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何もしないをしている

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「何もしないをしているんだよ」は、たしかプーさんの言葉です。
検索で調べようとしたら、何もしない時間を持つと仕事の効率が上がると言うような話が出てきました。
それは「何もしないをしている」のとは何かが違うように思えます。
父は疲れ果てて仕事が出来なくなる事が多かったので、
私が「休むのも仕事のうちだ。」と言うと昼寝をするようになりました。
この場合は仕事のために「何もしないで体を休める」行為です。
プーさんの言う「何もしない」は目的がある事ではありません。
クリストファー・ロビンが成長して、自分は「なにもしない」ができなくなってしまったと
プーに告げる場面があるそうです。
自己啓発系の論調で「経済的な効率のために余暇や趣味を持つ」と言うのはどこか貧しい発想に思えます。
私は還暦を迎えました。まわりの友人達は毎日が日曜日になったり、
何もする事がない状態になり生活の変化に戸惑っているようです。
私のように勤めた経験のない人間は、最初から毎日が日曜日で
何もする事がない多くの日々を過ごしてきたと言えます。
でも何もしないで過ごしてきたのとちょっと違うような気もします。
「何もしない」の回りで忙しく働いてきたのです。
目的や意味を持たないほんとうの「何もしない」が出来るようになりたいものです。
言い訳の必要ないほんとうの心の自由がそこにあるように思えます。






by tatakibori | 2016-07-23 21:01 | 日々の生活 | Comments(0)

雅号

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私の祖父は明治34年(1901)生れで、名前は山田哲(さとし)です。
父の生まれた大正14年頃から木彫刻専業を目指して大阪の学校へ通うなど
本格的な勉強をしたそうです。
最初の雅号はたしか「頭童(ずどう)」と名乗ったと聞いています。
由来は「ずど」、岡山弁の「たいへんな」と言う意味の接頭語です。
それから「勝雲(しょううん)」と変更したそうです。
勝は勝田郡勝間田町勝間田の地名からとっています。
勝間田は縁起の良い地名とされ、戦争中は生還を願い
出征は勝間田駅からする人が多かったとも聞いています。
隣の駅が「林野(はやしの)」で、「シ」の音が嫌われたそうです。
祖父は戦後になって日本原開拓団へ入植し、
訪ねてきた棟方志功に出会いました。
棟方志功と祖父は意気投合して、いつも二人だけで話し込んでいたそうです。
棟方は「勝雲」の「勝」の字が戦争をイメージさせるので、
「昭雲」と変えたらどうかと提案したのです。
それで祖父の雅号は「昭雲」となりました。
それは我が家にとってとてもおめでたい出来事で、
父(正志)は祖父の晩年に雅号を譲ってくれと懇願しました。
それで昭雲は2代にわたって使われたのです。
2代目の方が長く生きて、圧倒的に多くの作品を残したので、
昭雲叩き彫はほとんど父の作品です。

戦争体験のある人達には「勝負」や「武器」を嫌う人が多かったと思います。
玩具の刀やピストルもダメという人も珍しくありませんでした。
そういう人達が亡くなり、その子供達に当たる私達以上の世代もすでに老人の域です。
そこまで神経質だったのは過去のことで、今は政治家も「戦い」で
「勝利」しなければなりません。
祖父や棟方志功の気持ちを思えば、
もっと深く静かに平和を願い、「戦争をなくす」国にならなければと考えます。
昭雲工房の「昭雲」は平和への願いで付けられているのですから。


by tatakibori | 2016-07-13 21:01 | その他 | Comments(0)

作品と人柄

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芸術作品や工芸作品に作者の人柄、性格やその時の精神状態が出るのかどうか
という話があります。
以前にブログに書いた事がありますが、若い頃にある岡山の著名なお方に
ご案内いただき岡山美術館の館長さんにお会いしました。
簡単な紹介をされて挨拶したら、
「そういうのが一番困るんだよね。作者の内面がどうとか美術には関係ない
ものを創作の一義に持ってこられると・・。」で話はお終いでした。
当時その世界では名のあるキュレーターで評論家だった方なので
ものすごい違和感を感じた事だけが記憶に鮮明に残っています。

私も還暦を迎えて、それなりにこの分野を見続けてきた経験から言うと
やっぱり作品には人柄や性格が出ると思います。
言い切ると異論のあるところですが・・・、
例外的に現代アートでは二次創作というか便器だったり新聞紙のような
日常的な工業製品などを利用した作品があるので、作者の意図が
最重要になり、その人柄や性格が表れる「手作業」が少ないものもあり
作者の人柄を感じ難いものもあります。
逆に書道のように最終的には作者の教養や人柄が問われるものもあります。
美術大学では現代アートは教えますが、書道は美術大学の分野でないのが
気になるところです。
私は年齢を重ねてから、作品に表される人柄を強く感じて感動する機会が増えました。
そういう磨かれていく創作の表現力や受け手の感受性は
「老い」を美しいものと思わせてくれます。
そういった出会いや感動を味わうのが人生の喜びだと思います。
還暦を過ぎての将来の希望はそこにあると言えます。



by tatakibori | 2016-07-05 21:21 | アート | Comments(2)