです。

まだ具体的なアイデアは出ないですが、
ここにヒントを一つ挙げておきます。
ヒューマンインターフェィスと言って人間が機械(パソコンなど)に
どうやって接して扱うかの考え方があります。
どんどん進歩して、今は取り扱い説明書が無い機械もあります。
人間の感覚や本能を大事にして、思うままに触っているだけで
使い方がどんどん分かってくるのです。
これを美術工芸作家とファン(一般の人)のふれあいに
当てはめて考えていくのです。
多くの人がクラフトデイズに何を期待しているかを
知る事が一番です。

今、クラフトデイズは大きな希望を持つものとして、
作家からもファンからも期待されているのを実感しています。
by tatakibori | 2014-05-20 19:59 | 仕事 | Comments(0)

遊ぶ人と遊ばない人

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先ず、私は基本的に遊ばない人だと理解して下さい。

先日イベントを主催したのですが、
準備の話し合いの中で人がお金を落としていく心理のような話題になりました。
これは私には理解し難い話に展開していきます。
普通の人は休日があり、遊びに行くのですが、
私の場合はそういう事はほとんどありません。
すでにこの年齢で、今から宗旨替えもありませんから、
遊びに行く人の心理はほぼ理解不可能で人生を終えることになりそうです。

ボランティアの募集とか、飲食の出店などの問題がこれに絡んできたのです。
結局は遊ばない人間の私が出て行って、出店の要請をし、
ボランティア団体と話をしてなんとかその部分を確保できました。
遊ぶ人の心理は結果論として分析は出来ますが、
そういう大衆を動かすのは同じ遊ぶ人間には無理があるように思えました。

会議を開くと気がつく事があります。
たいへん贅沢な物を作る人々の生活は貧しいようです。
何がそうかと言うと駐車場のクルマです。
たいていの作家のクルマは使い込んでキズだらけで
艶を失った古いものばかりです。

贅沢な物は心の贅沢ですから物質的な贅沢さを求める人には作れないのだと思います。
どこかで何かをあきらめて心の豊かさを求めるのが美術工芸の作家なのです。
当然ながら普通の人が遊びに行くような事はあきらめる以前に
思いもつかないから物作りの仕事に就くのです。
私も楽しみは色々とありますが、遊びに行くというのはその中にありません。
極端な話ですが、パスポートを作った事が無いのがそれを物語っています。

贅沢のひとつの象徴であるフェラーリの創設者エンツォ・フェラーリはその90年の生涯を
ほとんど生まれ故郷であるモデナで過ごし旅行へ行く事などなかったそうです。
遊ばない人間が最高の遊びの道具を作っていたのです。
by tatakibori | 2014-05-19 07:24 | 仕事 | Comments(2)

祖父・山田昭雲(哲)

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「日本近現代美術史事典」より

日本における<彫刻>の歴史は、江戸時代からのさまざまな素材と表現方法が、
明治期になって新しい名前を持たなかった時から始まる。
その後、西洋の新古典主義的な価値観やA.ロダンの影響などによって
それらはしだいに取捨選択され、選ばれたものが<彫刻>とよばれるようになっていった。
(中略)そして、そのとき排除されたものは、その多くが「工芸」の分野に入れられ、
「置物」や「人形」といった語は、時には彫刻作品を揶揄する否定的な意味としても用いられた。
(中略)一方で、「工芸」の世界に入れられた立体造形表現は、
大正年末頃から機能性と造形性の関係を再考し、
抽象彫刻と呼んでもよいような作品さえ作り出してきた。


祖父は自分が職業としてどのように呼ばれるかは気にしていませんでした。
「仏師」とか「彫師」とも呼ばれ、書かれています。
戦後、棟方志功の命名による「叩き彫」の名も「一刀彫」など
色々と呼びかえられても平気でした。
作品に関しても「彫り物」「置物」「人形」と呼ばれる事にも甘んじていたのです。
私の場合においても「揶揄する否定的な表現」もありますが、
そういう評価は受け入れなければならないと思います。

厳密に言うと祖父は結婚して父が生れた後から
大阪へ彫刻の勉強に行きます。
そこで学んだのは、彫塑、木彫、テラコッタ、染織、漆芸、指物や
細密な模型制作など多彩なものだったようです。
弟子入りしたと言う話もありますが、今で言う専門学校へ通って
いたのではないかと想像します。
私は、本人からその話を聞いた事がありません。
父の思い出によると昭和の始めに、当時は珍しかった
カラー印刷の美術雑誌を手に入れて読んでいたようです。
定期購読するほどの余裕は当然ながら無かったと思われますが・・。
祖母は晩年まで妙にストレートな表現の、いわば味気ない
短歌を詠み続けていました。
100歳を過ぎてから、誰に短歌を習ったのか聞いてみると
祖父に習ったと言います。
風流人だった祖父は短歌も当時流行のスタイルで学んでいたようです。

戦後、棟方志功に出会い柳宗悦の民芸運動に深く触れ、
その影響で一介の職人であると言うような表現を好んでいたようですが、
作風は写真のようにますます先鋭的になっていきます。
一見、円空風ですが、観賞者に対する激しい気持ちが
自身の信仰のために彫っていた円空とは違う世界を持つのを
強く示しています。
文化勲章を目指していた棟方の考えには同意して憧れの気持ちを
持っていたようですが、息子へは厳しくストイックな生き方を望んでいました。
何が目標だったのか、今の私にも分かりませんが、
棟方志功と祖父はこの「叩き彫」が家に継承されていく事を願っていたそうです。
子孫達は強い意思を持っているわけではありませんが、
先人の思いは今も続いています。
この先がどうなるか分かりませんが、
私達に「使命」があるならそれは所謂「芸術」であるのを
4代目と確認し合いました。
大正時代に始まった我が家の「叩き彫」はやがて一世紀の時を
刻む事になります。
これが何であったのか自らに問いかける毎日でもあります。
by tatakibori | 2014-04-11 07:18 | 仕事 | Comments(0)