人気ブログランキング |

<   2018年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

若い人は知らない

d0006260_12344744.jpg
今の若い人はパール・バック「大地」とシェイクピア「ヴェニスの商人」は読んだ事がないようです。
パール・バックはノーベル賞作家です。代表作「大地」は19世紀末の中国を舞台にした壮大な物語で、
たいへん読み応えのある小説です。
一説には中国では翻訳、出版が禁止されているという噂もあります。
ヴェニスの商人は小学校の国語の教科書に載っていたので年配の方には常識的な名作です。
たぶん登場人物の高利貸しが特定の民族を侮辱するような設定なのが問題かと考えられます。
歴史の中に葬り去られた事柄はこうやって多くあるのだろうと思います。

津山市院庄に作楽神社という旧跡があります。
南北朝時代に後醍醐天皇が隠岐の島に流される時に
児島高徳が桜の幹を削って十字の詞を刻み励ましたという伝説の地で、
戦前は教科書に載っていたお話でした。
戦中派が元気だった頃は観光名所として賑わいましたが、
時とともに忘れ去られて、今は閑散としています。
観光資源としての復活を期待されていますが、
その伝説を語り継ぐ努力が求められています。
ただし、
保田與重郎著「現代畸人伝」のおしまいの方に
「美作の歴史では後醍醐天皇隠岐行幸の史蹟が第一の自慢で、
六百年もきのふの如く身近に語りつたへた人々は、・・・」
と書いてありますが、誤解を生むような語り部は困ったものです。
名著の輝きが、そのあたりが少しだけかすんでしまいます。
斎原生まれのY氏の悪戯に違いないです。

by tatakibori | 2018-05-13 13:18 | 読書 | Comments(0)

門前の小僧

d0006260_19112510.jpg
自主協同学習が先鋭的な教育だとしたら伝統的な方法とは何だろうと思いました。
「門前の小僧習わぬ経を読み」と言いますが、単純に意味が分からなくても
繰り返し聞いていれば覚えてしまい、そのうち書面に触れて文字や意味を知る
ようになるのも教育の大事な方法です。
私の場合には、父が版画やレリーフに万葉集などの文字を刻んでいたので
最初は視覚的に形としての文字を覚え、父の言葉で読みを知り、
販売のために意味を本で知るようになりました。
かなり生活に密着したものとしての古典文学だったのです。
「よく知ってますね」と言われるようになって「門前の小僧です」と照れ笑いで応えてました。
高校時代に古典は全くダメだった私が長い時間をかけて万葉集や芭蕉を勉強したのです。
最もたいせつなものは芭蕉であり、万葉集であると信じて、そこから範囲を広げずに
ほんの少しを繰り返し読み続けました。
古典落語が好きな人が、百人一首のかるたは「ちはやふる」と「せをはやみ」だけは
自分が取ると決めているようなものです。
ほんの一握りの拙い学習が繰り返される事により少しづつ広がりを持ち、
やがて心豊かな世界を見せてくれるようになる瞬間があります。

江戸時代には論語など難しい文章を「素読」して学んでいました。

   そどく【素読】

   古典の原文を幾度となく繰り返して読み,
   それを書物を用いないで誤りなく言うことができるようになる学習法の一つ。
   日本でこの方法がひろく行われて学習の初歩として普及したのは江戸時代においてである。

今でも「読み聞かせ」という幼児教育の基本があります。
教育も人と人が相対して行う行為でありパソコンの画面に
向かって学ぶだけでは限界があります。
著名な学者の著書を読むのも大事ですが、
その講義や講演を聴く事にはもっと大きな意味や感動があると思います。




by tatakibori | 2018-05-04 19:41 | その他 | Comments(0)

自主協同学習

d0006260_17263690.jpg
私の育つた勝田郡勝央町勝間田には勝間田小学校、勝央中学校がありました。
小学校に入ったのが昭和38年(1963)、中学は昭和44~47年(1969~72)になります。
小学校の高学年から自主協同学習という授業が始まり、中学はほとんど全部が
その方式で行われていました。
勝央中学校は町長の情熱と教員組合の活発な活動の相乗効果で、
当時の最先端の試みが数多くありました。
冷暖房完備の教室、体育館、ランチルームで食べる米飯給食、
校内放送用のテレビスタジオなど今から思えばやり過ぎの豪華さでした。
自主協同学習について調べてみると、岡山大学の高旗正人による
1965年から10年間の勝央町だけの実験だったようです。
教室では生徒の机を4~5人単位の班にして向かい合わせ、
教師の方を向かない形をとります。
内容はだいたい今でいうアクティブラーニングと同じようなものです。

この手の方法は大正時代にドルトンプランとして実験的に行われたのが
最初のようです。
谷崎昭男著「保田與重郎」によると大正10年頃の桜井尋常小学校で保田が
自学自習という新しい自由な教育を受けた事が記されています。
大正デモクラシーの時代と町の自由で教育熱心な風土により
優秀な教師が集められて成果を上げたようです。
それは桜井の町の伝統的な性質を自慢した文章で、
保田にとってそれがどれほどの意味を持つのか、
私は少し疑問に思う点があります。
私の頃の自主協同学習は、寡黙で一人で本を読むのが好きな秀才には
向いていなかったのです。
通知表に、分かっているのに発言しない、協調性がないなどと
書かれた優等生は多かったのです。
私は逆にややでしゃばりな性格でディベートなども好きなので
この方式の授業は(英語以外は、)楽しんでいました。
問題は5年間もそれにどっぷり染まると、高校へ進んでからの
普通の授業に馴染むまでに苦労した事です。
教師の言葉で叩き込み、反復して覚えるしかない英語や古典、歴史の
授業などは苦痛で大学に入ってやっとすんなり講義を聴けるようになったほどです。
そういった経験のないほとんどの人にとってアクティブラーニングなど
新しい(?)教育は夢や希望があるように語る向きがありますが、
私は懐疑的に思っているのです。


by tatakibori | 2018-05-02 18:05 | その他 | Comments(0)